遼州戦記 保安隊日乗
無情に答える明華に向かい、思わず誠は叫んでいた。
「ちゃんと格闘用のサーベルがあるでしょ?それに一応この中では撃墜スコアーの多いリアナがついていてくれるんだから。ハンデよ!ハンデ」
誠はどうにも釈然としなかった。これから向かう宙域はかなりの危険度を伴っているはずだ。
「サーベル一丁で何をしろって言うんですか?」
「まあいいじゃない。実戦でも要ちゃんとカウラちゃんが守ってくれるわよ!」
能天気にリアナがそう言ってくれる。誠はあきらめて他の計器を確認する作業に入った。
素手にサーベルのみだが、それ以外の障害は何も無い。
「ルールは簡単よ。相手を全滅させた方の勝ち。それでいいわね?リアナ」
「ええいいわよ。じゃあ誠ちゃん、お願いね」
青いリアナの味方機と、赤い明華とアイシャの機体を確認すると誠は操縦桿を握り締めた。
「誠ちゃん」
リアナが味方機向けの秘匿回線を開いてきた。
「明華ちゃんのことだからたぶん私から先に倒す作戦で来るわね。だから囮になってくれないかしら?」
「囮ですか?」
確かにリアナが落とされてサーベル一丁しか装備していない自分が残されれば、袋叩きにされるのは実戦経験が無くても分かる。それにリアナは上官である。気の弱い誠が逆らえるわけも無い。
「分かりました。鈴木中佐はどう動くんですか?」
「鈴木中佐なんて……お姉さんでいいわよ、みんなみたいに呼んでね」
明るく元気なリアナ。彼女はベテランパイロットらしく周辺の海図を拡大してじっと見つめている。
「とりあえずここのデブリの多い宙域での戦闘が有利ね。誠ちゃんに相手を引きつけてもらってる間に迂回して後方を突く作戦で行きましょう。ああ見えて明華さんは慎重だから」
誠の前のモニターにもリアナが提示した空域の海図が映っている。ベテランの判断に異議を挟むほど誠には経験も自信もなかった。
「了解しました!じゃあデブリ帯の奥に下がり……」
「あんまり中に入ったらおとりの意味が無いわ。とりあえずデブリの際でチョコチョコ動き回って相手をひきつけるのよ」
誠は実戦経験者であるリアナの指示に従うべく頷いた。
「リアナ!そっちの作戦は決まった?」
通信ウィンドウが開き、明華の甲高い声が響く。
「いいわよ、じゃあ……始め!」
リアナの一声で模擬戦が始まった。
誠は各種センサーの動きを見ながら、とりあえずデブリの濃い宙域の入り口で機体を安定させた。
センサーに反応は無い。
「どうせ囮だ。見つかるのは覚悟のうえで……」
パッシブセンサーの出力を上げる。
しかしデブリの中である。05式のステルス性能は今の所、主要国で主力機として配備されているアサルト・モジュールでも屈指だ。
「見つかるわけが……」
センサーに一瞬、高速で移動する影がうつった。
「来たな!」
05式の腰に下げられたサーベルを抜き、全周囲型モニターでセンサーに影がうつったあたりを目視する。
ちらり、ちらり。
確かに何かが接近してきているように感じた。弾切れのランプが点滅しているミサイルの発射ボタンが恨めしく感じられる。
『アイシャさんのメイン装備は120mmレールガン。そして、許大佐のメイン装備は250mm重力波ライフル。おそらく前衛はアイシャさん!懐まで飛びこめなければ勝ち目は無い』
操縦桿を握る手が、ぬるりとすべるほど汗ばんでいる。
こめかみの辺りが痛い。
意識しなくても心音が聞こえる。
学生野球の試合、東方大学との3部入れ替え戦、一点を勝ち越した直後の九回の裏二死満塁の場面を思い出した。
「あの時はインコースに投げたカーブがすっぽ抜けて押し出しの死球だったんだな」
なぜそんなネガティブなことばかり思い出すのだろう。
誠は自分にもっとプラスになるような暗示をかけようとするが、そうすればするほど呼吸が荒くなっていくのが分かる。
その時、警戒していた宙域に明らかに何か動くものを見つけた。
「来るか?」
操縦桿を握る手が重い。
まるで他人の手だ。
誠はいったん操縦桿から手を離し、ゆっくりと深呼吸をした。
もう一度操縦桿を握る。
少しは腕も動くようになった。誠は頭部の望遠モニターで影がちらついている宙域を拡大する。
予想通りだ。
アイシャはリアナの重力波ライフルでの狙撃に備えて、波動パルスエンジンの特性を生かしたジグザグの線を描きながらこちらに向かってきている。
周りにはいくつかの大き目のデブリ。
おそらくはそのどれかの裏で、長いライフルの銃身を固定し索敵している明華の機体があるだろう。
試しに少しだけ機体を前進させる。
撃ってこない。
だがこちらが確認されていないという保障は無い。
まだ前衛に当たるアイシャが到着していないためにこちらの位置が把握済みでも自重している可能性がある。
さらにデブリの中を移動しているリアナ機のことを考えれば、自分を確実に倒せる状況であり、なおかつ何処から飛び出るか分からないリアナに備えることが出来る状況を待っていると考えた方が自然だ。
考えがまとまると、誠はまた少し機体を後退させた。
突然アラームが鳴り、ロックオンされたことを示す表示がモニターに示される。
「何処だ!」
操縦桿を握る手に力を込め、デブリの中で自機をランダムに振り回す。
前衛のアイシャ機がデブリの中を掃射する。多くはデブリを打ち抜くが、何発かが誠の機体をかすめた。デブリの外れで機体を立て直すと、ようやくアラームが切れた。
しかし、そこで誠は自分が致命的なミスをしていることを悟った。
デブリの散らばっている範囲が狭いのだ。
ここから出ればほぼ確実に明華の狙撃に逢う。
かと言ってそう広くない範囲を動き回っていれば、ほぼ特定された場所の周りを飛んでいるアイシャの襲撃にあう。
『とりあえず、囮なんだ。時間さえ、時間さえ稼げれば!』
そう言いきかせるものの、体は次第に緊張のあまり硬直を始める。
とりあえずアイシャ機が突入をしてこない所から見て、まだこちらの正確な位置は確認されてはいないのが唯一の救いだった。
『リアナさん!早くしてください!これじゃあ支えきれません!』
誠は心の中でそんなことを思いながらデブリ帯の中心で機体を安定させる。
呼吸はかなり乱れている。心拍数が上がる。額からの汗もかなりの量だ。
再びロックオンされたことを示す警報が鳴る。
機体を振り回しにかかった時、あることに気がついた。
東和軍本部で05式のシュミレーターをやったときに比べて、明らかに機体の動きがいいのだ。
実際ここまで狭い範囲に追い詰められたら白旗を揚げるところだが、機体をランダムに動かしているだけでロックオンされても脱出できた。
『この機体……。いけるかもしれない!』
誠はそう思うとデブリの入り口でワザとゆっくりと機体を前進させてみた。
アイシャは乗ってきた。
警報が鳴るが、誠にはかわせる自信があった。
レールガンの連射速度はそれほど速くない。
デブリに機体を沈めるだけで、すぐにアイシャの射界から脱出できる。
消えた誠機を探すべく、アイシャが機体の速度を緩めた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直