遼州戦記 保安隊日乗
そう言うと誠は腰のポケットから財布を取り出してその中に入れてある鍵を取り出した。
「鍵を財布に入れるのは感心しないな」
ポツリとカウラがつぶやく。しかし、すぐさまアイシャとサラがにやけながら彼女を見つめるので黙ってしまった。
ドアが開いたとたん、待ちきれないと言うようにサラが誠の部屋に飛び込む。
スリッパをドアのところで脱ぎ散らかすと、彼女は部屋を満遍なく眺めた。
「アイシャの部屋みたい!」
サラの第一声はそれだった。書庫に並んだ漫画、フィギュア、プラモ。
誠の性格を反映するかのように、几帳面にそれは並べられていた。
カウラとパーラも思わず息を呑んでいた。
「ささっ、そんなに緊張しないで入って」
アイシャは誠を押しのけるとスリッパを脱いで部屋の中央に胡坐をかいて座り込む。
「あのー、ここ僕の部屋なんですけど」
誠の言葉を聞くまでもなく、カウラとパーラはスリッパを脱いで部屋に入った。
「確かにアイシャの部屋そっくりね」
パーラはそう言うとアイシャの隣に正座して座る。カウラは驚いた様子で部屋を立ったまま満遍なく眺めていた。
「じゃあお茶取って来ますから」
そう言うと誠は廊下に出た。そして階段を降りると意外な人物が靴を脱いでいるところだった。
誠達を見送ったはずの島田がそこにいた。
「よう!」
スリッパを履くと島田が声をかける。
「良いんですか?島田先輩」
先任下士官で、技術部の事実上のナンバー三である彼は、この下士官寮の寮長でもある。
「姐御じきじきの頼みでね、お前さん達が馬鹿なことしないようにって派遣されたわけだ」
面倒見の良い親分肌の島田を明華は非常に信頼していることは、誠もここ数日だけの経験だけでもわかっていた。
「茶でも入れるつもりだろ?夜勤の連中が用意している時間だろうから大丈夫なんじゃないの?」
そう言うと島田は誰もいない喫煙所の脇を抜けて食堂へと向かう。誠もそれに続いて二人の技術部員が寂しげに食事をしている食堂に入った。
「そのやかん、麦茶か?」
島田の姿を見て二人は頭を下げた。
「ええ、ですがほとんど残りは無くて……これより厨房に一杯に入ってるやつありますよ」
「そうか」
眼鏡をかけた隊員の言葉を聞くと島田は誠に目を向けた。誠はそれが取って来いという合図とわかって厨房に入る。
流しに置かれたやかんを持ち上げてみると確かに一杯に麦茶が入っていた。だが、やかんを触ってみるとまだ生暖かった。
「ぬるいですよ、これ」
誠の言葉に島田は呆れたような表情を浮かべた。
「生きてるうちに頭使えよ。氷を入れればいいだろ?そこの冷凍庫にロックアイスが入っているから」
島田は戸棚から盆を出してグラスを六つ並べる。指示通りに誠は冷凍庫からロックアイスを取り出した。
「じゃあ行こうか」
そう言うと島田は食堂を出た。
階段の手すりに手をかけた島田が立ち止まると振り向いた。
「島田先輩……?」
誠は西日に照らされて表情の読めない島田の顔をまじまじと見つめた。
「何も言うな。お前の立場上こういうこともあるだろうということは先刻承知の上だ……、だがなあ……」
そう言う島田の肩が震えている。
「先輩?」
誠は読めない島田の表情を前にして言葉に詰まった。
「羨ましいぞ!神前!」
島田が手すりに伸ばした手を誠の肩に乗せた。
「あ!マサトっちだ!」
様子を見に階段から下を眺めていたサラがそう叫んだ。
「ああ、そうですよ!」
そう言うと島田は駆け足で階段を登る。誠はその後に続いて自分の部屋に入った。
「遅いわよ!」
アイシャの声に島田は頭を下げながらコップを配る。
誠も手にしたロックアイスの袋を開けてコップに氷を入れ始めた。
「荷物運ぶ時から予想はついてたけど、濃い部屋だよな?」
島田は手元に落ちていたアニメショップでもらった団扇で顔を仰ぎ始めた。
「ほっといてください!」
誠はやかんのぬるい麦茶をコップに注ぐ。
「お茶菓子くらい欲しいわね。サラ、あなたよくここに来てるから場所とかわかるんじゃないの?」
アイシャの言葉にサラが飲もうとした麦茶を噴出しそうになった。
「アイシャちゃん!それは言わないでって!」
カウラの視線がサラに向いた。
「何だ?サラの奴、誰かと付き合ってるのか?」
島田が大きく咳払いをする。誠とカウラはそれを見て笑いあった。彼は当然のようにサラの隣に座って麦茶を飲み干した。サラが麦茶の入ったやかんに手を伸ばそうとするのをアイシャが制してやかんに手を伸ばす。
二人はパーラに目をやった。
パーラがどこか浮かない表情を浮かべているのが誠にもわかった。
カウラもそれを察して立ち上がると本棚や机を触り始めた。
「確かに、アイシャの部屋に似ているな」
カウラはそういうと一冊の同人誌を手に取った。アニパロの十八禁漫画、誠の額に汗が噴出す。
カウラは顔色を変えずに誠に目をやった後、静かにそれを本棚に戻した。
「誠ちゃん!そう言うのは分からない所に紛れ込ませなきゃ」
アイシャがニヤつきながらそう言って、擦り寄ってくる。
「アイシャ!」
パーラが手にしたコップを置くと叫んだ。
「パーラちゃんたら一度男にだまされたくらいで……それともあれ?嵯峨楓少佐と同じ百合趣味に走るつもり?」
サラは困った顔で隣の島田の膝を叩く。島田もアイシャを止めるべきか迷っているようにアイシャを見つめる。
「馬鹿なこと言うんじゃないわよ!あんたと組んでてそんなことしたら、どんな噂立てられるか、それに……」
誠はただ呆然と二人のやり取りを見ていた。パーラの目には涙があふれてきている。
「さっきのストレートのことだが」
突然机の端に置いてあったはずのボールを持ったカウラが背中から声をかけてきたので、思わず誠はのけぞった。その視線の先で島田が安心したように麦茶を飲み干す。
「なんだ、ストレートですか?確かにコントロールが落ちてるのは認めますが」
まるっきりパーラとアイシャの険悪なやり取りを聞いていなかったカウラのおかげで部屋の窮地が救われたことに感謝しながら誠はそう言った。
「そうじゃない。リリースポイントをもう少し前に持っていったほうがいいんじゃないのか?私も春の実業団の予選で先発したが、明石中佐はひたすらリリースポイントを前に持って行けと助言してくれたから球が安定したぞ」
カウラは何度かボールを握って誠に見せる。
「そうですね、もう少し球持ちをよくしたほうがいいとは、以前から言われていたのですがどうにも難しくて……とりあえず今度やってみます」
野球談義で空気が変わったことを感謝するようにアイシャが誠に寄りかかってくる。
「さすがピッチャー同士、話が合いますなあ。そこでオタク同士の話ですが、原型が無いのね。机はすぐ絵が書ける状態なのに」
ユニフォーム姿のアイシャがまた誠にまとわり着いてくる。再び胸が背中に当たるのを感じて誠はパーラの方を向いた。彼女は島田に麦茶を注がせ、サラに団扇で顔を扇がせていた。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直