遼州戦記 保安隊日乗 2
静かだが明らかに軽蔑したような彼女の視線に嵯峨が身をすくめる。司法局特務実働部隊隊長の彼女ははまた実を翻して子供のように窓から身を乗り出している嵯峨の様子を見守っていた。
「それより近藤資金のデータがなぜうちに来ないのか、説明して貰えるかしら?」
詰問するような調子で秀美は嵯峨を見据えている。
「吉田の。あれだけだろ?ウチで把握してる資料って……」
ようやく執務用の椅子に戻って目の前の決済済みの書類の山をぺらぺらとめくる嵯峨。彼は決して秀美を見上げようとはしなかった。
「諦めてくださいよ、隊長」
吉田のそんな一言を聞くと、嵯峨は仕方がないと言うように手元にあった紙切れに四文字のカタカナを書き付けて机の端に置いた。
「それで正面からウチのシステムに入れますよ」
それを見ると安城は歩み寄ってその紙切れを拾い上げた。まるで欲しかった人形を手に入れた少女のような表情。嵯峨の視線か秀美に釘付けになる。
「秀美さん。今日はこんな紙切れのために来たんじゃないんでしょ?」
吉田が見ていることに気がつくと、嵯峨は咳払いをして椅子に深く座りなおす。
「そうね。法術特捜部隊の設立に関して同盟司法機関直属の実働部隊としての総意を取り付けようと思って」
ようやく穏やかな表情に戻った秀美が嵯峨を見つめる。
「それなら次の司法局の幹部会にでも……」
「あら、いつもそこで居眠りばかりしている人は誰なのかしら?おかげで司法局には無駄飯食いが多いと軍から突き上げを食らうのはいつだって私なのよ」
そこまで言うと参ったと言うように嵯峨は両手を頭の後ろに持ってきて苦笑いを浮かべる。
「きついなあ、秀美さんは」
嵯峨のそんな態度に秀美は明らかにいらだっているように大きく見せ付けるように息を吐いた。
「正直、私のところでは対応しきれないのよね。確かに戦術的な意図を持って法術兵器を使用してのテロが行える組織。そんなものがまだ存在しない可能性の高い現状なのは事実かもしれないけど。発火能力のように以前からのテロ行為だけならうちでも対応可能かもしれないけど……」
ここまで言うとさすがに嵯峨も関心がある話なのでそのまま秀美を見上げるようにして机の上に頬杖を付いて真剣に聞き入る。
「確かにこれからは小火器などで武装したチームと連携してテロ活動を行う可能性は高いわね。となればウチの領分だけど、ウチはには神前君や嵯峨さんみたいな法術適性上位クラスの隊員はいないのよ」
「確かに同盟機構の上層部がうちと秀美さんの部隊の設立には積極的だったのは法術の公表の前の話だからね。自爆テロと爆弾テロを組み合わせてるとか、同盟加盟に難色を示す一部の軍部隊の暴走やベルルカンで動いている同盟軍の側面支援とか。そんなことしか頭に無かった偉い人には法術犯罪の専門部門を司法局に新設する必要性なんて感じてないかもしれないねえ」
諦めたように静かに呟く嵯峨。吉田も黙ってその様子を見つめている。
「法術絡みになればうちはお手上げ。新設される法術特捜のフォローは嵯峨さんの所でしてもらわないと困るのよね」
そう言い切られて困り顔の嵯峨。
「そんな顔しても無駄よ。まあこちらの領分での事件ならいつでも引き受けるけど」
穏やかな口振りだが、語気は強い。ソファーに腰掛けた吉田が伸びをすると、困ったような目で秀美を見つめる嵯峨の姿があった。いつまでも困った顔を続ける嵯峨に秀美は大きくため息をつく。
「先週の同盟司法会議でも柔軟に対応すると言うことでお手伝いが出来るような体制を作るように上申しておいたの見てなかったの?まあ嵯峨さんはまた寝ていたみたいだけど」
寝ていた事実を指摘されるとさすがの嵯峨も頭を掻きながら手にしたタバコの箱を転がすことしか出来なかった。
「だってさあ……頭の固いお偉いさんに具体的な事例も挙げずに戦力強化のお話なんて……結果が見えてるのに話し聞くだけ体力の無駄だと思ってたからねえ」
嵯峨はそう言うと一枚のディスクを取り出した。
「何、これ」
秀美は静かにディスクを受け取る。何の変哲も無いデータディスク。親指の爪ほどの黒い板をじっと見つめる秀美。吉田はそれが何かを知っているとでも言うようにソファーで静かに頷いていた。
「プレゼント。という事でどう?」
嵯峨はニヤリと笑う。秀美は嵯峨の言葉遣いに彼を見つめて一瞬ハッとした後、照れるようにディスクに目を移す。
「見ないんですか?隊長は」
不満そうに呟く吉田。彼の不満そうな表情から秀美はそのディスクの内容があまり公に出来ないが重要な情報が詰まっていることを察した。
「見たよ。よくやってくれたねえ。でもまあ予想の範囲内ってとこか」
そう言うと嵯峨は鋭い目つきで自分をにらんでいる秀美の目を気にしながらタバコに火をつけた。
「近藤資金の流れ?」
秀美は軽く掻き揚げると足元のかばんを開き、バインダーを取り出して並んだ同じようなディスクと一緒にそのディスクをしまった。
「上手い事、公然組織に分散してたからね。末端までたどるのに苦労したよ」
「末端組織まで……俺のデータにいくつか加筆したわけですか?」
見上げた吉田の先に、いつもの通り眠そうな嵯峨の瞳が漂っている。
「東ムスリム革命戦線、皇国の旅団、聖職者会議。まあぞろぞろとおっかない組織の名前が出て来る出て来る。こんなところとお友達になりたがるお偉いさん達……金持つと人間変わるってのがよくわかったよ」
嵯峨がたとえに上げた頻繁に遼州各地でテロを行っている組織名に秀美の顔が真剣なものへと変わる。
「そのあたりの名前と金の流れだけならこれをもらう必要なんて無いわね。それ以上のもの……何か掴んだの?」
秀美の目がまた鋭く嵯峨を睨みつける。
「南都の米軍基地を標的にした自爆テロ。確か現役の海軍兵士が20名程お亡くなりになった事件。ありましたよね。あれからもう三ヶ月だ。遼南の警察当局もがんばっているねえ、俺の耳につまらない話が聞こえなくなってきたよ」
いつものように相手を煙に撒く嵯峨の口調。秀美はだまされまいとその言葉に耳を澄ます。
「遠まわしな言い方は無駄よ。とりあえず何が言いたいのかしら?」
苛立つ秀美に笑顔で答える嵯峨。
「それ以降、何処の紛争地帯でもこの手のテロは発生していない。先週の日本の成田の乱射事件も射殺された日本解放戦線のメンバーには遼州系の参加者がいたにもかかわらずだ」
秀美は嵯峨を見つめた。物悲しげな殺気を感じないその表情。だが彼女はその表情を見るとどうしても目の前の男に近づきがたい雰囲気を感じる自分がいることを知っていた。
「近藤事件以降、テロ組織が方針を転換したとでも?」
ようやく気がついたかのように秀美はそう言った。
「そのあたりを頭に入れてそのデータを見ると納得が行く。非公然組織への資金供与や政界工作の為に流れていた資金だけど、俺が見ただけでも数倍の金額が消えてなくなっている。近藤の石頭に私的流用なんて器用なことできるわけが無い」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 2 作家名:橋本 直