遼州戦記 保安隊日乗
明華はそう言うと隣に控えていた整備班員に目配せした。彼はすぐさま搭乗用のブーツを差し出した。誠はそのままブーツを受け取ると足を押し込むようにして履いた。
その様子を確認した明華はそのまま隣のシステム担当の技官の差し出す資料の確認をすると誠に向き直った。
ブーツを履き終えた誠が立ち上がる。
「じゃあ早速乗ってみて」
そういうと明華は歩いている誠に、コックピットまでの順路を譲った。
「これ、05式ですよね」
確かめるようにして誠は明華にたずねた。
「そうよ、まあ乙型って言って特定のパイロットのある『特殊な』能力が露骨に戦闘能力に反映する機体だけど……」
明華の誠を見る目はあまり彼女が誠に期待していないことを物語るように冷たかった。
「そうですか」
誠は自分がこの保安隊の実質ナンバーワンといわれる明華に期待されていないことを感じて落胆していた。
05式は開発時には東和も制式採用アサルト・モジュールとして期待されていた機体であり、彼もまたそれに向けての訓練を受けていた。しかし、そのコストと簡易型である09式の開発のスピードもあり、実際に05式を採用したのは保安隊と西モスレム首長国連邦、それに地球のシンガポールだけだった。
そんなコストパフォーマンスを無視した精強部隊用特機に自分が採用されたのは何故か?搭乗通路に上がるエレベータでもそのことを考えていた。
見下ろせば夏季勤務服姿の要の口元にはもうすでにタバコは無く、ただ好奇心の目でコックピットに入ろうとしている誠を見ている。野球部の練習用ユニフォーム姿のカウラは心配そうに誠を見つめていた。
誠はコックピットの前で止まったエレベータから身を乗り出すと、ようやく決心がついたようにコックピットに乗り込んだ。
エンジンの暖気が済んでいると言うことを確認した後、そのままシートに尻を落ち着けた。
新品のコックピット。
調整項目の札が何枚も貼られた計器板。
操縦席の座り心地を何度か確かめ、両手を操縦桿に添えて何度か動かしてみる。
「とりあえずハッチと、前部装甲板、下ろしてみて!」
操縦席の横に置かれていたヘルメットから、明華の金切り声が響く。
誠はヘルメットをかぶると指示通りハッチと前部装甲板を閉鎖した。
静まり返った暗い空間が一瞬にして全周囲モニタに切り替わり、ハンガーの中に固定された05式の周りの風景を映し出した。
足元では、要とカウラがなんとなく不安そうに見上げている。整備員達はそれを取り巻きながら、自分達の整備の成果を見ようと息を呑んで見つめていた。
「とりあえず、ご希望のアサルト・モジュールのコックピットに座った感想はどうよ」
モニタの一隅に開いたウィンドウの中でヘッドギアをつけた明華が笑いながらそう問いかけてくる。
「うれしいですよ。それにこんな機体、本当に僕専用で良いんですか?」
その言葉を誠の謙虚さと受け取ったのか、明華は微笑んで見せる。
「まあ慣らしさえしっかりやってもらえれば、それなりに動く機体だから。それに怖いお姉ちゃん達の訓練が待ってるから、ウチじゃあ一年もすれば立派なパイロットになれるわよ」
『怖いお姉ちゃん』と言う言葉を聴いて誠は下を見下ろした。
この音声は全館放送されているらしく、要がカウラに押さえられながら何か喚いていた。
誠は計器板を見ていた。
養成所でのシュミレーターとは若干違う配置だが意味はすぐに理解できた。
「許大佐。設定見ても良いですか?」
少し興味を引かれて誠は設定変更画面にモニターを切り替える。
「ああ、あんた一応そっちも出来るんだったわね。良いわよ、おかしい所は無いと思うけど」
誠はその言葉を受けると設定公開の操作をする。画面にはオペレーションシステムの設定が並んでいた。
弄り倒してある。そんな印象だった。
全ての項目に設定変更を示す赤い文字が浮かんでおり、特に機体の空中、及び宇宙空間での制御関連はまるっきり変更されていた。
全ての原因は後付けされた右腰につけられた熱反応型サーベルの重量により発生したバランスの狂いを直すものだった。
「許大佐……」
正直ここまでオペレーションシステムの設定をいじってあると不安になる。誠は眼下で誠の機体を見上げている明華に声をかけた。
「言いたいことは分かるわよ。でもあの吉田が本部のメインコンピュータにアクセスして、計算かけて調整した結果だから安心していいわよ。まあ、隊長の指示でダンビラ後付したからそこらへんで設定変更が必要だったわけ。それに、射撃が苦手て言う話しだからそれに合わせていろいろと照準系をいじってもあるから」
あたかもそうなったのが誠のせいであるかのように聞こえて、少しばかりムッとした。誠はそう言いながら今度は深くシートに体を沈めた。訓練校のシミュレータのそれより硬い感触だがすわり心地は決して悪くは無い。
鼓動が高鳴るのを感じていた。最新スペックのアサルト・モジュールを独り占めできるということで、自然と誠の顔には笑みがこぼれていた。
「にやけるのは良いけど、とりあえず個人設定終わらせて頂戴ね」
明華の呆れたような声で、誠はようやく我に返った。
「個人設定は基本的にはそこに座って、パイロット認証システムを起動するだけで後は全部機械がやってくれるから」
明華は投げやりにそう言った。
ハード屋の彼女にとって、そちらのほうは全て吉田とヨハン、そして島田に任せてあるという分野だった。彼女は14歳で遼北人民軍大学校を卒業してから開発・運用・整備畑を歩んできたがそれにしてもこの機体は経験では図れない機体のように感じていた。
『法術システムって何?』
仕様書でその概念の理屈を見たときに有る程度は彼女も理解していた。
簡単に言えば、遼州人の一部には強力な思念波を発生させられる人間がいる。その思念波を増幅し時空間そのものに干渉してしまうという凄まじいシステムを積んだ05式乙型。
だが、その基礎理論をネットで拾おうとすると軍や軍事産業会社、それどころか研究機関や大学に至るまですべての情報にプロテクトがかけられていた。彼女の出身の遼北に於いてすら技術大佐のランクのアクセス権限では役に立つような情報は皆無だった。
その方面での専門家のヨハンもその基礎理論や乙式の法術系兵装やオペレーションシステムのブラックボックスについては口をつぐんでしまうばかりだった。
『しかし、そんな才能があの新兵君にあるのかしら』
明華はそう思って画面の中で嬉しそうに個人設定を行っている誠を眺めた。どう見てもうだつがあがらない新入社員といったところだ。
新入隊員歓迎会で二回とも全裸になろうとして周りの人間に袋叩きにされている姿は、いかにも体育会系の下っ端と言う感じであまり好感を持ってはいなかった。
そんな誠は設定画面が起動したのか、いかにも嬉しそうに作業を続けている。
明華はモニターを続けながら暇つぶしに誠のデータ入力速度を計ってみた。
それなりだ。特に変わったところは無い。
手元に送られてきた脳内各種波動は典型的な遼州人のそれであり、この機体のシステムを動かすには不十分な数値しか出なかった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直