遼州戦記 保安隊日乗
「近藤君には今回の事件の責任をとる義務がある。そのことは理解してもらっているだろうが、俺も宮仕えの身だ。君がこれから司直の手に渡り、君がかかわったあまり表ざたに出来ない胡州のスキャンダルが明るみになって困る人間がどれだけいるかよく知っているつもりだ」
思わせぶりにつぶやく嵯峨。彼の言うとおり、近藤が作り上げた遼州から胡州へ流れる資金の流れが司直の手に渡れば再び胡州の完全なる独立、反地球、反遼州の志を持った同志の登場を待つことができなくなることは容易に想像がついた。そして胡州はそれらの牙を研いでいたと言うことで同盟内部での立場を失い発言力を失うことは目の前の卑怯な指揮官の考えの中にも有ることだと理解できた。
「何が言いたい!」
近藤は目の前の悪魔の契約を提案してくる男を最後の力を振り絞ってにらみつけていた。嵯峨にとってはこれはすべては出来レースだったのだろう。自分は目の前に居る化け物の仕掛けた罠に尻からはまり込んだ間抜けな鼠でしかない。
返り血を浴びながらも平然として自分を眺めている嵯峨に、近藤はただ嵯峨の提案を聞く以外のことはできそうに無かった。
「怖い顔しなさんなって。君も少しは覚悟くらい出来てるだろ?」
悪党の悪事をなし終えた後に出る笑み。嵯峨の表情を今の近藤はそう読むことしか出来なかった。まさに憎むべき敵。そう思うとなぜか安心して力が戻ってくるのを感じる。
「そこで優しい俺はそこで三つの提案をしたいんだが、どうだろう?」
近藤は目の前の化け物に対峙するには自分がいかに非力な人間かということを感じていた。
「一つ目は腰にぶら下げている拳銃の銃口を咥えて引き金を引く。きわめてシンプルで効率のいい方法だ。簡単だろ?俺もそうしてくれると助かる」
そう言うとゆっくりとタバコをくゆらせ、廊下から逃げ出そうとするブリッジクルーを見送る嵯峨。
「二つ目はちょっと俺が仕事をしなければならんな。ここからそっちまで一気に跳んで、そのまま君の首を落とすという寸法だ。まあ確実に墓場へ秘密を持って帰りたいと言うならこの方法も悪くはないな」
「三つ目は?」
近藤は思わず叫んでいた。それでも嵯峨の余裕の笑みは消えない。
「君も誇り高き胡州海軍の将校だろ?なら言うまでもないんじゃないか?」
そう言って笑う嵯峨。かつて遼南で数知れない反政府ゲリラをなで斬りにしたと言うこの化け物。その矛先が自分に向いているというのに近藤の心は穏やかになっていく。きっと嵯峨にとって見れば潤沢な資金を用意して同志を増やすなどと言う自分のやり口など生ぬるくて鼻歌でも出るような事柄なのだろう。そして自分がどのような最期を迎えようと目の前の悪党には何の関心も無い出来事にしか映ることはない。そんな自分が胡州軍人らしい最期として選ぶもの。
「腹を切れと言うのか?」
嵯峨の笑みが狂気ともいえる色に染まる。
「分かってるねえ。さあ、どうする?時間はないぞ」
そう言うと嵯峨は吸殻を足元に捨て、踏み消す。
「介錯はしてもらえるんだな?」
ゆっくりと短刀を引き抜く近藤の手には震えは無かった。
「焦りなさんな。刀を腹に突き立てて、横に引くところまで待ってやるよ」
近づいてくる嵯峨、肩に背負った刀から血が滴り落ちているのが見える。近藤は静かに座ると、短刀をじっと見つめる。
「何か言い残すことは?」
事務的な嵯峨の言葉。おそらく自分と同じ境遇の人間の介錯をしたことがあるのだろう。近藤は大きく息をして嵯峨を見上げた。
「遺書は執務室にある」
そう言うと近藤は自らの腹に短刀を突き立てた。焼け付くような痛みがこみ上げる。
「うっう」
息が漏れ自然と声が出る。腹からの痛みに短刀を握っていた手がずれてもう一度短刀を握りなおす。
「静かに横に引け」
明らかに見慣れていると言うような顔をした嵯峨がゆっくりと刀を振り上げる。
「うっ」
ようやく傷口が広がりかけたところで、嵯峨の顔を見上げる近藤。
「地獄で待ってな!」
そう言うと嵯峨は刀を振り下ろした。近藤の首は床に転がり、胴体もしばらく痙攣したあと倒れこんだ。
「でもすまんな、俺はしばらく行けねえんだ」
そう言いながら嵯峨は荒れた息を整えた。
今日から僕は 28
「一服しようかね」
嵯峨は刀に付いた血を左腕の袖で拭うと、再びタバコをつけた。胴を離れた近藤と呼ばれていた男の頭部。それが転がって目を見開いた状態で自分を見つめている。嵯峨にとってそれはあまりに見慣れた光景だった。
マリアと彼女の部下達がブリッジに現れたのはその時だった。
「艦の制圧、完了しました」
「そうかい」
それだけ言うとゆったりとした足取りで通信担当将校の席の前に立つ。
「吉田の!聞こえるか?」
「すべて準備OKですよ!」
吉田の声と同時にモニターの全機能が回復する。マリアが倒れている二つの死体を指差すと部下達は広げ始めた携帯用のシートを二つの死体にかぶせる。
「マイク、生きてるよね」
当たり前のことを言い出す嵯峨に呆れるマリア。その今にも食いつきそうな表情に肩をすぼめながら、嵯峨は話を続けた。
「保安隊各員に告げる。近藤中佐は自決した。状況を終了する。繰り返す!状況を終了する」
嵯峨はそう言うと静かにそこの椅子に座った。そして再び胸のポケットからタバコを取り出して火をつける。
「現状は保存しておいたほうが……」
そう言い掛けたマリアだが、うつろな嵯峨の表情を見て言葉を飲み込む。彼女が確認しただけで16体の斬殺死体が確認されている。戦闘中の高揚感が去った今では嵯峨の姿は恐怖の対象にも見えた。そんな彼女を照らすように『高雄』からの映像がモニターに映る。動きを止めた近藤派のアサルト・モジュールが静かに漂っている様が見えた。
「残存アサルト・モジュールはどうしたい?」
「投降を希望しているようです」
「一応お客さんだ。こっちつれてきな!」
そう言うと嵯峨はゆっくりと咥えていたタバコの煙を吸い込んだ。
「そう言えばシュバーキナ!うちの損害は?」
「三名負傷ですが、全員軽傷です。シャムが上手く動いてくれたおかげで人質も迅速に解放できました」
「そりゃあよかった。ベルガー!そっちはどうだ?」
「損害無し。現状では機体に異常は見られません。第二小隊は直ちに撤収を開始します!」
モニターの隅に浮かんだカウラと要の表情が目に入る。隊長のカウラはヘルメットを脱いで大きくため息をついていた。彼女のエメラルドグリーンの髪が無重力に漂っているのが見える。
誠はモニターを眺めながら身体全体の力が抜けていくのを感じていた
「カウラさん。生きてますよ、僕」
「そうだな」
カウラは笑っていた。感情がある。自分にも感情があると言うことに少し戸惑いながら、シートに身を投げている誠の姿を眺めていた。
「海、行けますね」
そこまで言うと誠は崩れ落ちるように倒れ、意識を手放した。
「新入り!どうした!新入り!」
サイボーグ用のモニター付きヘルメットを脱ぎ捨てた要が、今にも泣き出しそうな調子で叫んだ。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直