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 不思議と言えば彼女の格好も不思議だった。ズボンを少し太くしたような濃い緑色の袴を履き、襟元から胸にかけて大きく太陽を模したと思われる縫い取りをした服のベルトと思われる皮ひもの下から紅の縁取りが膝のあたりまで伸びている。そして白く大きな円筒形の冠の両脇からは金色の装飾品が口元あたりまで垂れ下がり、髪はその中にまとめ上げられているようでお下げの髪が二筋両の肩の上を滑り降りている他は見ることはできない。
 俺はヨロヨロと、驚きと喜びに自分を見失いそうになりながら立ち上がった。少女はと言えば相変わらず大きな口の鳥を抱えたままで俺の方を微笑みを浮かべたまま見つめている。風が吹く度に冠の房の間から南国に似つかわしくない白い肌が見え隠れする。何を話せばいいのか、話したところで通じはしないだろう。俺は何をすればいいのか、ポケットカメラのフィルムはもう空だ。ただ口を開けて彼女の様子を見守る無様な茶色の鳥とともに次に彼女が何をするのかをじっと見守るしかないのだろう。
 風が吹く、木の葉が数枚落ちる。そしてその中の一枚、エメラルドグリーンの一際大きな葉がふわふわと空に向かっていく。
 突然、少女が胸に抱えた鳥を放り投げた。鳥は重力に従って尻餅をつくとすぐに立ち上がって上空を舞うエメラルドグリーンの大きな葉を追いかけ始める。そしてその後姿を確かめるように少女は歩き始める。俺もまたその影を見失うまいと大股で歩き始めた。
 空を舞う葉はふわふわと上昇気流に揉まれながら、林の中を漂うように飛んだ。眼がその静かな姿に慣れていくに従って、それがあの村で見た蝶らしいことがわかってきた。一体何だってこの不恰好な鳥はあの揚羽蝶を追うのだろうか、あの姿が憎いのだろうか、かつての記憶を思い出したのであろうか。それとも少女がこの鳥を仕込んで揚羽蝶を捕らせているのだろうか。相変わらずどたどたと、まさに地を這うという言葉の通り無様な進軍は続く。空を舞う蝶に比べるとその姿は滑稽に過ぎた。Tがあれほどまでにこの鳥を殺そうとしたのも、その姿を見れば頷ける。しかし何だってあんな拳銃を使って、この鳥を殺すのだろうか。こんな動きの鈍い鳥なら素手でも捕まえることはできるだろうに。
 クワー、鳥の鳴き声が林にこだまするのを聞いて俺は我に返った。黄緑の木が一本、俺のちょうど正面にあった。何やら緑色の固まりが幾重にも覆い被さって隙間一つ無い。鳥はその固まりを大きな口で剥がしては飲み込んでいる。よく見るとそれは蝶の幼虫だった。何万何千という数の芋虫が一本の木に集ってその葉も枝も幹も食べつくそうとしているかのようだ。時折その幹から飛び出した枝には幾つと知れない蛹がまるで木の実のようにぶら下がっており、その周りを蝶が、今までに見たことも無いような数の巨大な蝶が舞っていた。 
 俺の傍らで鳥の食事を見つめていた少女が懐から小さな銀色の笛を取り出した。キーンと言う金属的な音が森の中に響き渡る。そしてまもなく草の陰から次々と茶色い不恰好な鳥達現れ、木に集まる芋虫達を次々に食らいはじめた。芋虫が次々とあの巨大な真っ赤な口に飲み込まれていく度に幹や葉が次第に見えてくる、どうやらこの木はかつてあの森の入り口にあった村人達が樹液を採っていた木であったようだ。舞う蝶とそれを襲う醜い鳥達。いつまでもなくその光景が拡大していく。

 急に意識がはっきりとして俺は自分がベッドの中にいる事がわかった。きっとあのまま気でも失っていたのだろう。ふと頭をまわすと相変わらず吉岡が漫画を読んでいる。
