小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

遼州戦記 保安隊日乗

INDEX|8ページ/89ページ|

次のページ前のページ
 

 だが、こうして肉眼で絨毯の上に跪いているその姿を見ると、シャムや吉田を見たときがそうであったようにいまひとつピンとはこなかった。
「もしかしてあの人が……」
 コーランの詠唱が終わり身支度を整えた後、シンが落ち着いた様子でこちらを向いた。意思の強そうな目つきをした物腰の柔らかそうな人物だった。そして明石が『主計大尉』と呼んでいたことを思い出して、自然と誠の目は不思議そうにシンを見つめる形になった。
「彼が新しく配属になった神前少尉候補生かね?」
 落ち着いた低い声でシンは明石にそう尋ねた。明石がうなづくとシンは立ち上がって、しいていた絨毯をたたみ始めた。慣れた調子で動く手を見ていると、誠にはこの上官がかなり几帳面な性格の人物のように思えた。
「ああ、シンの旦那は実家が貿易会社を経営しとるんじゃ。だから帳面つけるのはお手の物で予算管理をオヤッさんに見込まれて西モスレム陸軍から引き抜かれたんじゃ」 
 小声で話しているつもりだろうが、明石の言葉はシンには筒抜けだった。シンの目は厳しくはあるが、愛嬌があるとも言えなくも無い雰囲気があり、誠も少しリラックスして目の前のイスラムの騎士と対峙した。
「神前少尉候補生。とりあえず案内が終わったら私のところへ来なさい。いくつか書類に目を通してもらうことになるから。それと明石大佐」
 誠に向けた穏やかな視線がかげりを見せ、少しばかり厳しい調子でシンは口を開いた。
「はあなんじゃ?」
「例の部活動費の予算はどうしても捻出できなかったので自費で何とかしてください」
 その言葉に明石は右手で頭を叩いた。懇願するようにシンを見つめるが、シンは聞く耳を持たないとでも言うように視線を誠の方に向ける。
「相変わらず厳しい奴じゃのう。せっかくピッチャーが来たっちゅうのに。これじゃあシャムあたりが文句言ってくるぞ?」
 そんな泣き言に、一つため息をついたシンは、子供を宥め透かすようなゆっくりとした調子で一言言った。
「厚生費はもう底ついてますので」
 それだけ言うと、手を伸ばして押しとどめようとする明石を無視してシンは静かに管理部の部屋に入っていった。
「部活動費って……」
 東和軍にも体育学校がある。また、各基地には同好会程度のスポーツクラブがあるのがふつうだった。しかし、オリンピック選手の育成を目的とする体育学校は別として、基地の同好会は部費や寄付で会を運営するのが普通だった。福利厚生にかける予算があれば正面装備に当てるのが東和軍の予算配分ということは誠も知り尽くしている。
 ただ、聞いた話では、部隊長の世襲や領邦制の影響で貴族の私兵的な色彩の濃い胡州軍ではごく普通に部活動の費用が部隊の予算から下りているという噂もあり、嵯峨と言う胡州軍出身の部隊長に率いられている保安隊にもそう言う雰囲気があるのだろうと誠は考えた。
「ワシも学生時代は野球やっとってな。一応胡州帝大じゃあ一年の時から正捕手で四番任されとったんやで。それにシャムは遼南の高校野球で今は千陽マリンズのエースの二ノ宮を要して央州農林が準優勝した時のキャプテンじゃ。野球部の一つぐらい作ってもよさそうもん」
 明石は愚痴るようにそうつぶやいた。誠の思ったとおり明石は胡州軍の出身だった。そして彼の出身校だと言う胡州帝大と言えば胡州の最高学府として知られていた。胡州六大学リーグの万年最下位のチームではあるが、一年から四番と正捕手になるにはそれなりの実力が必要なはずだ。
『師範代は俺に野球をさせるために呼んだのか?』
