遼州戦記 保安隊日乗
「第六艦隊司令の本間さんはそれほど政治には関心の無い人だが、参謀室には先の胡州紛争で敗れた『官派』の連中が残っててね。ああ、『官派』と言ってもお前さんは知らないか。胡州じゃ貴族趣味のいけ好かない連中のことをそう言うわけだ」
そう言うと苦笑いを浮かべてタバコを咥えるさが。そして彼は話を続ける。
「まあその貴族趣味の連中がちょっとおかしな動きしてるんで、ある人物のプロフィールをリークして、どう言う反応が出るか試してみたんだ。そしたらまんまと食いついてきやがってね」
「誰の情報をリークしたんですか?」
すかさず誠はそうたずねた。
「お前さんのだよ」
嵯峨は表情も変えずにそう答えた。あまりにも唐突な言葉に誠は息を呑む。だが嵯峨の表情は変わらない。
「そんな僕に何か変わったことでも?」
自分はただの都立高校の体育教師兼剣術道場の一人息子だ。そんな国や組織が求めるような力は無いと思っている。確かに脳波に一部地球人には見られない特徴的な波動が有ると言われたことはある。
『遼州系の特徴だね』
以前死球を頭に受けた時、脳波を見ていた医者が言ったのはそれだけだった。嵯峨はさらに続けた。
「その人物はあるシステムを起動するキーになる可能性があるってのが、その筋の専門家の一致した見解だ。俺はそいつがモルモットにされるのがかわいそうで引き取ったが……まあいいかそんなことは」
そう言うと嵯峨はタバコを一回ふかした。
「あるシステム?何ですか?精神波動システムとか、ちょっと眉唾の話ばっかり聞いていたんで」
「俺は文系でね、そう言ったことはヨハンあたりに聞けば分かるかも知れんが、まああいつが機嫌がいい時に聞いてみろや。それより今回の演習は建前で実際の狙いは官派の特に強硬派として知られる近藤忠久中佐の首を取ることだ。それも出来れば第六艦隊に身柄の確保をされる前に内密に動く必要がある」
早口に嵯峨はそう話す。内容は完全に司法局の権限を逸脱しかねない内容。そんなことを一士官候補生に話してみせる嵯峨の頭の中が読みきれなくてただ戸惑っている誠。
「そんなに簡単にいくんですか?」
誠に出来ることはそう尋ねることだけだった。
「なあに、やらにゃあならん。『官派』の有力者である近藤中佐は特に公然と活動を行っている武闘派として知られてる男だ。ゲルパルトの残党連中や東和の経済界とのコネを使って遼州星系ベルルカン大陸の失敗国家に、非正規ルートで物資を捌いて勢力を蓄えつつある。実際その資金で政治活動を行っている政治家はこの東和だけでも覚え切れん数ほど居るわけだ」
嵯峨の言葉の規模が誠のキャパシティーを完全に超え始めた。額を流れる脂汗を拭いながら誠は嵯峨を見つめる。
「そんな人物を中隊規模以下の我々が対応するって言うんですか?」
ただ誠の想像力から離れた話が続くのに耐えられずに誠は恐る恐るそうたずねた。
「逆だな。この規模だから何とかなるんだよ。たとえ証拠をそろえた上で艦隊引き連れて身柄の引渡しを求めても、第六艦隊は面子にかけて自分で処理しようとするだろう。その結果は逃亡されるか上から握りつぶされて降格程度の処分を受けて終わりだ。奴は今度は大手を振って組織を再構築するだろうな。今回の件に関してはあくまで敵の意表をつかなければどうにもならん」
そう言うと嵯峨派吸い終わったタバコを灰皿に押し付けてもみ消した。
「そんなものですか?」
「そんなものさ。世の中なんてのは多少混沌としているのがいいんだよ……誠ちゃん混沌と言う言葉の語源が古代中国の空想上の動物の事だって知ってるか?」
話の飛躍にまたもや誠はついていけなくなった。嵯峨は自分を文型と言うが、まさにその典型と言える男なんだと誠は確信した。
「いいえ……」
「そうか。中国の幻獣と言うと麒麟とかは有名だが、それと同じように混沌と言う動物が紹介されているんだ。その混沌と言う動物だがな、目も頭も口も足も無い、まるでアメーバーのような生き物なんだそうな」
嵯峨は再びタバコを取り出して火をつけると一ふかしして話を続ける。
「その混沌は自らの姿にコンプレックスを持っていてな、ちゃんと一丁前の動物の姿になろうとするんだそうな。だが、残念なことに混沌は普通の動物のような均整の取れた姿になると死んでしまうんだそうな」
「師範代は何が……」
そう言いかけた誠の顔を狂気とすら思える表情を浮かべた嵯峨が見つめている。
「世界もまたしかり、法と秩序と意思とで一つのまとまった形にしようとすれば、死んでしまう。死にはしないとしても、どこかに無理が来る。俺はね、神前。そんなこの世界を自分勝手な理想という型に押し込めようとする奴を潰して回ることが俺の使命だと思ってるんだよ」
最後の言葉を吐き出した嵯峨の表情はいつもの昼行灯のそれでは無かった。どれほどの悲劇と喜劇を見てきたのか、そんな老成した雰囲気のある男の顔だった。
「理想を語るのは結構だが、その理想が啜る血のことまで想像力を働かせることの出来ない馬鹿にはそれにふさわしい最期を用意してやるのが俺の仕事さ」
嵯峨はそう言うと二本目のタバコの吸殻をもみ消して立ち上がった。
「さあてと、ちょっと東和のお偉いさんに根回しでもしておくかなあ。神前、お前も準備あるだろ?とりあえず進めとけや。それと出港後、作戦に参加するかどうか考えさせる時間をとるからそん時までに答え出しとけ」
去っていく嵯峨の後姿を見ながら、誠は呆然と立ち尽くしていた。
今日から僕は 10
胡州海軍加古級重巡洋艦『那珂』は現在、第六艦隊とは離れて胡州第三演習宙域にある揚陸戦用コロニー116に停泊していた。その幹部用私室、近藤忠久中佐はモニターに映る彼と同じ『憂国の士』達の堂々巡りの評定をうんざりした顔で眺めていた。
「近藤君。君が言っていることは分かる。私としても今の西園寺内閣の姿勢には義憤を感じるものの一人だ。だからこうして君の非公然組織にも助力してきた。しかし今回は……」
胡州陸軍の将軍の徽章をつけた老人が、モニターの中で髭を弄りながらうつむいて話す。
「そうだとも!我々はここまで来たのだ!悪いことは言わん、これは罠だ。西園寺兄弟や赤松や醍醐。この連中に真っ向から勝負を挑もうというのか?君は」
ゆったりとした執務用の椅子に腰掛けた近藤は、どれも消極的な支援者に対し薄ら笑いで答えた。
「皆さんはご自分がこれまでなさってきたことが何のためかお忘れのようですね。西園寺基義首相の明らかに枢密院を無視した強引なやり口。大河内吉元元帥、赤松忠満中将の海軍での、また醍醐文隆大将による陸軍での売国政策。お忘れになったわけではないでしょう?」
そう余裕を持って主張する近藤の言葉に軍部の領袖である同志達はただ頷くしかなかった。
「国家の根幹を揺るがし混迷を招いた普通選挙制度。軍の士気低下を招いた士族の恩位による将校、官僚への登用制度の廃止。枢密院の権限を奪い取って、平民達の人気取りに躍起になる庶民院の決議権の優先を選んだ愚行。どれも胡州の誇りある体制と姿勢をなし崩しにして一弱小国家に貶めた許しがたい所業ばかりです!」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直