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 Tはこの村に入ってからいつもの大人しいTに戻っていた。そんなTに比べると現地の言葉で歓迎の挨拶をまくしたてるこの男はまさに人を惹きつけるに足る情熱と理性に満ちた野人のような風があった。首都にある国立大学で電気工学を専攻したというTと、村に残って有力者の道を歩く兄。きっとこの国ではこのような兄弟が何千組といるのだろう。
 話を聞いているのかいないのかわからない客に多少苛立ったのか、村長はTに何やら耳打ちをすると俺達を村の中央にある大きなコンクリートの建物へと導いた。博物館、極彩色の看板に描かれた何匹とない蝶の群れ。自動ドア、冷えすぎの冷房。すべての説明は英語で書かれており、受付嬢もまた英語でTと吉岡を歓迎する。
「カメラ用意しましょうか」 
 吉岡は肩に釣り下げたケースを下において俺に仕事が始まる事を告げる。
「ああ、ここならお前だけでもどうにかなるだろ。ちょっと車に酔ったみたいで少し気分が悪いんだ」 
「この建物の奥に医者がいますから、ボス。そこで休んでいてください」 
 不機嫌そうなT。しかしそれも一瞬のことでTは夢中になって吉岡にこの極彩色の蝶の生態について解説している。ケースの中の乾ききった標本を見てなんになるのだろう。吉岡はしきりとTの説明に頷きながら俺に助けを求めるようにして引止めにかかろうとする。俺はその横を通り過ぎてこの小さな博物館の事務所のような所に入っていった。
 数人の事務員が暇そうに机に落書きをしているオフィスの奥の一隅、白いついたてで覆われた小さな診療所。医者の姿もなく机の上には治療用具と英字新聞が散らかっている。俺は貧弱なベッドに腰をかけながら、またあの茶色い固まりについて考えてみた。生き物であることは確実だろう。しかしあのように丸くよたよたと無様に歩く丸い固まりを俺は一つとして知らない。ネズミか何かにしては少しばかり大きく、ぼさぼさに生えた毛のあるところから考えると蜥蜴の仲間でもないのだろう。
 少しばかり気分が良くなったので俺は立ち上がった。今更Tにあってはじめからあの下らない解説を聞くのはうんざりだ。裏の戸口に鍵がかかっていないことがわかったので、俺はそのまま外にでた。
 博物館の裏にはゴミの山があった。野犬が数匹俺には目もくれずにその山を漁っている脇を通り抜け、原生林の中に入っていく。鼻を突く甘い香りはあちこちに見える黄色い花の匂いのようだ。この村に入ってからと言うもの派手な色のものを見るとどうにも腹立たしい気分になってしまう自分に少し呆れながら、黄色い花が咲く森の下、獣道をそのまま歩き続けた。
 果てしなく茂る笹を切り裂いて道は何処までも続いていた。きっと樹液でも採るのだろう、道端の木に小さな木の椀がくくりつけられている。何百年と無く村人達が森に入るために切り開かれた道。しかしその道を森の破壊が通る事になるとは皮肉なものだ。 
 急に視界が開けて目の前に大きな倒木が横たわっている。獣道は少しばかり間の抜けたようなその倒木の周りで細い支線に分かれている。露出した土の上が黒く焦げているのはここで火を焚いて森の出来事でも語り明かすからなのだろうか。俺は彼らと同じ気持ちで大きな倒木に腰をかけた。
 煙草に火をつけようと腰を上げた俺の目の前に動くものが映ったように感じた。ゆっくりとゆっくりとその丸いものは藪の下を移動していく。俺は思わず胸のポケットから小型カメラを取り出してその物体が出てくるのを待った。
 あの鳥だ。ヤマアラシに良く似た球状の体を持ち、その下に二本の太い足が伸びている。心臓の鼓動が早くなってシャッターの上に乗せた指が汗で滑るのがわかる。突然自分の概念が破壊されたようだ、頭の中まで少しづつ曇ってきた。しかしそんなことはお構いなしに鳥は静かに藪の中で地面をほじくり返してはしきりと何かを探しているようだった。俺は息を殺した。できるだけ物音を消すために細い獣道を足場を選びながら進んだ。そして、笹をかき分けて大きな木の根元の少し開けたところまで来た。
 鳥の姿はこちらから丸見えになった。大きく裂けた口をときどき開くが、その中身は血にまみれたように赤く、それを見る度に背筋が寒くなるような気がした。
 しかし、何より俺を驚かしたのはその眼だった。その眼は鳥の眼というよりも人間の眼に近かった。なぜか悲しげに俺の方を見つめて来るその眼と視線が合う度に俺はなぜか気まずい気分になってシャッターを切ることができなかった。
 俺はしかたなく観察を続けた。そして、その動物に小さな羽があることに気づいた。時折ばたばたと恥ずかしさを押し隠すように軽く羽ばたいてこの沈黙をごまかしているようにも見える。やはり鳥だ。間違いない。俺はシャッターを切った。
 ストロボの光が、草陰を黄色く染める。
 急に鳥は走り出した。決して早くはない。大股で歩けばすぐにだって追いつくことはできる。しかし俺はあえて捕まえようともせずにその鳥の走っていく方向について行った。
 茶色い羽はこの土地ではかなりの役に立つ。うっかりすると木の根や泥と勘違いして見失ってしまうことも度々あった。しかし慌てているのか、ばたばたと打ち鳴らす羽の音で俺は自分の間違いに気づきすぐ追跡を開始することができた。
 森はだんだん暗く、深くなっていく。鳥は相変わらず無様な逃避行を続けている。それはまるで逃げるというよりも俺をどこかに案内しているように見える。もし、彼に急に立ち止まってじっとしていると言うような能があれば、とうに俺は彼を見失っていたことだろう。
 鳥の逃げる速度が遅くなってきた。俺にはときどき立ち止まっては逃げていく鳥の姿をカメラに収める余裕が出てきた。鳥の方は相変わらず必死になって疲れてきた体に鞭打ちながら森の奥に向かって走り続ける。
 時計は三時を指していた。もう三十分はこうして間の抜けた行進を続けたことになる。急に森が切れて原っぱのような所に出た。光が急に激しく俺の脳天を撃った。目の前が一瞬白くなり視界が奪われる。俺は眼を閉じて地面に蹲った。時間が流れていった。俺は何度となく立ち上がろうとしてみたが、足にそれまでにない疲れを感じて立ち上がれずにいた。さすがに三十を過ぎた体にはかなりの無理が来ていたようで、足ばかりでなく体のあちこちが激しく痛み出した。
 風を感じた。村を出て初めて感じる山から吹き降ろす冷たい風。俺の後ろの森が悲しく啼く。
 風の音に混じって、足音がしたのは気のせいだろう。はじめのうちはそう思っていた。しかし確かに草を踏みしめて近づいてくる音が俺のすぐ近くにあった。鳥だろうか、いやそんな筈はないだろう。俺が蹲ったときにもう逃げてしまったはずだ。それなら・・・、俺は頭を上げた。
 それは少しばかり奇妙な光景だった。先程まで俺から必死に逃げようとしていた鳥を一人の不思議な格好をした少女が抱きかかえている。鳥は不思議そうに蹲っている俺を眺めている。まるでさっきまでの鳥の立場に置かれたようで俺は鳥に向かって笑いかけた。しかし、その少女の格好を見るとその苦い笑いが次第に本当の笑いに変わっていくようで不思議な気がした。
作品名: 作家名:橋本 直