遼州戦記 保安隊日乗
いきなりセキュリティのスピーカーから聞こえてきたのはトウモロコシ畑で会った吉田の声だった。思わず誠は飛びのいていた。その様子を予想していたとでも言うように明石は含み笑いを漏らす。
「おい、新入り。どうだったはじめてケツの……」
こちらの行動をすべて把握してでもいるように、吉田の声がモニターから響く。誠が周りを見渡すと、天井から釣り下がっているいくつかのカメラを見つけることが出来た。おそらくはその画像で二人のやり取りを確認していたに違いなかった。
「下らんこと聞きとうないわ。それよりはよう部屋を開けんか!デクニンギョウ!」
明石が語気を荒げる。気の弱い誠はびくりと震えてその様子を見守っていた。
「そうだなあ、じゃあ『オープンセサミ』って言ってみ」
間の抜けた調子でセキュリティーシステムのスピーカーからの吉田の声が響いている。誠が心配をして明石の顔を見れば、明らかに怒りを押し殺していると言うような表情がそこにあった。
「アホか、そんなことに付き合ってられるか」
そう言う明石の言葉が震えている。こう言う親分肌の人間が怒りの限界を超えるとろくなことにならない。そう言う自己防衛本能には優れている誠が明石の肩に手をかけようとするが、さらにスピーカーからはせせら笑うような吉田の言葉が続いた。
「タコ……開けてほしくないわけ?そこは俺の管轄だ。何ならアイシャが前に書いたお前が鬼畜と化して次々とうちの整備員襲う小説、全銀河に配信してやっても良いんだぜ?」
これはかなりまずいことになった、そう思った誠だが、逆にここまであからさまに馬鹿にされた明石は冷静さを持ち直すことに成功していた。
「わかった『オープンセサミ』!」
明石が叫んだ。何も起こらない。
ここでスピーカーから吉田のせせら笑いでも聞こえたならば、明石の右ストレートがセキュリティーパネルに炸裂することになるだろう。はらはらしながら誠は状況を見ているが、吉田は何を言うわけでもなかった。
「糞人形!なにも起こらんぞ!」
痺れを切らしたのは明石だった。そう言うと明石は頑丈そうな銀の扉を叩き始めた。
「ああそこ開いてるぞ、ちゃんと気を利かせといたからな」
せせら笑うよりたちの悪い言葉がスピーカーから流れてきて誠は冷や汗を書いた。明石は顔をゆがませてこの場にいない吉田のことを殴りつけるようにドアを叩いた。
「ならなぜはじめからそう言わん!」
沈黙が薄暗い廊下に滞留する。明石はそのまま遅い吉田の答えを待っていた。ようやく冷静さを取り戻して、ずれたサングラスをかけなおすくらいの余裕は明石にも出来ていた。
「開いてるかどうか聞かなかったオメエが悪いよなあ。新入り君。お前さんの情報を登録するからセキュリティの端末に手をかざしな」
冷静さは取り戻したものの、吉田にこけにされたことの怒りで顔を赤くして震えている明石を置いて誠はセキュリティの黒い端末に手をかざした。
「OK、じゃあごゆっくり」
ゆっくりと電算室のドアが開いた。ひんやりとした空調の聞いたコンピュータルームの風が心地よい。
「あの人形。いつかいわしたる!」
冗談なのか本気なのかわからないような言葉を吐き捨てて、誠を導くようにして明石は中を覗き込んだ。
ドアが開かれると誠はそのまま凍りついたような表情を浮かべて明石を見つめた。
「ここ、軍の組織ですよね?」
正面を見つめたまま動けない誠はそのまま明石にそう言った。
「保安隊は同盟司法局の実働部隊だから軍とは言えんぞ」
明石は先ほどまでの怒りを静めて淡々とそう言った。
「ですがまあ組織としては軍と同じですよね?」
誠の言葉が微妙にかすれていた。
「まあ同盟諸国の軍人上がりが多くを占めとるのう。まあ軍組織と言ってもいいんじゃろうなあ」
明石は答えるのもばかばかしいと言うように左手の人差し指で耳の穴を掃除している。
「じゃああそこの奥においてある『銀河戦隊ギャラクシアン』第三十五話で、ギャラクシーピンクに惚れて味方になろうとしてガルス将軍に自爆させられた、怪人クラウラーの着ぐるみが置いてあるのはなぜですか?」
訴えるようにして誠は明石の腕にすがりついた。呆れるを通り越してもう泣きたい、そんな表情で誠は明石の腕にすがりついた。うっとおしいと言うように明石は誠を振りほどくと何事もないとでも言うようにコンピュータルームに入った。
「ワシに言うな!んなこと。第一、そんな細かい設定よく出てくるのう。やっぱりワレはうちの隊向きじゃ。あれはな、シャムの奴がどうしてもこの部屋入りたがらんから、仕方なくあれを着せて中に押し込む時に使うんじゃ。あのアホ、あれ着とれば安心してこの部屋に入るけ。それとよう見てみい、ちゃんと手のところは開いとるじゃろ?あれで管理部の書類とか作る時に使うんじゃ。まあ殆どは吉田が代打ちしとるがのう」
誠はようやく落ち着いたというように明石に続いて恐る恐る部屋に入った。それ以外にも怪獣のフィギュア、見覚えのあるアニメのぬいぐるみ、作りかけのプラモ、それらが18禁女性向け同人誌や、銃器のカタログや、野球の専門誌の間に置かれている。誠は改めて自分がとんでもないところに来てしまったと後悔していた。
「こんなにしてて誰か文句を言う人はいないんですか?」
呆れたように中央のテーブルに散らかっているそれらの雑誌をかき集めながら誠がつぶやいた。
「いやあ、ここは冷房が効いてるけ、ワシも野球見たりする時はここ使っとるぞ。それに片付かないことに関しては究極の部屋、隊長室があるけ。いつか見ることになるだろうが、あそこはたぶんこの部屋の数倍むちゃくちゃになっとるぞ。おかげで月に一度は茜お嬢さんが来て掃除していきなさる」
そう言うとまた明石は野球雑誌を手にしてぱらぱらとページをめくっていた。
「茜お嬢さんって……」
とりあえず雑誌を纏め終わった誠はそのまま野球雑誌を熟読しそうな勢いの明石をこの場に引き止めるために声をかけた。
「隊長の双子のお嬢さんのお姉さんのほうじゃ。東都で弁護士やってはる言う話やったな。あの嵯峨楓少佐の姉さんじゃ」
明石はそう言うと、手にしていた雑誌を誠が纏めた雑誌の束の上に乗せた。
「ああ、あの……」
誠はそこで声を詰まらせた。明石がそう言うのには、嵯峨楓少佐の胡州海軍の教導隊のエースと言う以外の意味のことをさしているのだろうということも、誠から見ればこの個性が暴走している部隊では容易く察しられた。
「わかっとる。同僚の胸揉んで有名になったあの嵯峨楓少佐じゃ。まあうちに一回来たときは結構な見ものじゃったけ。まあまた来なさることがあったらお前も見とくとええわ」
そう言うと明石はようやく仕事に目覚めたと言うように一つの端末に手をやった。
「とりあえずこいつにパスワードとか打ち込んどけ。あんまりお前の趣味に走ったの入れると後で吉田にからかわれるけ、そこんとこ少しは考えていれろや」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直