「水をくれ」 
 俺が目覚めた事に気づかない吉岡をせきたてる。
「あ、眼醒めたんですね。水ですか、ええと、確かミネラルウォーターの瓶が・・・」 
 吉岡が出て行く後姿を見ながらこの部屋の中を観察する。二人が泊まるにしては大きすぎる部屋だ。壁には幾つとない猛獣の首が晒されている。まるで死刑囚のような気分だと一人で考えながら窓の外にまで視線を走らせた。
 夕陽に次第に変色しながら青い峰が果てしなく続いている。しかし何処と無く変だ、そして俺はその窓の中央に立ったTの姿が俺に変な気持ちを起こさせていた事がわかった。
「ボス」 
 Tは怪訝そうな眼をしている俺に向かって歩き寄ってくる。これまで奴に感じた事のない威厳に圧倒されそうになりながら、俺はようやくベッドから上体を起こした。
「あなたもずいぶん変わった人ですね。私もずいぶんこの村に日本人を案内してきましたが、あなたのような人に合うのは初めてですよ」 
 何という威厳だろう、猫背だと思っていたTがヤケに背筋を伸ばして俺に近づいてくる。もう少しで取り乱す、その極限のラインでようやく奴の後ろに影のようにして張り付いているものを見つけた。
 なんと言う事だろう、俺はこんな山奥にまで逃げてきたと言うのに、
「もう少し私の身にもなって考えて下さいよ。兄はああ見えて結構心配性で何か気に入らないことああったのかって私に聞いてくるんですよ。それに今日これからハンティングの予定が入ってますから、それには必ず出てもらいますよ」 
 機械的な足どり、ミネラルウォーターを持って戸口に立っている吉岡を押しのけてTが部屋から消えていく。ようやく俺も一息ついてベッドに再び横たわる。
「俺が何をしたって言うんだ」 
 吉岡は聞こえないふりをしながら、薄汚れたコップにぬるいミネラルウォーターを注いで俺に差し出した。横になったままそれを受け取る。バランスに気をつけながらゆっくりと頭から腰にかけて湿ったベッドの表面から引き剥がす。窓からさす日差し、赤く染まりかけたその一筋一筋が、水面に落ちた埃の欠片の起こす模様を浮かび上がらせる。
「なあ、吉岡よ」 
 吉岡は窓の外を見つめていた。景色、きっとそんなものを眺めているのだろう。それが何になるというのだ、そういう言葉を吐きそうにになって俺は自分でも驚いた。
 風景、そもそも俺はそんなものを相手にするためにこんな山奥にやってきたのか?いや、そもそも俺はこんな所にいる理由など有るのだろうか。所詮、誰一人として真剣に見る事のない雑誌の背景に使われる写真。風景も言葉も、ただの記号に還元されてしまう世界。感動が金の目方で計れると考える連中への給仕。俺が自分のしていることに気づき始めたのはこの仕事のことが掴め始めた頃からだ。しかし、はじめのうちは割り切ってやっていられた。実際世の中はそんなものだ。俺のカメラに写る物達だってそう割り切って生きているに違いない。しかし・・・、
「また考え事ですか。ここ数日ずっとそうして下を向いて、先生変ですよ」 
「別に今に始まった事じゃないだろ」 
 無理に顔に笑いを浮かべようとしてみる。ヤケに頬の肉が重く感じる。
「下は何か大変みたいですよ。色々軍服を着た連中が出入りしているみたいですし、先生何か聞いていませんか」 
 吉岡は屈託の無い笑顔を浮かべている。奴は何時になったら俺の気持ちが分かるのだろうか。仕事の方は一人前、いや、それ以上だ。しかし奴は何もわかっちゃいない。
 起き上がる。別に何の苦労も無く身体は素直についてきてくれた。
「平気ですか」 
作品名: 作家名:橋本 直