遼州戦記 保安隊日乗
二人と比べると小柄に見える燃え上がるような赤い髪と瞳の女性士官がアイシャの言葉に噛み付く。
「アホ娘って何よ!」
ことさら赤いショートヘアーが誠の前で揺れている。
「私はサラ・グリファン少尉よ。それにしてもあなたがあの有名な神前君?」
サラとアイシャと名乗った女性士官がまじまじとこちらを見つめるので誠は少しばかりたじろいだ。
有名だと言う話が出るとしたら明石の口から出ると思っていた。明石が先ほど眺めていた雑誌に誠が一度だけ出たことがあった。大学三年の秋に翌年のドラフト候補として二三行だが誠のことが載ったことがあった。
それを思い出すと、誠は少し頭痛のようなものを感じた。そんなことは過去の話だ、有名人扱いされる覚えは他に無い。誠はそう思うと少し陰鬱な気分になった。
だが、アイシャの口から出た言葉は誠の予想の斜め上を行っていた。
「あなたコミケでフィギュア売ってたでしょ?しかも殆ど開店直後に完売してたじゃないの……あたし達の同人誌なんて結構売れ残ったのに……」
誠は耳まで赤くなる自分に気付いていた。去年、久しぶりに大学の後輩の誘いで趣味で作ったフィギュアをコミケで売ったのは事実である。しかし、その客の中に保安隊の隊員がいるとは知らなかった。
しかも『有名』と言うことは野球部と同時に入部していた東都理科大学アニメ研究会の同人誌に書いたイラストを見ていると考えられた。オタクの割合が高い理系の単科大学のアニメ研究会で誠のオリジナルファンタジー系の美少女キャラはそれなりに売り上げに貢献していた。
アイシャは誘惑するような甘い視線を誠に送っている。
サラは相変わらずきらきらした視線で誠を見つめている。そしてピンクのセミロングの髪のパーラは一緒にするのはやめてくれとでも言うように静かに少しづつ下がっていくのが誠には滑稽に見えた。
「そらお前らのホモ雑誌、ワシも読まされたが……引くぞあれは」
明石は頭を撫でながらアイシャに声をかけた。
「明石中佐!ホモ雑誌じゃありません。ボーイズラブです!美しいもののロマンスに性別は関係ないんですよ!それがわからない人には口出ししてもらいたくありません!まあ呼びたければ腐女子とでも呼べば良いじゃないですか!私達は……」
明らかにパーラが一歩部屋のドアから引き下がった。
「アイシャ。その私達には私も入ってるの?」
パーラが困惑したようにそうたずねる。アイシャとサラがさもそれが当然と言う風にパーラを見つめた。
天を仰ぐパーラ。
「あのーそれでなにか……」
誠は険悪な雰囲気が流れつつある三人の間に入って恐る恐るたずねた。先ほどの誘惑の視線の効果があったと喜ぶかのように目を細めたアイシャが早口でまくし立ててくる。
「それよそれ、あなたあれだけのものが作れるって凄いわよね。それと少しエッチな誠ちゃんのキャラ、あれ私も好きなのよ」
そう言うとアイシャがゆっくりと誠のところに向かって近づいてきた。
「ああ!あれだけのものってアイシャ買えたの!ずっこい!始まってすぐは私とシャムに売り子させてどっか行ってたのそれのせいなんだ!」
頬を膨らましてサラが叫ぶ。助けを求めようと明石の方に視線を向けた誠だが、そこには再び野球雑誌を手にとってこの騒動から逃避している明石の姿があった。
「良いじゃないのよサラ。ここにフィギュア職人がいるんだから、あとでいくらでも上官命令で作らせるわよ。それよりやっぱりシャムの絵じゃどうも売れ行きがね……。それにあの娘はどちらかと言うと変身ヒーローとかの方が描きたいって駄々こねるし」
アイシャは誠の手が届くところまで歩いてくると少し考え込むようにうつむいた。
時が流れる。
気になって誠が一歩近づくとアイシャは力強く顔を上げ誠のあごの下を柔らかな指でさすった。
「それであなたに書いてもらいたいのよ!目くるめく大人の官能の世界を!!」
自分の言葉にうっとりとして酔っているアイシャ。ドアのところではパーラが米神を押さえてうつむいている。
「BLモノですか?」
誠は困惑した。雑誌を読む振りをして好奇の目で明石が自分を見ているのが痛いほど分かる。それだけにここは何とかごまかさないといけないと思った。しかし、年上の女性の甘い瞳ににらみつけられた誠はただおたおたするばかりで声を出すことも出来ずにいた。
「駄目なの?」
甘くささやくアイシャの手が再び伸びようとした時、誠は意を決して口を開いた。
「僕は最近ではオリジナル系はやめて『魔法少女エリー』関係しかやらないんで……」
誠はとりあえず昨日もチェックしたアニメの名前を挙げた。少しがっかりしたと言う表情のアイシャはそのまま一歩退いた。変わりに話が会いそうだと目を輝かせてサラが身を乗り出してくる、その肩にアイシャは手を置いて引き下がらせた。
「しょうがないわね。女の子しか書きたくないんでしょ?まあ良いわ、これ以上ここにいると明石中佐に後で何言われるか……またあとでお話しましょう」
そう言うとアイシャは二人を連れて詰め所から出て行った。
確かにこの部隊は普通ではない。誠の疑問はここで確信に変わった。
女性比率の高さは、遼北並みだ。同盟機構直属と言うことで正規部隊からの人員の供給が少なかった為、人造人間などに頼らなければならなかったと考えれば納得がいくのでそれはいい。
それ以上にこの部隊が異常なのは明らかに濃いキャラクターで埋め尽くされていることだ。これだけ濃い面々に出会うと、どこから見てもヤクザと言う風体の隣に立っている明石が当たり前の常識人に見えてきた。
「はあ、とんでもねえ奴らに捕まっちまったのう」
出て行ったアイシャ達の足音が聞こえなくなると、明石は持っていた野球雑誌を投げ出してばつが悪そうにそう言いながら頭をかいた。
「そんなに悪い人たちには見えませんけど……」
とりあえず誠はそう言ってみた。明石は誠の顔をまじまじと見た後、そのまま腰掛けていた自分の机から降りてさらにもう一度誠の顔を覗き込んだ。
「あのなあ、お前、明日幹部候補の時の同期の連中に電話してみいや。ワシにカマ掘られたやろ言われてからかわれるのが落ちじゃ。あの三人組のおかげでワシはすっかり変態扱いされとる。まあそんなこと気にしとったら次の部屋には入れんがのう」
そういうと明石はそう言うと気が向かないとでも言うように伸びをしながら部屋を出た。誠がついてくるのを確認してドアを閉める。そして天を向いてため息をつき、そのまま暗い廊下を歩き始めた。
初夏らしい粘りのある暑さが二人を包む。そんな状況で上官に明らかにやる気の無い態度を取られて誠は戸惑っていた。
「次は……あそこは気が進まんのう」
明石はそういうと電算室と書かれた頑丈そうなセキュリティ付きのドアの前で立ち止まる。
これまでの防犯上はいかがなものかと思いたくもなる安っぽい扉とは違い、重厚な銀色の扉が誠の目の前にあった。これまでの部屋とは構えからして明らかに違った。
「ここの端末を使うわけですか……」
明石に声をかけるが、彼はただ呆然と銀色の扉を見つめるだけで答えようとはしなかった。
「そだよ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直