遼州戦記 保安隊日乗
「どう言う事だ!」
近藤は叫んだ。
「判りません!すべてのシステムがダウン!艦内管制すべてカットされています!」
艦長が不安げな顔を近藤に見せる。近藤はただ呆然と正面の何も無い空間を見つめているだけだった。そして、敵に回したひねくれた顔の少佐の顔を思い出した。
「やられた!吉田少佐だ!艦内モニターはどうなっている!」
近藤は目の前が白くなっていくのを感じていた。
『すべての特機は陽動。本艦への白兵戦攻撃が本命か!』
「第23番脱出口の映像が生きています!拡大します!」
近藤は映された画面を見て絶句した。
「嵯峨……、惟基……」
帽垂付の遼南戦線向け胡州将校用略帽を被り、ダンビラを抜いて第六惑星3番衛星系連邦の特殊部隊上がりの精鋭を付き従えた大男が、はっきりとカメラのほうを意識して見つめていた。
『近藤君、見てるかね。まあ他に見るものもないだろうから、見といてくれよ』
カメラに向けてはっきりと嵯峨は言った。
『シャムは艦尾、マリアは手順通りに拘束された兵の救出にあたれ!』
珍しく発せられた嵯峨の命令を聞くと、二人は整列した隊員に命令を下した。きびきびと与えられた任務にかかる嵯峨の部下、近藤からすれば地球に魂を売った犬どもが動き始める。
『返事はいいや、聞こえてるんだろ?近藤君。俺はこれからそっち行くから、ちゃんと玉露と茶菓子でも用意して待っててくれや』
嵯峨はそう言うとモニターの画面から消える。
しかしすぐコントロールが奪われた艦内監視用カメラは次の映像、忍び足でブリッジへ続くエレベータのところまで行く嵯峨の姿を捉えた。
「連絡は出来んのか!」
近藤は叫んでいた。先の大戦の直前に地球との開戦を主張する軍部との政争に敗れて、汚れ仕事を与えられても生き続けた不死身の指揮官の異名を持つ嵯峨。それと対峙する恐怖が彼の掌に汗をかかせる。
「無理です、艦内の管制機器はすべて乗っ取られています!こちらからの操作に一切応じません!」
「近藤中佐。とりあえずここのクルーだけでも武装の許可を」
暗い面持ちで語りかける『那珂』艦長。
「すぐさま白兵戦闘に向け準備にかかれ!」
帽子を被りなおしながら静かに言葉を搾り出した近藤。クルーは一斉に足元から自衛用のサブマシンガンを取り出してマガジンを差し込むとボルトを引き装弾する。
画面の中では突然の事態と連絡もなく現れた嵯峨の存在に驚きながら、拳銃をホルスターから出そうとしては惨殺されていく同志の姿が映し出されている。
『ずいぶんな歓迎だな!だがもう少しましな連中を用意してくれよ。これじゃあ俺が弱いものいじめしているようにしか見えないじゃねえか』
嵯峨の上半身は5人目のクルーを斬った頃には、返り血で紅く染まっていた。
「本当に一人で来るつもりなのか?」
「一箇所だけ、この部屋のドアの開閉は操作可能です!」
補助通信士が呆然と画面を見つめている近藤に伝わった。
「そうか、全員の武装は終わっているか?」
自分の言葉が震えているのがわかる。かつて彼が立案し、頓挫した作戦で死んでいった指揮官はこんな気持ちだったのか。そう思うと皮肉にも笑みすら浮かんでくる。
「大丈夫です。中佐はどうされます?」
「私はいい」
腰のホルスターに手をやった近藤だが、すぐに手を引っ込めた。
『所詮は刀のみ装備した敵だ。一斉射すれば蜂の巣にできる』
近藤はそう確信していた。しかし、おそらく吉田が近藤に恐怖の味を見せ付ける為だけに映っている画面で、もう十二人目の同志である機関員を袈裟懸けにした嵯峨の妙に余裕のある瞳に一抹の不安を感じていた。
『ったく、部下を捨て駒にするたあ、やっぱり政治家ぶら下がりの本部付きエリートは考えることが違うねえっと』
十三人目の前部ミサイル砲手の首が胴を離れ、頚動脈からあふれる血が天井を染める。
『何を考えている!あいつは何を考えている!』
ブリッジ要員は全員ドアに銃口を向けたまま待機していた。
モニターの中の嵯峨はエレベーターにたどり着き、ブリッジのある最上階のフロアーに到着した。今度はブリッジの隔壁に仕掛けられたモニターの映像が映っている。明るめの茶色の開襟将校服。その多くは赤黒く、近藤の同志達の血で染まっていた。
確実に大きくなるその男、嵯峨惟基の影。
「各員短機関銃を構えて敵を待て!」
艦長のその言葉に隔壁を包囲するように並ぶ、ブリッジクルー。モニターにはドアの向こうで立ち止まった嵯峨の姿が映る。
ドスン。
嵯峨は隔壁を蹴った。
『お客さんを迎える準備はできたか!』
そう言いながら、嵯峨は将校儀礼用長靴で隔壁を蹴飛ばし続ける。
「今だ!隔壁開け!撃てー!」
艦長のその声で隔壁が開く。
ブリッジクルーは一斉にフルオート射撃をドアの向こうに立っているであろう敵の総大将に浴びせた。弾幕は何かに突き当たるかのように広がり、視界が利かなくなってきていた。それでも兵士達は何かに憑かれたかのように予備の弾倉に交換してまで射撃を続ける。そして煙で視界が利かなくなったとき彼等は射撃を止めた。霧のようなものの向こうには何があるのか、それを確認するために、先任将校の操舵手がゆっくりとその霧のほうに近づいた。
銀色の一閃がその右肩から左腰に走った。腹から内臓を垂れ流して、操舵手はそのまま事切れた。
「塩水どころか鉛弾の歓迎か?俺の居ないうちにずいぶん胡州軍の歓迎は手荒くなったもんだねえ」
煙の中の見下すような視線、自虐的な笑み。
傷一つない姿で嵯峨はそこに立っていた。
「貴様!なぜ!」
「近藤君。君はさっきまでうちの悪餓鬼達の戦闘を見ていなかったのか?あれが典型的な法術兵器の運用方法という奴のお手本だ。そして今あんたが見てるのは、それの白兵戦時の応用というわけだ。いい勉強になったな。感謝しろよ」
肩に愛刀『長船兼光』を背負い、胸のポケットからタバコを取り出し一服つける嵯峨。
「安心しな。俺が興味があるのは近藤君だけだから。近藤君。部下を粗末にしてはいけないねえ。特に信頼できる部下は貴重だ。国を思うなら彼らは生きながらえる義務がある。そう思わんか?」
目の前にある現実を受け入れるべきかどうかためらっているブリッジクルーを余裕たっぷりにそのニコチンでにごっている瞳で嵯峨は見回す。
「なるほど」
近藤は口の中に溜まったつばを飲み込む。もはや雌雄は決している。嵯峨の瞳で魅入られた部下達はすでに銃を投げ出す準備をしていた。
「艦長!君は部下を連れて外へ出たまえ」
「しかし!それは……」
「全責任は私が取る!」
ヒステリックに叫ぶ近藤。艦長は海軍指揮の敬礼をすると呆然と立ち尽くしている部下を、一人一人、平手で正気を取り戻させる作業にかかった。
「ここで親切な俺から提案があるんだが、聞いてもらえるかね?」
近藤の癇に障るような余裕のある笑みを浮かべながら嵯峨は切り出した。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直