遼州戦記 保安隊日乗
ニヤつきながらラムのグラスを進める要に声をかける誠。慣れた島田の段取りから見ても、この部隊の最高実力者が明華であることは明らかで、こういった席でも仕切るのは彼女だとわかった。
「今回の作戦では警備部に二名の負傷者が出たのが残念であったが。二人とも軽傷であったことは幸いであると言える。今後、予想されるさまざまな状況の変化に対応すべく諸君等は十分に……」
「長えな」
ぼそりと嵯峨が呟くのを見て、明華は切り上げる決意をした。
「実力を発揮して保安隊の発展に寄与する事を期待する!では杯を掲げろ!」
誠、要、カウラ、アイシャ、シャムが杯を掲げる。他のテーブルの面々もコップを掲げている。嵯峨もめんどくさそうに猪口を持ち上げる。
「乾杯!」
『乾杯!』
全員がどっと沸いて酒をあおる。
シャムがテーブル全員のコップと乾杯をすると、さらに明華達のテーブルに出かけていく。
「大丈夫か?」
コップを空にした誠が、要の声に気づいて、その視線の先を見た。
カウラが一息でコップの中のビールを空けていた。誠、要、アイシャはじっとその様子を観察している。
「大丈夫みたいだな」
「舐めるな西園寺、別にどうと言う事はない。なるほど。これがビールか」
ごく普通に立っているカウラ。
「肉、煮えたんじゃないの?」
アイシャはそう言うと土鍋の中を箸でかき回して肉を捜す。
「オマエは野菜を食え!」
「要ちゃんが食えば良いじゃない」
「肉を入れたのはアタシだ」
「取ってきたのアタシだよ!」
シャムが手を上げるとその後頭部を小突く要。
「テメエは隣の鍋で食ってたろ!」
三人はいろいろ言い合いながらも、土鍋をつつきまわしていた。
「じゃあ春菊入れますね」
「神前、気が利くじゃないか?それと豆腐も入れろ!」
「要ちゃん、豆腐苦手じゃなかったの?」
「馬鹿言うな!鍋の豆腐は絶品なんだ!っておい!」
要はカウラを指差して叫んだ。自分用に注いでいたラム酒を一息で空にしたカウラ。エメラルドグリーンの髪の下。白い肌が急激に赤くなっていく。そして彼女を中心としてしばらく奇妙な沈黙が流れる。
「なるほろ。これがラム酒ろいうものなろか?」
ろれつが回っていないカウラが出来上がった。アルコール度数40度のラム酒をグラス一杯開けたカウラがふらふらし始める。
「神前!支えろ!」
要がふらふらとし始めたカウラを見てすぐに叫んだ。誠はカウラの背中に手を当て支える。カウラは緩んだ顔をとろんとした緑の瞳で誠を見つめる。
「誠君。気持ち良いのれ、ふらふらしちゃってますれす」
完全に出来上がっている。頬を赤く染めて、ぐるぐると頭を動かすカウラを見て誠は確信していた。
「大丈夫ですか、カウラさん」
「大丈夫れすよ!大丈夫!おい!そこのおっぱい星人!これに何をれらのら!」
「それはアタシのグラスだ!テメエが勝手に飲んだんだろうが!」
「駄目よ要ちゃん。酔っ払いをいじめたら」
要は睨みつけ、アイシャはそれをなだめる。初めての状況だと言うのに二人は完全に立ち位置を決めていた。そして当然、誠は介抱役。
「ベルガー大尉。しっかりしてくださいよ!」
「誠君。ベルガー大尉ら無いのれすよ!カウラたんなのれす!」
そう言うと今度は急にしっかりとした足取りで立ち上がる。
「何!どうしたのって、まあ!カウラ。・・・西園寺!あんたでしょ!あの子に飲ませたの!」
騒ぎを聞きつけた明華、リアナ、マリアの三人がやってくる。
「姐御!アタシじゃねえよ!あの馬鹿が勝手に飲んだんです!」
三人の目はまるで要を信じてないと言う色に染まっていた。
「カウラちゃんすっかり出来上がって。神前君、介抱お願いね」
リアナはそれだけ言うと、カラオケの方に足を向けた。
「どんだけ飲んだんだ?ベルガーは」
「ラム酒をコップ一杯」
「まあ同じ量でアイシャが潰れたこともあったしな。それにしても情けないな」
ウォッカをあおるマリア。こちらはまったく顔色が変わっていないのに驚かされる誠。
「許大佐!シュバーキナ先任大尉!お二人にお願いしたい事がありますれす!」
急に背筋を伸ばし敬礼したカウラ。要とアイシャはいかにも嫌そうな顔でカウラの動向を見る。
「何よ。言ってみなさい」
完全に面白半分と言うような調子で明華がたずねる。
「わらくし!カウラ=ベルガー大尉はなやんれいるのれあります!」
「何言い出すんだ!馬鹿!」
要が思わずカウラを止めようとするが、明華はすばやくその機先を制する。
「そう。じゃあ上官として聞かなければならないわね。続けなさい」
いい余興と言った感じで明華は話の先を促した。
「はいれす!わたひは!その!」
またカウラの足元がおぼつかなくなる。仕方なく支える誠。エメラルドグリーンの切れ長の目がとろんと誠を見つめている。
「うぜえよ!酔っ払い。さっさと話せ!」
カウラから奪い取ったグラスにラム酒を注ぎながら、苛立つ要。しかし、誠から離れたカウラの瞳がじっと自分を見つめている、自分の胸を見つめている事に気づくと、要はわざとその視線から逃れるように天井を見てだまって酒を口に含む。
「このおっぱい魔人が神前少尉をたぶらかそうとしれるのれあります!」
思わず噴出す要。何故か同調して頷くアイシャ。
「たぶらかすだと!なんでアタシがそんな事しなきゃならねえんだ?まあ、こいつが勝手に、その、なんだ、あのだな、ええと……」
「たぶらかしてるわね」
ピンクの髪をかきあげながら、ビールを飲み干すとパーラが言った。その一言に鍋を見回ってきていた島田とサラも頷いている。
「テメエ等!無事に地面を踏めると思うなよ!」
「だって事実じゃないの?どう思う正人?」
「俺に振るな」
サラと島田は要のタレ目の中に殺意を感じて、この場に来た事を後悔している様に見えた。
「じゃあ聞くわよカウラ。この腕力馬鹿と神前少尉がくっつくとなんかあなたにとって困る事があるわけ?」
明華はいたずらっぽく笑うとカウラにそうたずねた。マリアの笑顔も状況を楽しんでいる感じだ。誠は助けを呼ぼうと嵯峨達のテーブルを見る。
鍋を楽しもう、隣のどたばたを肴に。そんな表情の二人。嵯峨と明石は視線は投げていないものの、口に猪肉を頬張りながら、誠たちのテーブルの動静を耳で探っているようだった。
「それはれすね!西園寺のような暴力馬鹿に苛められると、誠がマゾにめざめるのれす!そうするとアイシャが噂をながすのれす!困るひろはわらしなのれす!」
「そいつはまずいなあ」
「そうですなあ」
嵯峨と明石は完全に傍観モードで相槌を打つ。
「どう困るの?」
一方、明華は笑いながら理性の飛んでるカウラにけしかける。誠は時々バランスを崩しそうになるカウラを支えながら心の中で叫んでいた。
『誰か止めて!』
しかし誰も止めるつもりは無い。カラオケが始まり、リアナお得意の電波な演歌が始まる。 リアナに半分脅迫されただろう技術部員が、神妙な面持ちで苦行が終わるのを待っている。それでもまだカウラの演説は続く。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直