遼州戦記 保安隊日乗
「ああ、さすがにフィギュア作りは無理かなあと思って。一応、原型製作のために作ったスケッチならありますよ」
誠はカウラの刺すような視線が機になってアイシャから離れて立ち上がった。アイシャはその腕をつかんで一緒に立ち上がる。
今度は左腕に柔らかなアイシャの感触を感じてカウラを見る。今度はカウラはボールを見つめて右手の上で転がしていた。自然と誠の目はその胸に行く。
夏季勤務服の薄い生地、そこには平原が広がっていた。
また、悲しいサガで、パーラの胸を見る。明らかにカウラの平原とは違う盛り上がりが同じ夏季勤務服の下にあることがわかる。しかし、パーラはすぐその視線に気づいてきつい視線を投げかけてきた。
誠は自己嫌悪に狩られながら作画用の机の引き出しを開けるとスケッチブックを取り出した。相変わらず左腕にアイシャがすがり付いている。
「あの、アイシャさん?いつまで引っ付いて……」
「そうね!これね!ちょっと見せてもらうわよ!」
パーラの汚いものを見るような視線にようやく気づいたのか、アイシャはようやく誠を解放するとうって変わった真剣な表情でスケッチブックを見始めた。
誠が初めて見るアイシャの目がスケッチブックの絵を見つめている。慎重にページをめくる手も、いつもの軽薄さを感じない。
そんな姿を察して少し声をかけるのはやめようと、誠は右手でボールの握りを確認しているカウラに声をかける。
「カウラさんて、右投げですよね?」
その言葉にボールを見つめていたカウラが誠に目をやった。
「ああ。明石中佐が体が柔らかいならやってみろというので、アンダースローで投げている」
ボールを何度と無く握りなおしている。誠は机の上にもう一つ置かれていたボールを左手で握ると彼女の前に座った。
「球種は、何を投げますか?」
カウラの手はストレートの握りから多少指をずらしてみると言う動きを繰り返している。それを誠は見つめていた。
「まだ始めたばかりだからな。ストレートとシュートだけだ。とにかくコントロールさえ間違えなければどうにかなるというのが、明石中佐の助言なのでな」
そう言うとカウラはストレートのボールの握り方で誠の目の前に右手をかざした。
「シンカーとか、ライズボールとか、横だけじゃなくて縦の変化もつけたほうがいいですよ。その方が相手バッターの意表をつけますから。それとチェンジアップ……」
そう誠が言いかけた時、いつの間にか部屋から出ていたサラがドアの前で手招きしているのが見えた。気がつけば島田もいなくなっている。
カウラはそれぞれ誠の言った球種の握り方は知っているらしく、手にしたボールに集中している。
誠はその隙を突いてサラのほうへと出て行った。
「何ですか……」
誠が言いかけた時、サラの隣に人影があるのに気づいた。要が手に携帯用の灰皿に吸殻を落としていた。
「たまたま近くをバイクで流してたら、サラから連絡があってな」
要が言い訳のように誠と目もあわせずにそう言った。
「ああ、そうなんですか」
「たまたまだからな!」
聞かれてもいないのに要は、吐き捨てるようにそういった。
「ここにいたら二人に聞かれるよ。踊り場のほうに行ったら?」
サラが気を利かせてそういうのを待たずに、要は身を翻して廊下を先に進んだ。
「西園寺さん」
二階の踊り場のソファーにずかずかと歩いていき、どっかと腰をすえる要。誠はそれについていくしかなかった。
「お前のことだからアイシャにからかわれて泣いてるんじゃないかと思ってな。一応お前の上司だし、部下の面倒を見るのが上司の……」
語尾に行くにしたがって自分の言葉が言い訳じみてくるのが嫌なのか、要は視線を落としてしまった。
「免停中じゃなかったでしたっけ?」
誠の冷静な突っ込みに、烈火のごとく怒った要の顔がこちらを向いた。
「うるせえな!見つかんなきゃいいんだよ!ったく……」
要はそう言うとタバコを取り出す。
「あの……喫煙所は一階なんですけど……」
誠がそう言うと要はきつい視線を誠にぶつけた。
「馬鹿野郎!どうせ島田のアホが決めたことだろ?アタシは中尉だ。あいつの上官だ。なんであいつの決めたルールを守んなきゃいけないんだよ!」
そう言いながら携帯灰皿をテーブルに置いて要はタバコをふかした。
廊下の奥から顔を出した島田は要の目に入らないように足を忍ばせて顔を覗かせている。
明らかに自分を見殺しにしようとしている島田を見つめて誠は泣きそうな表情を浮かべた。島田は手をあわせるとその後ろから顔を出そうとしているサラを押しとどめて自分の部屋に引きずって行った。
要はソファーの上で足を組みながら天井にタバコの煙を吐き出す。
「ったく贅沢だぜお前等。士官は自分で住処を探すのが規定なんだぜ、ったく……」
要はそう言うとくわえていたタバコを携帯灰皿に押し付け、すぐさま次のタバコに火をともす。
「すいません」
なんとなく気が咎めて頭を下げる誠を要が鋭い目つきでにらみつけた。
「オメエ、馬鹿だろ。オメエが決めた規則じゃねえんだ。何でも謝るのは悪い癖だぜ。特にこの仕事続けるなら自分が原因でも喧嘩を売るぐらいの気迫がねえとやっていけないぞ!」
怒鳴りつけられて誠の気分はさらに沈んだ。
熱くなった自分を反省するように要は深呼吸をする。そして黙ってうつむいている誠を見ながら、要は髪の毛を掻きながら静かにつぶやいた。
「悪かったな」
本当に小さな声だった。誠は彼女が何を言おうとしているのかわからなかった。ただ明らかにこれまでの横柄な要らしい態度から急変して頬を朱に染めて下を向いている要が目の前にいる。
その信じられない光景にしばらく誠は動けなくなっていた。
「聞こえねえのか?悪かったって言ってんだよ!」
下を向いたまま要が叫ぶ。まだ誠には要が何でこんな行動に出ているのかわからなかった。
「あのー、何の話ですか?」
誠がそう言うと要は急に立ち上がってくわえたタバコの煙を吐き出しながら襟首をつかんで誠を力任せに壁に押し付けた。
「皆まで言わせんじゃねえよ!この前のオメエが人質になった時のことだよ!」
そこまで言ってから要は自分のしている行動が謝ろうと言う意思とはかけ離れていることに気付いて誠の襟首から手を離した。
誠は要から解放されてほっとしながら、彼女が謝ろうとしていることに気付いて伏し目がちな要を見下ろした。
「あの時オメエのこと……」
どうにも自分の心を伝えられないもどかしさに頭をかきむしる要は意を決して誠を見上げた。
それでもその先にある誠の視線に気づくと要はまた顔を下に向けた。
「ともかく、あん時はアタシも強引過ぎた。それが言いたかっただけだ……」
そう言うと要は再びソファーに身を投げてタバコをふかした。
「ツンデレだー!」
要が腰掛けていたソファーの後ろから緊張感の無いシャムの声が響いて、要は目を白黒させて立ち上がった。振り返った要はキッと目を見開いてシャムの方を見つめるが次の瞬間腹を抱えて笑い始めた。
誠もあわせてそちらのほうを見つめた。そして意識が凍りついた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直