 少しばかりの疑念が頭をもたげる。そしてそれを否定する要素が何一つ無い事に誠は今ようやく気がついた。
 長いものには巻かれるたちの誠は明石の背中を見ながら薄暗い通路を二人は歩いていく。空調はもちろんだが、電灯すらついていない。こもった空気が油の匂いで満ちている。
「中佐、電気はつけないんですか?」
 思わず口を押さえながら誠はそう言った。振り返った明石は気持ちはわかると言うように誠の肩に手を乗せる。
「アブドゥールの旦那が節電しろちゅうけ、昼間は付けとらん。そして着いたぞ、ここが実働部隊の詰め所じゃ」
 そう言うと明石はアルミの薄い扉を開いた。ついていく誠の目の前に前近代的な事務机が並んだ雑然とした部屋が展開している。誠は一瞬唖然とした。
 小さな町工場の事務所にもネットに繋がる端末があるご時勢である。それに一応吉田と言う電子戦のプロが常駐する部隊である。しかし、そこの電話は懐古趣味の胡州でも見かけないであろうダイヤル式の黒電話。そして、各机には背に手書きで隊員の名前を書き付けた報告書用のファイルまである。
「ああ、そこの奥の机がワレの席じゃ。掃除は昨日カウラとアイシャがやっとったから汚れてはおらんと思うぞ」 
 明石はそのまま手前の自分の部隊長席の上に置いてあった野球の週刊誌をぱらぱらとめくった。誠は言われるままに、北向きの窓側と言ういかにも期待されていない新人を迎えるには最適な位置にある自分の席に腰掛けた。
「端末とかは無いんですか?報告書とかシミュレーションとかミーティングは……」
 引き出しを開けて確認するが、中古ではあるがそれほど汚くは無かった。明石の言うように掃除も済んでいるようで、埃も積もっていない。
「そんなものは無い!それに管理部にあげる伝票以外の報告書は手書きが原則じゃ。隊長が吉田に報告書作らせておったのがばれて、それで全部端末は取り上げられたからのう。まったくあのお人はどこまでいいかげんなものやら……ってそこ!何しとるか!」
 明石はふと手にした雑誌から目を離すと部屋の入り口の方に向かって叫んだ。
 ばつが悪そうに三人の女性士官が入ってきた。ばれるのがわかっていたとでも言うような照れ笑いを浮かべる彼女達。
 その髪の色を見れば彼女達がカウラと同じ人造人間であることはすぐにわかった。しかし、どう見てもその好奇心に引っ張られるようにのこのこ歩いてくる彼女等の表情は、これまで誠が会った人造人間達とは違っていた。先頭に立つ紺色の長い髪をなびかせている女性士官の濡れた瞳に見られて、誠はそのままおずおずと視線を落としてしまった。
 明石は彼女達の侵入を予想していたようにあきれ果てた顔をしながら手にしている雑誌を机に置いた。そして青い髪の女性士官にたしなめるような調子で語りかける。
「アイシャの。悪いがおめえの思うような展開にはならんけ」 
「本当に残念ねえ。誠ちゃん。あなたもそう思うでしょ?」 
 誠が再び顔を上げれば誘惑するような凛とした趣のある瞳が誠を捕らえた。
「まあええか。いざっちゅう時に知らんとまずいけ紹介しとくわ。こいつらがブリッジ三人娘って奴じゃ」
 投げやりな明石の言葉に三人がずっこけたようなアクションをしたので、つい誠は噴出してしまっていた。すぐさま態勢を立て直した誠を見つめている濃紺の切れ長な瞳の女性士官がすぐさま口を開いた。
「明石中佐!そんな一まとめで紹介しないでください。私がアイシャ・クラウゼ大尉。一応『高雄』の操舵手担当してるわ。この娘がパーラ・ラビロフ中尉。管制官で通常の体制の出動の際は彼女か吉田少佐の管制で動いてもらうことになるわね。そしてこのアホ娘が・・・・」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直