遼州戦記 保安隊日乗
『嵯峨隊長は何か隠してるわね』
その数値が逆に明華の探究心を刺激した。
「何見てんのかな?」
突然後ろから声をかけられて、明華は驚いて振り返った。
いつランニングの列から抜けてきたのか、嵯峨がつまらなそうに周りの機材類を見渡している。
「今回は隠し事はしてないよ。少なくともお前さんが不安に思っている情報統制に関しては俺なんか手が出せない上の方の方針だ。俺がどうこうできる話じゃない」
そう言うと嵯峨は誠の作業の様子が映っている明華の携帯端末を覗いた。
「今回はと言うことは、いつもはしているということですね?」
嵯峨に隣に張り付かれて不愉快そうな表情を浮かべながら明華はそう言った。
「絡むねえ。確かに遼南内戦の時は、お前さんにも秘密にしてたことが結構あったけどね。それにまあ情報なら吉田に聞けば良いじゃん。俺は本当に今回は隠し事はしてないんだって」
そう言うと嵯峨は引きつっている明華のまゆ毛を見つけて後ずさりした。
「遼南内戦の時の隊長の愛機のカネミツに関するデータを尋ねた時、同じようなことを聞いた様な気がするんですがね」
そう振ってみたが嵯峨は別に表情を崩すわけでもなく、誠の作業の進捗状況を見ていた。
もうすでにデータ入力は完了して機械のほうが勝手にシステムの再構築を行っていた。
「俺はね、明華よ。皆さんが無事にここを卒業してくれりゃあそれでいいと思ってんだよ。それまで退屈せずに和気藹々とお仕事できる環境を作るのが俺の仕事だ。お前さんは勘ぐるよりまず、目の前の仕事やってくれや」
この人は読めない。
いつもの事ながら明華はもてあそばれている様な気がして視線を落とした。嵯峨はそれを見やると親指で目の前の特機を指した。
「それとこいつ等の運用試験。胡州の海軍演習場でやるから。ヨロシクね」
突然の話に明華は目が点になった。
「何でそんな遠くで……東和の菱川系の実験場とかじゃ……」
うろたえる明華に満面の笑みを浮かべる嵯峨。
「今度は隠し事させてもらうけど、そこじゃなきゃいけないわけがあるんだよ。まあ、そのうち話すから待っててね。それとこの件で吉田に聞いても無駄だよ。明華に一番初めに話したんだ。奴も俺がそっちに手を回していることくらいしか知らんはずだよ」
相変わらず食えない人だ。
明華はそう思いながら再び明石達のランニングに付き合おうと去っていく嵯峨の後姿を見ていた。
誠は入力を終えても興奮が冷めやらずにいる自分を感じていた。
『専用機か……』
感慨深いものがあった。
特機パイロット候補を志願したものの、シミュレーターでの成績がギリギリで、パイロットとしてなら輸送機部隊以外に引き取り手が無いと言われていた。大学の先輩で同じく幹部候補生上がりの佐官には、彼の所属の装備開発研究部門に誘われたこともあった。そんな自分に、最新式アサルト・モジュールのパイロットの役割が回ってくるとは思ってもいなかった。
しかも乗るのは特殊な精神感応システムを搭載していると言う触れ込みの、最新鋭機で自分の専用機。
「神前君。ちょっと顔、ニヤケてるわよ」
明華のそんな声で急に我に返った。各種設定の終了を示すランプがモニター上に点灯していた。
「とりあえず今日はこんな所ね。ご苦労様」
その言葉に押されるようにして、前部装甲とハッチを開いて、カウラと要が言い争っている間に入り込んだ。
「なんだ?新入り。もう終わったのかよ」
要がいかにも不満そうに、カウラの襟首をつかんでいた手を離す。周りでキャットファイトを期待して集まっていた整備員達が一斉に散っていく。
「二人とも何をそんなに揉めていたんですか?」
誠はエレベータから降りるとようやくつかみ合いを止めて離れた二人に話しかける。
「別に良いだろ?」
そう言ってグラウンドに向かおうとする要。
「神前少尉にも関係が有るんだ。実は……」
「カウラは黙ってろ!」
振り返って戻ってくる要。殺伐とした空気が二人の間に流れている。
誠はただ何も出来ずに二人の上官たちが口を開くのを待っていた。
「かなめー!カウラー!」
ハンガーの入り口から大声が響いた。
アイシャが野球部のユニフォーム姿でこちらに手を振っている。
「うっせえな!この腐女子!こっちは取り込んでんだよ!」
今にも食って掛かりそうな調子で要が噛み付いた。
「明石中佐がもう一段落ついたころだろうから、呼んで来いって!」
アイシャは悪びれることなくそう言った。
「分かった!すぐ準備するから待っててくれ!」
カウラはぶつぶつ一人愚痴っている要を無視するように言った。
「喧嘩はとりあえず中断だな」
要はそう言うとハンガーの奥に歩き始めた。
「そう言えば西園寺さんは何をするんですか?」
不思議そうに尋ねる誠に要は呆れたようにたれ目でにらみつける。
「とりあえずアタシは監督だからな。ノックとか連係プレーの指導とかいろいろやることはあるんだ。まあタコ中に言わせるといざ乱闘になった時の要員でアタシがいるんだと」
「それ事実じゃないの」
要の肩に手をかけて笑顔を浮かべるアイシャ。要はその手を振りほどいて頭を掻いた。
「それにピッチングマシンを買う予算が無いから打撃練習ではアタシが投げることもあるんだ。それじゃあアタシも着替えるわ」
そう言って奥の野球部の備品置き場兼ロッカーとなっている物置に向かう要。
「西園寺じゃあ火に油を注ぐようなことしか出来そうにないがな」
カウラはきつい口調で去っていく要にそう言い放った。
「今度の演習じゃあ背中に気をつけろよ」
要が聞きつけて振り返ってカウラを指差す。カウラはそんな要の声を無視するように入り口で立ち止まってアイシャから渡されたスパイクを履いていた。
「新入り!とりあえず後でノック百本やるからな!」
誠を指差していかにも腹立たしげにそういうと要はそのまま階段の奥の通路へと消えた。
「分かりました!」
誠はそれだけ言って急いでブーツを脱ぎ捨ててスパイクを履こうとして、転んだ。
今日から僕は 8
着替えが終わって、誠はロッカールームから出ると、そこには明石が立っていた。
「どうじゃ?練習初日は」
いかにも嬉しそうに、明石は誠の目を見つめてつぶやいた。
「野球の動きが戻ってないですね。肩壊してからこんなに投げ込んだのは初めてですから」
「ほうか?そいじゃあワシの奢りで島田や菰田、キムあたりを誘ってあまさき屋で飲むか?」
いつものサングラスに悪趣味な背広姿の明石の口元に笑顔が浮かぶ。
「本当っすか!途中で無しなんか……」
遅れて出てきた島田がそう叫ぶのをゆっくり頷きながら明石は聞いていた。
「島田の!じゃあワレが菰田とキム連れてこいや。ワシは誠と……」
笑顔だった明石の顔が一瞬凍りついた。
「当然、私達もいいんでしょ?」
その視線の先には着替えを終えた白いワンピース姿のアイシャがそう尋ねる。その後ろには全てを使い果たしたというような表情のサラとパーラがよたよたとついてきていた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直