遼州戦記 保安隊日乗
もう保安隊では脱ぎキャラとして確立してしまったと誠は改めて思った。
鉄板の並んだ店の奥。先日、嵯峨が座っていた所にどっかと明石は腰を下ろした。
「そんじゃあとりあえず枝豆とビールで奴等の到着まで潰すか」
一緒に上がってきて、お絞りとお通しを二人に配る小夏。
「そうですね。とりあえず生中くらいなら」
誠は頭をお絞りで拭う明石を見つめていた。
「とりあえず枝豆と生中二つ」
誠はそう言うと自分もお絞りで手を拭いた。
「はい!」
返事は良いが、小夏の表情に何か汚いものを見るようなものを誠は何の苦労も必要なかった。
「ワレは完全に呆れられとるのう」
明石はそう言うと再びからからと笑う。そんな二人を置いて小夏はそのまま静かに階下へと消えていった。
「しかし、暑いのう。今年はなんか異常気象じゃ言うとったから、ことさら暑さが身にしみるわ」
のんびりと明石がそういうのを聞きながら、誠はその隣でお絞りで軽く手を拭った。冷たい感触が心地よく、そのまま頬を撫でていた。
「まあ気にすんなや。ウチの飲み方覚えたら裸踊りも収まるじゃろ……まあ、要やアイシャが自分等が楽しむ為にそう仕組む……かも知れへんな」
明石はニヤつきながらすっと立ち上がってハンガーに脱いだ背広を引っ掛けた。
「ビールお待ちです!それと枝豆です」
小夏が元気に入ってくる。明石の誠への言葉を聞いていたようで、先ほどまでの攻撃的な視線を誠に投げることはやめてくれていた。
「すまんのう、小夏の。下に誰か来とったか?」
ビールのジョッキを並べる小夏にそれとなく明石が尋ねる。
「そう言えば師匠がウチのお母さんとなんか話してたけど……」
その言葉にすぐさま明石は反応した。
「神前!窓を覗けや!」
明石のその言葉を聞くと誠は立ち上がって窓から身を乗り出した。
やはりいた。吉田が窓から入り込むべく、階下で靴を脱いでいるところだった。
「吉田少佐……何がしたいんですか?」
あきらめたようにつぶやく誠と目が合って頭を掻く吉田。
「何がって?タコの奢りの飲み会に来たんだよ?」
「だからなんで窓から入ろうとするんですか?」
その問いにしばらく考えるような振りをしたが、すぐに吉田は答えた。
「だって二階でやるって言うから……」
吉田は悪びれる様子も無く、靴をバッグに仕舞うとそのまま塀を登り始めた。
「アホの相手すんな。まあ奴はああ言う性分じゃけ。そんなこと気にしとったら寿命がいくらあってもたらんわ。それより小夏の。追加で生中二つ頼めるか?」
小夏はその言葉を聞くと普通に階段のほうに駆けていき、上ってきたシャムに挨拶をした。
「俊平。大丈夫?」
ようやく窓枠に手をかけて部屋に入り込もうとしている吉田にシャムが声をかける。
「すまんがワシ等はさきにやらしてもらっとるぞ」
明石はジョッキを傾ける。
「せっかく暑い中、来たって言うのに冷たい奴だねえ」
吉田は悪びれもせずにそう言うと隣の鉄板をシャムと一緒に占拠した。
「あのう、ナンバルゲニア中尉。今日はおとなしめな……」
誠が話しかけようとするが、シャムのベルトの腹の辺りの異物を発見して口ごもった。
「それってもしかして……」
誠の視線がベルトに注がれているのにシャムも気付いた。
「そうだよ!変身ベルト!」
あっけらかんとシャムが答える。誠はやはりこの人はだめだと結論をつけてため息をついた。
「生中二つです!若頭と兄弟子!次、何にしますか?」
呆れたついでに喉の渇きをビールで癒した誠に、きゃぴきゃぴした声で小夏がそうたずねてくる。先ほどまでの汚いものを見るような瞳はそこには無かった。誠はさすが飲み屋の娘と感心しながら彼女を見つめる。
元気そうなショートカットの髪に気が強そうな瞳。要を目の仇にするのは、もしかして近親憎悪なのかもしれない。そう思うと少しにやけた笑みが自然とできる。
「あと誠と吉田。出来るだけ……な」
さすがにどっしりと腰を下ろしているとはいえ払いは明石である、彼の意向には逆らえないと言う風に誠は明石のほうを見た。すでに明石と誠のジョッキは空。小夏は注文が来るものだと言うように待ち構えている。
「ほいじゃあワシはポン酒や!神前は生中でええなあ?」
野球部設立に反対する理論派のシンを情熱で押し切った熱血漢らしいどら声が、誠の耳にも届く。
「じゃあ生酒二合に、生中で……つまみは……?」
明石が吉田の顔を眺める。
「じゃあエイひれもらおうかな……シャム!どうする?食うか?」
そう明石から声をかけられるとシャムは満面の笑みをその子供のような顔に浮かべた。
『うん!豚玉三つ!』
吉田とシャムがそう答えた。
「ナンバルゲニア中尉!豚玉三つは多くないですか?」
さすがに誠も明石の持ち出しと言うこともあって遠慮がちにシャムに声をかけた。
「気にすんなや。奴にしてはこれでも抑え気味なんやで」
誠の心配をよそにカラカラと明石は笑った。その時どたどたと階段を上がる足音が響いた。
「ちーす!」
島田、菰田、キムの三人組が階段を上がってきた。
「ご苦労さん。他の連中はどうした?」
笑顔で三人に頭を下げる小夏を見ながら明石が声をかける。
「アイシャ達はまた漫画でも買いに行ったんじゃないすか?それとベルガー大尉達はなんか揉めてましたから」
菰田はそう言うと下座の鉄板に居を固めた。
「まったく、あの連中はどうしようもないのう」
ジョッキの底の泡を飲み尽くして、明石はそう言った。
「いい加減、俺と要の免停止めたほうが良いんじゃないのか?」
吉田が突き出しのひじきをくわえている。
「お前はすぐそうやって……罰は罰じゃ、ちゃんと免停中は運転せずに……」
明石が眉をひそめる。そこに仕込み担当の源さんと呼ばれている白髪の料理人がお盆に豚玉を持って現れた。まだ注文を伝えていないはずの料理の登場に、小夏が首をかしげて苦笑いを浮かべていた。
『春子さんだな。ナンバルゲニア中尉はいつも豚玉三個がノルマだし……』
誠はそんなことを考えながら源さんからお盆を受け取っている小夏を見つめていた。
「はいはい!小夏ちゃん!こっちだよ!」
「師匠!豚玉お待たせしました!」
小夏から豚玉を受け取り喜ぶシャム。だが、まだ鉄板が温まっていないと言うように隣の吉田が鉄板に豚玉を乗せようとするシャムを手でさえぎった。
「旦那達はどうしますか?」
小夏はキムに尋ねた。
「じゃあ俺は海老玉とポン酒。島田はどうする?」
「じゃあ俺はたこ焼きに生中で、菰田は?」
「自分はレモンサワーに同じくたこ焼き」
キム、島田、菰田の三人はそれぞれ注文をした。小夏はすぐさま身を翻そうとしたが、そこに立っていた要に素早くガンを飛ばした。
「んだよ、ガキ!アタシが居ちゃあ迷惑だって言うのか?」
要は小夏に向けてまたガンを飛ばす。
「お客にゃあ丁寧なんだよアタシは。まあ、外道を客に入れるかどうかは……」
小夏もまけずに要をにらみ返す。一歩も引かない二人に全員の視線が釘付けになった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直