遼州戦記 保安隊日乗
「うるせえ!この部屋にこんな荷物持って来とる神前が悪いんじゃ」
そう言うと明石は立ち上がる。
場の流れを読んで島田が空いているグラスにビールを注いで回った。
「それじゃあ改めて、遼州保安隊野球部設立を祝して、乾杯!」
この明石の声を合図に誠の部屋での乱痴気騒ぎが始まった。
今日から僕は 7
いつものように保安隊隊長嵯峨惟基の部屋は雑然としていた。メーカーから到着してもう何ヶ月になるのかわからない、フランス製の狙撃銃のバレルの入った細長い箱をどけた吉田。隊長室に埋め込まれたモニターを使って説明をしてみるが、飽きた嵯峨はあくびをするだけだった。
「ふうん、そう」
嵯峨はそういうと手にしている拳銃のボルトを、何度と無く眺め回しその表面の凹凸が無いのを確認していた。吉田はその有様を説明中も噛んでいた風船ガムを膨らましながら眺めている。
万力に固定された小口径の拳銃の本体。その下に鉄粉が広がっている様は、どう見ても一連隊規模の部隊の指揮官の執務室とは思えない。
「つまり結論は何処が餌に釣られて食いついたのか分からん、と言うことなんだろ?回りくどいのはやめようや。イタリア政府には司法局からお手紙を出したそうだが……史上最強の営利企業のマフィアの親分さん達のことだ。誠の誘拐を頼んだクライアントの名前は絶対出てこないだろうな」
嵯峨はそう言うと万力から拳銃を外す作業に取り掛かった。
「アメリカ、中国、ロシア、などの地球圏国家群や各惑星系国家連合。ゲルパルトや胡州、大麗の軍部も確かに動いてはいます。隊長が見込んだ介入勢力は一通り動いてますよ」
取り外した拳銃のフレームを眺めながら嵯峨はいつもどおり話を聞いているのかいないのかわからないような状況で突っ立っている。
「ですがどれも動くタイミングとかがばらばらで、何処が主導権を握っているのやら見当がつかない有様で……」
「まあ失敗する可能性は大きかったからねえ。身元がばれないように細工をする準備ができていたんだろ?失敗しても神前に興味を持っている勢力が五万といることを俺に示して見せるだけで十分に効果があると考えて、作戦を立案する人間なんてどこにでもいるもんだよ。難しいねえ世の中は」
そう言うと嵯峨はフレームに息を吹きかけて丁寧に埃を払い落とし始めた。
「隊長は。その中でも一番あの坊やの身元に関心がある奴についてもう目星がついてるんじゃないですか?」
吉田はそうカマをかけてみた。
しかし、そうやすやすとそれに乗るような嵯峨ではなく、淡々とバレルを拳銃に組みつけては外す作業を続けていた。時々渋い顔をしながら擦れあう部品の引っ掛かりが無いかどうか確かめる作業に集中している。だがそれがポーズであることは吉田も長い嵯峨との付き合いで分かっていた。
「それよりも神前の馬鹿ですが、あいつは一体何者ですか?確かに正規に出回っている資料でもアストラルパターン異常者と言うことと、身体能力の高いということしか判明していない。そんな奴を何で……」
「じゃあそう言う奴なんじゃないの?」
嵯峨はそう言うとようやく先ほど散々確認していた拳銃のボルト部分に手を伸ばした。
「でもそんな曖昧な情報で動く国がありますか?」
「あるんだろ?だからあいつは拉致られたわけだし」
そう言うと嵯峨は拳銃の部品を机に置いて自分の肩を叩き始めた。
「それはそうですが……こんなどうでもいい状況で各国の非正規部隊が動き出すほどのことは……」
「事実、動いてるんだから仕方ないだろ。それにお前も自分の情報網で神前のこと調べたんじゃないの?」
いったん椅子に座るとニヤリと笑みを浮かべて嵯峨が吉田のほうを見た。
吉田は別に当然と言うように、再び口を開く。
「それがめちゃくちゃだから言ってるんですよ。多重次元生命体だとか、次元・空間介入能力の持ち主だとか、非活性個体だとか。ともかくめちゃくちゃな情報が飛び交ってるんですよ。酷いのになると吸血鬼の末裔だとか、狼男だとか、アンデッドだとか言い出してる連中だっていますよ」
吐き出すべき言葉を吐き出したというように吉田は肩で息をしながらタバコに火をつける嵯峨を見つめた。
「そりゃあオカルトの世界だなあ。あいつにはお化け屋敷に就職を世話してやればよかったかなあ」
嵯峨はそう言うとタバコの煙を天井に噴き上げた。
「それがオカルトと縁の無い連中の口から出てるから不思議なんですよ。名前は言えませんが某国軍の研究所の研究員達でさえ、神前の名前を聞くとどう見ても思考能力が低下しているとしか思えない結論を語り始める有様ですよ」
そこまで話を聞くと嵯峨はタバコを灰皿に押し付けた。そして座ったまま伸びをして拳銃の部品を机の上に並べ始める。
「で、直接神前と言う男に会ってみてお前はどう思うわけ?」
何度かボルトを撫で回しながらボルトを本隊に押し込んで動かした。その出来にようやく納得が言ったのか、嵯峨は拳銃とその部品を机の上に置くと、そこに乱雑に置かれていた様々な目のヤスリを工具箱に片付け始める。
「分かりません。まあ、資料の通りなら今度の乙型の精神波感応システムを使いこなせるはずだということくらいですか」
吉田は浮かない表情でそう言うと風船ガムを膨らませる。
「じゃあそれでいいじゃん。まあ、あいつの誘拐を企てた連中のことだが、一朝一夕に特定できる相手じゃないだろうから引き続き調査をしといてちょうだいよ。そういえばその神前は何しとるの?」
「なんか、昨日の続きで野球の練習するとか言ってましたけど」
嵯峨は工具箱にヤスリをしまい終えると、部屋の隅に置かれたバットに目をやった。
「俺も素振りくらいはしとくかねえ」
そう言うと嵯峨は拳銃の組み立てにかかった。
「それじゃあスコアラーの仕事に戻るので」
いつもの皮肉めいた笑みを浮かべると吉田は部屋を出て行った。
吉田はそのまま実働部隊控え室を覗いたが誰もいなかった。
「あいつ等も好きだねえ」
そう独り言を言うと軽快に管理部の前を通り過ぎてハンガーの階段を駆け下りる。
ハンガーの中からグラウンドを見る。珍しくサングラスを外している明石の叫び声が吉田にも届いた。
「おいアイシャ。ワレの連れとシャムはどないなっとん?」
白い野球の練習用ユニフォームに身を包んだ明石が試合用の『保安隊』と左胸に縦書きで書かれたユニフォームを着たアイシャに声をかけた。
「すいません!夏コミの原稿入稿が明日で今日は修羅場なんで……」
そう言うアイシャは軽く屈伸をした。
「ったく初日からこれか。まあええわ、その方がワシ等らしい。とりあえずアイシャ。落とし前はつけろや」
そう言ってグラブをつけたばかりのアイシャにボールを投げる明石。
「え!なんかHなことされるんですか?」
ボールを受け止めたアイシャがニコニコしながら答えるのを聞いて、明石は呆れたように天を見上げた。誠はマウンドの上で何度かジャンプしていた。
飲みすぎで気分はあまり良くは無い。それは青白い頬を見れば誰にでも分かることだった。
「昨日、神前の球見たろ?」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直