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遼州戦記 保安隊日乗

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 カウラは振り向いて誠をその澄んだエメラルドグリーンの瞳で見つめる。
「馬鹿が」 
 そう言うと要は誠からグラスを奪い取った。しかし、もう誠の意識はここには無かった。
「神前誠!脱ぎます!」 
 全員がやっぱりかと言う視線を誠に送る中、誠はTシャツを脱ぎ始めた。
「馬鹿が!ワンパターンだな」 
 要はそう言うとあきらめたと言うように先ほど誠が口をつけたグラスにラム酒を注ぎ始めた。何も言えずにカウラは立ち尽くす。Tシャツを壁際に投げ捨てた誠は今度はズボンを脱ぎ始めた。
「止めろや!キム!酒が不味くなる」 
 そんな明石の一言が届く間もなく、再び要のグラスを奪い取って飲み干した誠はそのまま仰向けにひっくり返り、意識を失っていた。


 今日から僕は 9

「おはようございます……」 
 誠は詰め所に定時少し前に顔を出した。そしてそのまま顔面にはれぼったさを感じながらようやっと自分の椅子に座った。部屋中の視線が自分に釘付けになっていることにただひたすら恥ずかしさばかり覚えて誠はそのままうつむいた。
「どうじゃ?ワレまた潰れよったな?」 
 明石が昨日あれだけ飲んだでいたというのに、平然として誠に話しかけてきた。それ以前に誰一人として昨日の乱痴気騒ぎの雰囲気など微塵も感じさせずに誠を一瞥しただけで書類の整理を続けている。
「本当にすいません。僕は酔うと記憶が飛んじゃうんで、何か迷惑かけましたか?」 
 誠のその言葉についに要が笑いを漏らした。誠は穴があったら入りたい気分だった。
「いいじゃん!面白ければ!」 
 要は彼女らしくいたずら好きなタレ目を見せながらつぶやいた。
「要ちゃんはああいうノリ大好きだもんね!」 
「何言ってんだよ!シャム!別にこいつの裸なんか!」 
 シャムに突っ込まれると要はすっかり当惑したようにむきになって否定する。
「また脱いだんですか?」 
 誠は恐る恐るカウラにたずねた。カウラは表情も変えずに頷く。そして誠はがっくりと肩を落として机に突っ伏した。
「でも、やばいんじゃねえの?昨日、介抱して部屋に放り込んだのカウラと要だろ?菰田の奴がなんか動き出してるみたいだし……」 
 吉田はガムを噛みながら無責任にそう言った。
「菰田先輩が何か……」 
「鈍い奴だな。あいつ馬鹿だから勝手にカウラのファンクラブ結成して、そこの教祖に納まってるんだぜ。俺もタクシーで帰ろうとしたら、もうお前等が誠を連れて出てっちゃった後だったからな、あいつかなり荒れてたぜ」 
 その言葉に誠の背筋に寒いものが走る。どこか粘着質な印象のある菰田の表情が脳裏に焼きついて離れない。
「ずるいよね、カウラちゃんだけにファンクラブがあるなんて!」 
 シャムの関心はそこにあった。いかにも彼女らしいと落ち込み気味の誠も苦笑いを浮かべる。
「馬鹿!お前のもあるんだぞ」 
「えっ!本当!誰が仕切ってるの?」 
 吉田の無責任な一言にシャムが食い付く。だが吉田はそれが嘘なのか本当なのかと言うようないつもの調子でシャムの好奇の視線を集めて喜んでいる。 
「馬鹿話はこれくらいにして。今度の演習の概要。ちゃんと読んでおけ」 
 カウラは吉田達の与太話を無視して、厚めの冊子を誠に手渡した。演習と言う言葉。その言葉の重みと手にした書類の重み。それを誠は実感しながらどうにか浮いた雰囲気から逃れようと表紙を開いた。
