遼州戦記 保安隊日乗
『今なら!』
誠がデブリから飛び出したとたん、アイシャとは別の方向からロックオンされた警報が鳴った。
「許大佐か!」
誠が一瞬自分の未熟さを後悔するが、回避行動に移りかけた瞬間にアイシャ機が背中からの狙撃を受けて撃墜された。
「リアナさんが間に合ったのか!」
誠はすぐさま明華の待機地点と思われる戦艦の残骸の後ろからやってくる友軍機を見つけた。
『今ならいける!』
別に何も根拠は無かったが、誠は最大出力で先ほど当たりをつけたデブリ帯に突撃をかけた。
「牽制するから一気に距離を詰めて!」
通信ウィンドウが開き、リアナの声が響く。
一発、明華機の重力波ライフルが掠めるが、リアナ機と挟まれているだけあって照準は正確さを欠いており、楽にかわしてさらに距離を詰める。
「いける!」
長い重力波ライフルの銃身が予想をつけたデブリの端から見える。
誠は読みが当たったこともあり、先ほどまで自分を縛っていた縄が解けたような感じで思ったように機体が動いているのが分かる。
「悪いけど私がもらうわ!」
リアナの声が響き、明華機が身を翻して射界からの脱出を図っているのが見える。
誠の機体に飛び道具が無いことを知っている分、誠側からの攻撃が遅いと知っての行動だろう。
しかし、ほとんどリアナ機に神経を集中している明華の機体が大きく見え始めるにつれ、誠は口元に笑みが浮かんでくるのを抑え切れなかった。
その時、シミュレーターの画面いっぱいに、パーラの顔が映った。
「お姉さん!隊長から出港命令が出ました」
誠の体から不意に力が抜ける。
それまで止まっていた汗が、再び滲み始める。
しかし、リアナは少し息を漏らしただけで、特に残念がる様子も見えなかった。
「じゃあおしまいね。明華!とりあえずブリッジに上がらなきゃいけないから」
シミュレーターの電源が落ちる。
ハッチが開き、誠は明華とリアナがこちらの方を見つめているのを感じた。
「明華ちゃん。言ったとおりでしょ?誠君は結構やれるって」
「そうね、まあこっちとしてはアイシャが誤算だったけど」
「酷いですよ!大佐!あそこまで粘られたら打つ手無いじゃないですか!」
明華に責められてアイシャは頬を膨らます。
「じゃあブリッジ上がるから!後、ヨロシクね!」
そう言うとリアナとアイシャは早足で部屋を出て行く。誠はぴりぴりした感じの印象しかない明華と二人きりにされた。
「神前君。正直、見直したわ。冷静に状況を判断できるのはパイロットとしては重要なことよ。特にカウラと要は二人とも頭に血が上りやすい性質だから、結構いいチームになれるかもね」
誠はなんとなく未だ威圧感は受けるものの、表情の明るい明華に笑い返した。
「でも、今すぐ出港ってことは、隊長の描いたプランの最悪の展開になりそうだって言うことになるわね」
そんな言葉を吐いた瞬間にはもう明華の顔には笑顔は消えていた。
「最悪のシナリオって……?」
誠は暗い視線で天井を仰ぎ見ている明華にそうたずねた。
「胡州軍部が近藤中佐に決起の口実を与えるようなことをしちゃったということよ」
明華が言葉を選びながら話す。誠は頭の中でその言葉を何回か繰り返しているうちに、事態の重要さをじわじわと感じてきて、自然と額の汗が冷たくなっていくような感覚に襲われた。
今日から僕は 12
明華が何かを待っているように立っていた。いらいらしたように胸の前に組んだ右手の人差し指が細かく動いている。その沈黙に負けて彼女から目をそらした誠が入り口を見るとヨハンが息を切らせて部屋に飛び込んできた。
肥満体型の彼がしばらく肩で息をしているさまに同情していた誠だが、すぐに明華は彼のそばへと歩み寄る。
「シュペルター中尉。今回の緊急指示。何処が動いたから出たのかしら?」
顔を上げるが声を発することが出来ずにぱくぱくと開くヨハンの口。誠の方を一瞥した後、ようやく落ち着いたように声が喉から搾り出される。
「胡州です・・・第六艦隊司令名義で近藤中佐に出頭命令が出たそうです」
「それはまずいわね。最悪に近いわ」
とりあえず安静にした方がいいほどの、汗をかきながら、肩で息をしてるヨハン。今にも倒れそうに見えるがどうにか踏ん張っている姿に誠は同情していた。
「でも許大佐。でもそれほど大変なことじゃあ・・・素直に査問会議とかを受けると言う選択肢を選ぶかも知れないじゃないですか」
そう言ってすぐに誠は後悔した。明華の瞳は明らかに誠の考えが甘すぎるものだと断定しているような色を帯びている。
「神前君。たぶん吉田の馬鹿ははしょったでしょうけど、タイミングが悪いのよ。現在、大河内海軍大臣の指示で胡州の特務憲兵隊が動き出したのよ。金の流れが激しい近藤中佐のシンパの名前のリストは見せてもらってないでしょ?そこまで調査が及んでいることは近藤中佐も知っているはずよ。でもまだ近藤中佐がどのような経路でそれの資金を捻出しているかと言うところはまだ立件できるほど証拠が揃っているわけじゃない。つまり近藤中佐に残された選択肢はほとんど無い状態なのよ」
教え諭すような言葉の調子だが、その視線は相変わらず厳しい。誠は再び恐れながら疑問を口にする。
「でもそれが出港が早まることとどう関係が?」
擬音が聞こえそうなくらい鋭い視線の明華。誠は思わず背筋が凍るのを感じた。
「その金がまともな色の金でないのは確かなんだけどまだ近藤中佐には身柄を拘束されるだけの資料は揃っていない。だからもし暴発するとすれば胡州軍相手には暴発して欲しくは無いのよ。胡州軍同士での衝突となればおそらく近藤中佐に近い勢力の多い陸軍の暴走につながる可能性もある」
誠はそう言われてもピンと来なかった。『胡州の閉鎖的体制』ともかく東和軍の幹部要請課程では胡州を説明するにはこの言葉一つで十分と言われていた。軍政関係でなく技官とパイロットを養成するコースだった誠には政治向きの話など念仏くらいにしか思っていなかった自分を恥じる誠。
「今回の出頭命令はどこかのルートから本間司令が情報を得て独断で出したものね。気に食わない近藤一派を第六艦隊から放逐しようと言う魂胆が見え見えだわ。でも、特務憲兵隊の情報はうちと同盟上層部、それに海軍参謀室くらいにしか漏れていないはずよ。本間司令の手元には出頭命令の正当な理由が何も無いのよ」
「でもそんなことって……」
「貴族制国家の致命的欠点ね。本間司令は自分が誰を相手にしているのかわかっていないってことよ。自分の身分が上なのだから部下や家臣は従うのが当然とでも思っているんじゃないの?……ヨハン、とりあえず後で行くから」
誠相手に熱弁している上官に忘れられたのかとおろおろしていたヨハンは言われるままにのろのろと動き出す。
「何やってんのよ!駆け足!」
急かすように明華が一喝すると、ヨハンは飛び跳ねるようにシミュレータールームから出て行った。
「ですが、大佐。そんな状況で近藤中佐が出頭命令に応じるんですか?」
誠の言葉にまたもや呆れたようなため息を付く明華。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直