遼州戦記 保安隊日乗
ともかくシャムは非常に元気である。誠はそれまでの緊張感が一気にほぐれたような気がした。
「それなら伺いますが、隊長っていつもああなんですか?」
「ああって?」
「まあ何でもめんどくさそうにするのは前から知ってたんですが、直前になるまで作戦の細目は教えてくれないし、それも無理っぽい作戦だと言うのにまるで勝つことが決まったような口ぶりで話すし、それに……」
言い出したらきりが無い。雲をもつかむような曖昧な説明と投げやりな態度。どちらにしても始めての作戦行動に向かう誠にとって不安要素以外の何者でもなかった。
「大丈夫だって!少なくとも隊長の指示で動いて負けた事ないから」
「そうでもないぜ。先の大戦じゃあ叔父貴の部下の九割は死んでるんだ。今回だって人死にが出てもおかしくないんじゃねえの?なあ神前」
タバコを吸い終わったようで、隊長室から出てきた要がそう水を差した。
「奴は楽しんでんだよ。オメエみたいに物事悪く考える癖のある奴にゃあ、さぞとんでもないバケモンに見えるかも知れねえがな」
そう言いつつ黒いタンクトップの上に乗っかった顔は笑みを浮かべている。
「西園寺さんは気にならないんですか?」
頬のところで切りそろえられた髪を揺らしているその姿に一瞬心が揺らいだが、誠は確かめるようにして切り出した。
「気になるって?アタシは元々要人略取とか破壊工作とか、まあまともな兵隊さんがやりたがらないような仕事しかしたことねえしな。隠密活動じゃ情報が命だ。それに標的が予定外の行動をとることもざらにある。作戦開始前まで作戦内容が伏せられているなんてのも日常茶飯事だ」
「そうなんですか」
知り抜いたような要の顔に誠は何かをあきらめるべきなのだろう。明らかに戦力で劣る保安隊が独自で近藤中佐の逮捕を狙うのならば誠一人の安心感が犠牲にされるのも当然の話。そう誠は思いなおした。
「で、このチビは何してるんだ?」
要はいつもどおり珍獣を見るような視線をシャムに送った。誠も要との間に突っ立っているシャムを見つめる。
服務規程に有るとおり、どう見ても特注品だと思われる子供サイズの深い緑色の作業服を着ている。
「どうしたの?二人とも」
「いやあ、オメエがいつもどおりチビで安心したなあ、と思ってただけだよ」
「要ちゃん!酷いんだ!せっかくいいこと教えてあげようと思ってたのに!」
「あのなあシャム。オメエにモノ教わるくらいアタシは落ちぶれちゃいないんだ。分かったらさっさとション便して寝ちまえ」
「誠ちゃんも何とか言ってよ!」
子供とそれをあやす気のいいお姉さんだな。誠はそんな感じで二人を見ていた。それでもシャム以外に頼るものも無いので誠は少しばかり気にはしていた疑問をぶつける事にした。
「シャムちゃん」
「なあに誠ちゃん!」
いつもと変わらずシャムは元気である。
「何でコスプレしないんですか?」
誠が気にしていたのはその一点だった。駐屯地では軽く済んで猫耳。ひどい時は着ぐるみで隊内を歩き回るシャム。それが『高雄』に乗り込んでからはまったくそんなそぶりは見せない。吉田と一緒に私室に大量のそれらしい荷物を積み込んでいた割にはまったくそれを着るそぶりも無い。
シャムの表情が曇った。誠を見上げるその目はこれまで見た事がないほど鈍い光を放っている。
「それはね。誠ちゃんもこれから何が起こるか知ってるんでしょ?」
「とりあえず騒乱準備罪での近藤中佐の捕縛作戦ですが」
特にその目つき以外に何が変わったと言うわけではない。しかし、その目の色のかげり具合から誠は恐怖のようなものを感じた。彼女が歴戦のエースであることがこの瞬間に誠の脳裏にひらめく。
「それだけじゃないの。たくさんの人がまた死ぬんだよ。そしてアタシも、たぶん誠ちゃんもたくさんの人を殺すんだよ。そんなところでふざけてなんていられないでしょ。だから、と言う事でわかってもらえるかな」
シャムの視線が痛い。実戦は殺し合いだと言う事を知り尽くした目。あえてその視線の変化を理解しようとすればそんなことだけが浮かんでは消えた。
「そうですよね。これは戦争なんですよね」
真剣な、どこか陰のある目つきのシャムに、誠は少しばかり狼狽しながら答える。
「まあ法律的な見かたからすりゃあ戦争じゃないとはいえるが、どっちにしろ命のやり取りする事になるのは間違いねえけどな。まあアタシは人が食えりゃあ文句はねえ」
要の視線。それに狂気じみた口元の笑み。誠は以前、彼の救出作戦のおり垣間見た、殺戮マシンとしての彼女を思い出して絶句する。
「シャム。その甘さが命取りにならんように気をつけな。神前!アタシはとりあえずハンガー寄ってくがどうする?」
誠の目を見つめる要。なぜか彼女は後ろめたいことでもあるようにすぐに視線を落としてハンガーを目指す。
「素直じゃないのは要ちゃんも一緒だね!」
記憶と言うものがあるのが不思議になるほどの急な展開で陽気になっていたシャム。彼女の言葉に要が振り向いた
「そりゃなんだ?誰と一緒なんだ?」
「カウラちゃんと!」
「おい、チンチクリン!あんな、人相の悪い洗濯板堅物女と一緒にするんじゃねえ!」
「じゃあ要はタレ眼おっぱい凶暴女だね」
「言うじゃねえか!こっち来い!折檻してやる!」
要はヘッドロックでシャムの頭を極めながら歩き始めた。
「痛いよう!」
あれほど冷酷な表情を持ち合わせている二人が、次の瞬間にはこんな馬鹿な遊びに興じている。実戦に慣れるということはこういうことなのか、誠はそう思っていた。
「とりあえず僕は仮眠を取るんで私室に帰ってもいいですか?」
「薄情モノは帰れ!」
じたばたと暴れるシャムをヘッドロックで極めながら要はそうはき捨てるように言った。
誠はとりあえずその場を離れた。エレベーターの前では金色の短めの髪が人目を引くマリアが一人でエレベーターを待っていた。
「どうした?西園寺やベルガーやクラウゼと一緒じゃないのか?」
「一人です」
「そうか」
正直、誠は間が持たなかった。きつめの美女と言う事ではカウラと似た所があるがカウラが見せるさびしそうな表情はマリアには微塵も無い。どこと無く人を寄せ付けないようなオーラ。それがマリア特有の雰囲気だと誠は思っていた。
「二日後には我々は戦場だ。思うところがあれば、するべきことはして、言うべきことは言っておくべきだな。戦場ではいつだって不可抗力と言うものが働くものだ。絶対は存在しないものだ」
「はあ」
真剣な視線を送る青い瞳が誠を射抜く。そして次の瞬間にはにこやかな笑みが広がっていた。
「神前。君には私としてはかなり期待しているんだ。事実、シン大尉が第二小隊の隊長をしていた時よりも西園寺はかなり穏やかになったし、ベルガーも角が取れてきた」
「そうなんですか」
エレベーターの扉が開き、マリアが先頭で乗り込んだ。誰もが言う二人の変化。それに誠はどうしても気づくことが出来ない自分の鈍感さに呆れていた。
「シュバーキナ大尉」
誠はとりあえず自分の中に詰まった恐怖に似たようなものを話してみる事にした。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直