遼州戦記 保安隊日乗
「うわあ、ワレは本当にタイミングよく来るもんじゃのう。ワシも男じゃ!一度口から吐いた言葉は呑まん!」
明らかに虚勢と判りながらも誠と島田はそう言い放つ明石に同情の視線を送る。
「へえー、タコ隊長の奢りかよ!どうするカウラ」
さらに現れた要がカウラにそう尋ねた。
カウラは誠のほうにちょっと目を走らせた後、ゆっくりと頷いた。
「じゃあアタシも行くー!」
フライトジャケットにジーパン、手には皮手袋と言う変身ヒーローの登場人物をミニマムにしたようなシャムが駆け寄ってそう叫んだ。自分の安易な一言が招いた事態に明石の頬が少し引きつっている。
「分かった、分かった!とりあえずあまさき屋の前に集合じゃ!全てワシのおごりじゃ!」
「やったね!」
シャムはいつものように廊下の窓の向こうから飛び込んできた吉田とハイタッチをしながらそう答えた。
「良いんですか?明石中佐」
誠はこんなはずではなかったというように立ち尽くしている明石に声をかけた。
「ワシのことなら気にするな。シャムや隊長みたいに金銭感覚が狂うとるわけやないけ」
そう言いながら、明石の顔が紅潮しているのが誠にも分かった。
『悪いことをしたな……』
誠はそう思いながら、駐車場へ向かう明石のあとをつけていった。駐車場にひときわ目立つ黒塗りの大型セダンの前で二人の足は止まった。
「ん?なんじゃい。ワシの車になんかついとるんか?」
明石はそういうと無造作にドアを開けた。スモークシート入りのドイツ車。本物のヤクザが喜んで乗りそうな車だ。
「鍵はあいとるぞ。さっさとのらんかい!」
「はい!ただいま!」
誠はおっかなびっくり重い高級車のドアを開けると、身を助手席のシートに投げ出した。意外にも中は丁寧に掃除されており、豪放磊落な普段の明石の中に、こんな几帳面さがあるのかと感心させられた。
「それじゃあ、出るぞ」
明石はそう言うと車を走らせた。高級車らしく、エンジン音など車内では微塵も感じられない。
「しかし、コミケと言うんはずいぶんと命削ってやっとるんじゃのう。あの遼南レンジャーの教官資格持っとるシャムですらくたびれとったわ」
そう言って明石はからからと笑った。誠は動きに切れが無く目が死んでいたシャムの顔を思い出す。
「遼南レンジャーって、あのナイフ一本で三ヶ月生き延びる訓練やるって言うあれですか?」
誠は名前だけならこれほど驚くことは無かったろう。本人は140cmと言うが吉田が正確には138cmと言う小さな体と、子供のような純真なシャムを知るようになってからそれが彼女の普段の姿だと思い込んでいた。しかしシャムは地獄の訓練で知られる遼南レンジャー教官でもあることを今更のように思い出す。
「まあな。あいつが銀河一過酷な訓練メニュー考えたんやで。まあ、あいつにはナイフ一本でジャングルを生き抜くのん普通のことやさかい、なんも考えんと企画書出したのが通ったちゅうとったがのう」
入り口の検問で警備班に挨拶を済ませながら、明石は淡々とそう答えた。
「しかし……ワレがオヤッサンの弟弟子だとは……。今度申し合いしたいもんじゃな」
やはりこの話が出てくるかと明石の向ける視線に頭を描く誠。
「そうですね。明石中佐は短槍ですか?短槍は相手にすると厄介なんですよ、それに……」
話を膨らまそうとするが明石の方がそう言ったことは上手だった。
「ワシが気になっとるのはそこやない。ワレの両親がオヤッサンに稽古つけとったという話じゃ。それにオヤッサン、ワレのお袋から一本とったことが無いて言うがそれは……」
誠は初めて耳にする話に驚いた。そもそもここ数年、彼の母親が竹刀を持っている姿を見たことが無かった。父との稽古の時に母親の太刀筋と自分の太刀筋が似てると父に言われただけで、実際小学校高学年になってからは母親と剣を交えた記憶が無かった。確かに袴姿で早朝にランニングしている姿は良く見かけたが、その手には何も握られていることが無かった。
「おい聞いとんのか?まあええ。ワシは今日はホンマええ気分なんじゃ。ワレはワシが見込んだだけのことはある。自信持てや」
そう言うと明石はカラカラと笑った。明石は見た目は怖い。カッコウや車はヤクザのそれだ。しかし悪い人ではない。明石の人柄がわかってきて誠は少しばかり安心していた。
「もうすぐ着くで」
明石はそう言うと繁華街の裏道を進む。太陽はすっかり夕焼けに染まり、中途半端な高さのビルの陰が道に伸びている。
車はそのまま対向車の来ない裏道を進んで、以前カウラの車が止まった駐車場に乗り入れていた。
「さあ行こか。どうせ他の連中はどっか寄り道しとるじゃろ」
明石はそう言うとあまさき屋のある大通りに向かって歩き出した。
「しかし、ワレも大変じゃのう。正月にやるんは冬コミとかいったか?そん時はワレに絵描かせるて、アイシャが力んどったぞ?」
誠は苦笑いを浮かべながら、疲れ果てたパーラとサラの顔を思い出していた。
「まあどうにかしますよ……と言うか勤務中に野球の練習ばかりしてていいんですか?」
その言葉に振り向いた明石がにんまりと笑う。
「オヤッサンはいつも通り見てみぬ振りじゃ……と言うか面白がっとるからのう。本部では会議では寝とる、遅刻が日課、面倒だからと隊長室に寝袋運び込んで暮らしとると言うあの人が文句言えるわけ無いやん」
誠は予想はしていたがそのいい加減な嵯峨の姿を保安隊副長の口から直に聞くと、さらに呆れていた。
「よくそれで問題になりませんね」
その言葉に明石がまた振り向いた。
「なあに、上のほうの連中はそんなこと折込済みでオヤッサンに保安隊預けとるんじゃ。それに、そうしておいてくれとった方が助かる連中もぎょうさん居るからのう」
そう言って明石はアーケードの下をそのままあまさき屋に向かって肩で風を切るようにして歩く。周りの買い物客はこの暑いのに黒の三つ揃えに紫のワイシャツ、それに赤いネクタイにサングラスと言う明石の風貌に恐れをなして、脇に避けているのが少しばかり誠には滑稽に見えた。
「じゃあ入るか。まだ誰も来とらんじゃろ」
まだ暖簾もかけていない店に明石が堂々と入っていく。6時前と言うこともありあまさき屋の中は客一人居らず、女将の春子と小夏が暖簾を持ってしゃべっているだけだった。
「若頭、それに兄弟子じゃないですか?ずいぶん早くからお越しで」
小夏がそう語りかけてくる。
「じゃあ暖簾出しといて。明石さん、今日は早いですね」
女将はそう言うと静かに着物の襟をそろえた。
「ああ、今日は新生保安隊野球部の門出の日ですけ。上の宴会場はあいとりますか?」
その明石の明るい口調に春子も笑顔を浮かべる。
「それはおめでたいですわね。予約はありませんからどうぞ」
女将はそれだけ言うと厨房のほうに向かって消えていった。明石は慣れた調子で二階への階段を上り始めた。
「神前の。少しは飲む時ブチ切れんよう注意して飲みや。これ以上アイシャにネタやる必要はないけ」
やはり釘を刺された。明石の言葉に誠は照れ笑いを浮かべる。
「分かりました」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直