遼州戦記 保安隊日乗
その挑発的にも見える笑みに、海軍・陸軍の高官達は黙り込んだ。
「これまで我々は卑屈に過ぎました。思えば『官派の乱』と呼ばれた、先の西園寺家と烏丸家の『私闘』。あなた達はこの出来事をあくまで両家の『私闘』と呼んで負けた烏丸卿を処刑した。ですが故烏丸卿の予言した貴族の没落はそのときには始まっていたことくらい今になればあなた達にもお分かりになるんじゃないですか?」
胡州を二分し、争われた『官派の乱』貴族擁護を掲げて立ち上がった四大公末席の烏丸家当主烏丸頼盛の誘いを断り見殺しにした軍の幹部達には、その言葉は深く突き刺さるものだった。
「西園寺兄弟の罠にまんまとはまり込んだ。その結果が先の内戦の結果の西園寺売国内閣ですよ。だが、今なら分断できる。西園寺兄弟の弟、嵯峨惟基はもはや中途半端な司法実働部隊で隊長ごっこの最中です。その実力などたかが知れている……」
「中途半端と言うが君!彼はそれだけの実績を上げている!遼南内戦では彼の指揮する北兼軍閥の人民軍への協力が無ければ……」
参謀部長の徽章をつけた高官が、そう横槍を入れる。だが近藤は表情一つ変えずに言葉を続けた。
「それは相手が状況を生かしきれていない有象無象だったからですよ。私だって作戦本部に長年勤めて、嵯峨惟基と言う男の得意とする戦術は理解しているつもりです。彼は連隊規模以上の部隊を運用した経験が無い。当然、彼を入れる為の『檻』として作られた部隊はその規模を超えるはずが無い。だがそこに付け入る隙はある」
淡々として話す近藤。高官たちは少しづつその弁舌に飲まれつつあった。
「強力な敵には迂回し、その力が最小となった時点での奇襲による一撃。これで勝負をつけるのが嵯峨大佐のやり方だ。それならばそれを逆手にとって最初からこちらも戦力を拡散し、相手が懐に飛び込むのを待つ……」
同志達は自分の言葉に酔っている。そう確信した近藤の笑顔。それがさらに彼等の考えを自分の理想へと近づけていくものだと近藤は確信していた。
「つまり、嵯峨惟基にはこちらのシナリオに完全に乗ってもらうわけですよ。分かりますか?」
近藤が頬に浮かんだ笑みが嘲笑の色を帯びていくのにモニターの中の軍幹部達は気づいていなかった。。
『臆病者が!あなた達の決起を待っていては軍の主導権などいつまでたっても取れやしない!』
心の中で苦虫を噛み潰しながら近藤はあてにならない支援者の顔を観察していた。
「分かった。好きにしたまえ。しかしこのことは……」
この事態に至っても日和見を続ける同志達。もし手の届く範囲に彼等がいたとしたならば、近藤は相手の階級が大将だろうが元帥だろうがかまわず殴り倒していたことだろう。
「この会合は存在していない。それでよろしいんですね?」
何度この忌まわしい言葉を吐くことを強制されてきたか。そして自分はそれに十分耐えてきた。その事実を思い出すとさらに不愉快な気分が近藤を支配した。
「そうだ!健闘を祈る!」
次々と高官たちがモニターから消える。近藤は暴言で爆発しかねない自分の心をようやく落ち着けると深く椅子の奥に座りなおした。
「いよいよですか?」
近藤の後ろに立っていた艦長は静かにそう尋ねた。近藤は静かに椅子を立つと、窓から演習地帯の方に目を向けた。
「今だ、今しかないんだ。国を憂える誰かが立たねばならんのだ。なぜそのことが理解できない!」
これまでの冷静な言葉遣いとは違う心から搾り出された声が部屋に響いた。
「心中お察しします」
艦長は静かに近藤に会釈する。そんな部下の気遣いを知りながら近藤はただじっと星の瞬く闇を見つめていた。
『ここで我々は勝たねばならない。そうしなければ……』
近藤は思いを固めると艦長から手渡された保安隊の演習要綱の写しをめくって見せた。
「私が海軍に奉職して以来、最大の賭けだ。これだけは勝たせてもらう」
近藤は手の上の冊子をめくりながらは一人、呟いた。
今日から僕は 11
東和宇宙軍と海軍共用のの軍港、新港。入る前に要が守衛と一悶着を起こしたのを忘れたいと思いながら保安隊所有の汎用四輪車両を駐車場に止めた誠。
「はい、運転ご苦労!荷物はとりあえずお前が運べ」
要は無情にもそう言い残すと、まるで壁のように接岸している運用艦『高雄』の方へ走っていった。誠は初めて見るその巨大な汎用巡洋艦を感心した視線で見上げた。
全長365メートル。そして水面から聳え立つその高さは優に十階建てのビルよりも高く聳え立っている。その運用をあの天然お姉さんのリアナ貴下の運行部の20名前後で行っていることが誠には信じられなかった。
「神前少尉。荷物なら私も手伝おうか?」
運転席から降りて数歩歩いたまま、ただ目の前の重巡洋艦の容貌に見入っている誠に、カウラはそう言ってバンの後ろの扉を開けようとした。
「いいです。これも仕事のうちですから」
彼女の言葉で気がついた誠は感謝の意味も込めてそう言った。心のうちではカウラの手伝う姿を想像しながら。
「そうか?そう言うのならよろしく頼む」
カウラは誠の心など読まず、そのまま艦の方に歩いていってしまった。思わず肩透かしを食ったように肩を落とす誠。
「ああ、これ一人で運ぶのかよ……」
バンの後ろに詰まれた荷物の山を見て呆れながら、誠はとりあえず荷物を降ろし始めた。そしてようやく自分の着替えなどが入ったバッグに手をかけたとき背後に電動モーター式の大型トラックが停車する音が聞こえた。
「精がでるな。おいイワノフ少尉!手の空いてるものと一緒に手伝ってやれ」
振り向くとトラックの助手席から降りたマリアがにこやかな顔で荷台から降りる部下に声をかける。見事な統制でマリアの前に並んだ警備部の数人が置いてある半分以上が要のものである荷物を手早く抱えて、船の方に小走りで向かった。
「シュバーキナ大尉、すみません」
誠は安堵の表情でそのギリシャ彫刻のように整って見えるマリアの顔色を伺った。
「別に遠慮することは無い。今回は私達の出番はなさそうだからな。それより短気な西園寺の機嫌のとり方でも考えておくといいだろう」
部下達が次々と荷物を艦に運ぶのを見ながらマリアはそう言った。
「シュバーキナ大尉、あの……」
「なんだ?どうせ隊長の腹の内でも聞き出そうというのだろ?私もここに来て一年と少しだ。それほど分かるわけもない。それに君は子供の時から隊長に剣の稽古をつけてもらっていたそうじゃないか?たぶん君の方が隊長の考えそうなこと分かるんじゃないかな」
マリアはそう言うとやわらかい笑みを浮かべた。しかし目つきだけは鋭く、誠の方を見つめている。
「しかし警備部が乗艦するということは白兵戦の可能性があるということではないんですか?」
誠は先日嵯峨に告白された今回の演習を装った襲撃作戦に彼女達警備部の出番があるのではないのかと思いながら恐る恐る尋ねてみた。
「この仕事は常に最悪の事態を考えて行動することが重要なんだ。場所が場所だ。本当に演習に適しているのかどうかもはっきりしないからな。もしかすると本当に演習だけで終わるかもしれん。すべては隊長の腹にある」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直