遼州戦記 保安隊日乗
「よしよし怖いねえ、でもその顔もミニマムでかわいいねえ!」
いつの間にか来ていたアイシャがシャムをぎゅっと抱きしめた。
「やめろー!アイシャー!」
抱きつかれてシャムはじたばたと手足を動かしている。
「アイシャ、ブリッジの方はいいのか?」
カウラがそう言ったのでアイシャはシャムから手を離すと、頭を撫でながらカウラに向き直った。
「ああ、私の仕事はしばらくなさそうだから」
「おい吉田の!オメエこんな所でシャムと遊んでていいのか?」
相方がいなくなって退屈したように食堂から飛び出してきたらしい要が相変わらずタバコをくわえたまま話しかけた。
「ああオヤッサンなら茶室で許大佐と鈴木中佐、それにマリアとタコ中相手に作戦の説明してるとこだよ」
ガムを噛みながら呆けた調子で吉田はそう言った。
「それをシステムで外から監視してると。ホント性悪人形だな」
「うるせえ!それよりお前等から今回の演習に関する質問が無いのがなんと言うか……正直、情けないな」
悠然と構えて吉田は要をにらみ返す。要は見事にその挑発に乗って残忍そうな笑みを浮かべた。
「んだと!この野郎!どうせ演習場でなんかやべえこと……」
「だからそのやばいことがなんだか推測ぐらいつけてみろってことだよ」
噛んで含めるように吉田はそう言った。誠は先日の嵯峨からの言葉を思い出していた。
「じゃあ鈍い要でも分かるようにヒントをやるよ。まず、食堂に運ばれたキャベツの箱の製造元は?」
「遼南中央高原夏キャベツだな」
要が忌々しげにそう漏らす。吉田はニヤリとして一つ間をおいた。
その間がさらに要を苛立たせる。
「次のヒントだ。シャム!お前の山岳レンジャー教習の教え子から連絡届かなかったか?」
今度は吉田はシャムに尋ねる。
「ええとねえ。近衛騎士団の子から元気でやってるってメール着てたよ!」
「吉田!何で遼南の青銅騎士団と……!」
ようやく事態が飲み込めたと言うように頷く要。嵯峨が吉田には本当の目的を話していないと言うことを聞いていたので吉田なりに情報の糸を手繰ったのだろうと思っていた。
「計ったな。隊長は」
要とカウラが目を合わせた。
遼州最強と呼ばれるアサルト・モジュールで編成された精強部隊、近衛第一騎兵隊、通称『青銅騎士団(ブロンズナイツ)』。現在アステロイドベルトでの演習を行っているというのは新聞の記事にも出ていた。
「アタシ等の演習時にわざわざ遼南の大規模演習……近衛師団は囮か?じゃあ……どこが動く?」
要の視線がアイシャに走る。
「そうねえ、私達がアステロイドベルトの本命と戦っている間に乱入してきてもらって困るところと言えば筆頭はアメリカ海兵隊ね。別働艦隊とはいえそれなりの勢力が配置されていたはずよね」
アイシャはそのままカウラの表情を伺う。
「遼南に思うところがあるのは同盟内部でも多いぞ。特に西モスレムは未だ東モスレムの遼南への併合に国内世論は納得がいっている様子は無い。先の大戦で胡州のコロニーが有ったポイントに宇宙艦隊を待機させているはずだ」
立ち止まり沈黙する誠達。沈黙の後、顔を最初に上げたのは要だった。
「どれもアタシ等の相手にするにはでかすぎるな。すると、今回の狙いは国権派の首領、近藤忠久中佐……か」
誠は急にこれまで見たことの無い要の無表情に寒気を覚えた。現在の義体製作技術は殆ど生身の人間と区別のつかない表情を使用者に与える。しかし、今の要には表情がまるで無かった。暗い眼差しからはよどんだ殺気がもれている。
「演習区域のすぐそばにいるアメリカ海兵隊の連中をひきつけるために因縁のある宙域での演習か。考えたな叔父貴も……」
誠は一瞬だけ残忍そうな笑みを浮かべる要に恐怖を覚えた。
「これは情報源は伏せとくけどな、第六艦隊司令の本間少将と近藤中佐が犬猿の仲だって噂もある……いや西園寺なら知ってるんじゃないか?近藤中佐の略歴ぐらい」
吉田がけしかけるようにして、要の顔を見つめた。
明らかに不機嫌そうに要は語りはじめた。
「胡州海軍統合作戦本部付のいけ好かないエリート士官だよ、あのおっさんは。アタシも海軍特務隊の助っ人で何度かあのおっさんの立てた作戦指示で行動したが、ひでえもんだよ。現場の兵隊も軍人である前に人間だ。それなのに奴はまるであたし等が機械か何かみたいに、タイトで残忍な作戦立てやがる」
「しかもその多くが表ざたに出来ないような作戦ばかりだからな」
ふざけた調子でそう言った吉田を要が殺意を込めた視線でにらみつける。
「おいおい!事実をそのままに言っただけだろうが。東都コネクション。神前少尉も知ってるだろ?」
「はい、遼南及びベルルカンの不安定国家で密造される麻薬とそこに流入する武器のルート。六年前、遼南のルートが皇帝を務める師範代、じゃ無かった隊長の政策により摘発されて商品の供給が止まると同時にベルルカンからの密輸ルートをめぐり、シンジケートや各国の非正規特殊部隊がかち合う抗争に発展したってとこですね、通称『東都戦争』」
吉田が少し感心したように誠を見つめながら言葉を続ける。
「まあそんな所だ。結局、表的には根絶されたと言う発表だがあれはでたらめ。結局は各国各シンジケートがそれぞれの取り分を確保して手打ちにしただけだ。そこで一番太いルートを築いたのが、胡州。そしてその利益で政界や軍有力者を動かしている非公然組織のリーダーが近藤忠久ってわけだ」
吉田はそう言いながら要の顔を見つめた。明らかにうんざりしたような顔をしている要がそこに居た。
「おととい胡州下院で親父の民党に閣外協力していた愛国者党が離脱を宣言したのも、枢密院の改革が原因ではなく近藤資金が原因か?」
「何だ知ってるじゃないか西園寺!」
いたずらっ子のような楽しげな表情を浮かべながらしゃべる吉田。要は口にくわえたタバコをぷらぷらさせながら吉田を眺めている。
「今回の愛国者党の行動は胡州軍部による倒閣運動に発展する可能性も有る。陸軍の近藤シンパの青年将校の一部には既に決起を募る回状まで回ってるのも事実だ。同盟設立に貢献した西園寺内閣が倒れれば……」
もったいぶったようにそう言う吉田は今度はカウラに目を向けた。
「最悪の場合には、胡州の同盟からの離脱」
「そんなことになったら今のこの遼州系を支えているミリタリーバランスはめちゃくちゃじゃないの!」
ことの重大性にアイシャは思わず叫んでいた。誠はその言葉を聞いた後、沈黙している回りを見回した。
カウラは淡々と話に聞き入っている。
シャムはかなり思いつめた表情で吉田を見上げている。
いつもならオチャラケたことを言ってもおかしくないはずのアイシャもこの時ばかりはまじめだ。
「終わったらしいねえ、お茶会は。まあ俺がこんなこと言ったなんてオヤッサンやタコ中には言うなよな、めんどいから。シャム!荷物の整理するんだろ。行くぞ」
吉田とシャムはそそくさと居住区へ向かった。
「ずいぶん深刻な状況なんですねえ」
誠は吉田と要の話を頭の中で要約しながら感想を搾り出す。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直