「これが初の部隊演習ですか……それにしても本当に胡州の第三演習宙域使うんですか?」 
「それがどうした?」 
 カウラが表情を変えずにそう聞き返してきた。それを見た誠は、まったくの無表情と言うものがどんな顔だか判るような気がしてきていた。
「あそこは前の大戦で胡州軍の防衛ラインとして激戦が行われて、大量のデブリや機雷なんかが放置されているって話じゃないですか?そんな所でいきなり……」 
「何だ誠?ビビってんのか?情けねえなあ」 
 ニヤニヤと笑いながら要はあおるようにそう言った。彼女が激戦を乗り越えてきたことは良くわかるが、その人を小馬鹿にするような物言いには、さすがの誠もカチンと来ていた。
「別にそんなんじゃ……。分かりました!早速これ読みます」 
「役所の文章は読みにくいからな。とは言えそれが仕事だ、今日中に頭に叩き込んでおけ」 
 カウラはそう言うと自分の席に戻って、再び書類に目を通し始めた。誠もまた難解な語句を駆使している演習概要の冊子を読み始める。
 書類仕事がたまっていたようでそんな騒動が一段落すると沈黙が詰め所を支配した。時々伸びをしたりうなってみたり、シャムの様子には閉口させられたが、ようやく悪戦苦闘の末、演習要綱を読み終えた誠はとりあえず一服しようと廊下に出て、更衣室の前の自販機でジュースを買っていた。
「どうしたの暗いじゃん」 
 誠が突然の声に振り返ると、取ってつけたような『喫煙所』と言う張り紙の下で、嵯峨が退屈そうにタバコを燻らせていた。
「まあ若いうちに馬鹿やるのはいいことだと思うよ、俺は。まあそうして人間、大人になっていくものだと思ってはいるんだがね」 
 嵯峨はだれた感じでタバコの灰を灰皿に落とす。
「しっかしあれだなあ、喫煙者結構居るのに何で喫煙所がここ一箇所なんだ?そう決めたシンの旦那だってタバコ吸うくせに」 
「一応、健康のためだと……」 
 苦笑いを浮かべながら誠は嵯峨の口元から流れてくる煙を避ける。
「お前もシンと同じ事言うんだな。ったくそんなに長生きしたきゃあこんな危ない部隊なんか辞めちまえって言いたいが。まあお前さんに愚痴ってもしょうがないか。それより今度の演習、休んでもいいんだぜ。」 
 嵯峨は口調を変えずにそう切り出した。突然の言葉に誠は嵯峨の言葉の意味がわからなかった。
「どういうことです?」 
 誠はそんな言葉を口にするのが精一杯だった。
「鈍い奴だな。何でわざわざ政情が安定していない胡州の、しかも殆どの宙域が使用不能になってる演習場を選んで訓練しようなんておかしいと思わないか?」 
 嵯峨はそう言いながら、吸い終わったタバコの火をゆっくりともみ消した。
「それは実働部隊としての保安隊の練度向上のため……」 
「そいつは俺が今回の演習を同盟治安機構に上申した時に使った方便だ。でもお前もそれにしちゃあおかしいなあ、とか思ってんだろ?」 
 この人に隠し事は通用しない。誠は観念したように頷く。
 嵯峨は再び胸のポケットからタバコを取り出すと火をつけ、上体を起こして天井に向けて煙を吐いた。
「これから話すことは他言無用だ。」 
 そう言った嵯峨の目は先ほどとはうって変わった鋭いものだった。
「今回の演習宙域は胡州海軍第六艦隊の管轄だ。しかも隣の宙域には遼州星系最大のアメリカ海兵隊の基地がある小惑星が存在する。そのくらいは綱領に書いてあるだろ?」 
 誠は嵯峨の言葉に引っ張られるようにして頷いた。
 確かに改めてその事実を突きつけられると、いつ衝突が起きてもおかしくないその緊張した宙域に行くことの意味が違って見えてきた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直