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遼州戦記 保安隊日乗

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 二人とも全く動じるそぶりもなく、話を向けられた明石はサングラスを外してその巨漢に似合わない小さな目をこすっている。
「まあええんと違いますか?西園寺のあほが何処とは言いませんが、大統領に発砲しかけた時は賞与全額カットやったですし」 
 明石がさらりとそういってのけたのを見て、誠は少しばかり安心した。
「それじゃあ失礼します!」 
 誠が勢い良く扉を開けて去っていく。その様子を見送りながら嵯峨はひじを机の上についてその上に顔を乗せて明石を見つめる。
「タコ。ちったあ、フォローしてやれよ。一応、実働部隊の隊長はテメエってことにしてやってるんだからなあ?」 
 風船ガムを膨らまして、虚ろな目つきでやり取りを傍観していた吉田がそう言った。明石はサングラスをかけなおしながら、頭を掻きつつ吉田を見下ろした。
「そうだな、起きたことは仕方が無いけど。問題はこれからのフォローだな。実働部隊隊長さんには苦労かけるがよろしく頼むよ。それで話は変わるんだけど……これなんだけどさ」 
 嵯峨はそういうと立ち上がって、骨董かゴミか区別がつかないようなものが積み上げられた脇机の中から包みを一つ取り出すと、明石に手渡した。
「持ってってやんな」 
 明石はそれを手に取る。その触った感触で明石の浮かない顔が明るく変わった。彼は敬礼をして廊下に飛び出した。飛び出した明石の前にぼんやりと前を見つめたまま、何も出来ずにいる誠の姿があった。
「ワレ!しゃきっとせんか!」 
 そう言うと気の抜けた顔で振り向いた誠に、包みの中のグラブを投げつけた。
 誠は素早くそれを受け止めると、それがかつて自分が大学野球で使っていたそれだと気づいて明石の顔をもう一度まじまじと見つめた。
「ちょっと、受けさせてもらえんかの。ワレのスライダー」 
 そう言うと明石は言葉を発しようとしてまごまごしている誠の肩をがっしりとつかんでハンガーの方に足を向ける。
 しゃきしゃき歩く明石だが、思い立ったように実働部隊の詰め所の前で足を止めると、部屋の中で所在無げにしているカウラを見つけた。
「おい!カウラ!ワシのミット取ってくれんか?こいつの球、受けようと思うてな。それとお前も見とったほうがええぞ。こいつのストレートの切れは天下一品じゃけ」 
 カウラが無表情のまま明石の机を漁りだしたのを確認すると、二人はハンガーへと降りていった。
「神前の。足のサイズは?」 
 サングラスを直しながら明石が尋ねてきた。
「二十九センチですけど」 
 誠の言葉に納得したように頷く明石はハンガーを歩き始めた。
「島田!スパイク取ってきてくれんかのう。コイツの分も入れて二つじゃ!サイズは29やぞ!」 
 明石が談笑している整備員の一人に声をかける。その言葉に島田と呼ばれた曹長は駆け足で技術部の詰め所と物置がある一階のフロアーへと駆け出した。
「安心しろや。ワシは水虫ちゃうから」 
 そう言いながら待っていると物置から明石のスパイクを二足持った島田が走って現れる。
「すまんな、古い方を使ってくれ」  
 そう言うと古いスパイクを誠にあてがう明石。誠も特に気にすることもなくスパイクを履いた。
「コイツの野球同好会入部は確定ですか?」 
 どこか憎めない角刈りの島田が明石に尋ねた。
「それをこれから見るんじゃ」 
 そう言うとスパイクを履き終わった明石が腰を伸ばした。
「神前の。この島田が整備班班長で下士官寮の寮長をやっとる。ほんで野球同好会の一員じゃ。後で挨拶しとけや」 
 誠はスパイクの紐を結び終えて立ち上がると島田に手を出して握手を求めた。島田は自分の手についた油をつなぎのわき腹の辺りでぬぐって握手をした。
「まあがんばれよ」 
 そんな島田の声を聞きながら歩き出した明石の後に続いて誠は小走りでハンガーを出た。
 お互いグラブをつけた明石と誠はハンガーの搬入路を渡りきったグラウンドの上でキャッチボールをはじめた。その様子を暇をもてあましている整備員達がぼんやりと群れを作って眺めていた。
「肩の調子はどうじゃ?」 
 明石はおっかなびっくり投げている誠に向かい、そう尋ねた。
「とりあえず痛みは無いですが……」 
 明石の投げた球をグラブの中で握りなおす誠。明石はそんな誠を見ると笑顔を浮かべた。
「それじゃあ軽く投げてみるか」 
 そう言うと明石はグランドのホームプレートに向かって歩き始める。
「プロテクターとかは?」 
 誠はそのままマウンドに向かいながら明石に尋ねた。
「ワシを舐めとるんか?ワレの弱気な球くらい体で止めて見せるわ!」 
 誠はその言葉にむっとすると、マウンドを馴らしながらじっと右手のミットの中の白球を見つめた。
 本当にこれを握るのは久しぶりのことだった。
 怖かった。
 実際、肩を壊してベンチでじっと自軍の負け試合を応援団に混じって見続ける日々が頭に浮かんでくる。そんな屈辱的な映像が浮かぶのを打ち消すように、誠は思わず視線を地面に落とした。
「とりあえず肩馴らしじゃ」 
 そう言うと明石は中腰のままミットを構える。誠は軽く明石のミットにボールを投げた。スパンと音を立ててボールは明石の左手に吸い込まれた。
「もう三球。腕を振り切るように投げてこいや」 
 ミットのボールを誠に投げ返す明石。
 誠はボールを受け止めるとそのままセットポジションで投げ込んでみる。投げた三球ともに思った通りの球筋が明石との間に描かれた。肩に感じるものは特に無い。
「じゃあ今度はストレートを十球。セットアップのままで良いから投げろや」
 明石はそう言って座り込む。そしてミットをど真ん中に構えた。
 誠もようやく覚悟が決まり、ゆっくりと振りかぶってみた。
 体は覚えていた。確かにそれはプロのスカウトに注目されていたころの、自分でも自信を持って球を投げ込める時のフォームだった。しかし、腕を振った瞬間。その腕に伝わる遠心力が弱っているのを感じて不意に指先の力が抜けていくのが分かる。
 投げられたボールは、誠が狙った所より30cmも上に外れた。
「何しとんねん?コントロールが生命線の投手の投げる球やないで!もう一球じゃ!」
 そう言うと再び、明石はミットをど真ん中に構えた。
 誠は助けを求めるようにして、人垣のほうを見つめた。
 その中にカウラと要の姿が有るのがすぐにわかった。特にカウラは真剣に誠の手の動き、指先の動きを丹念に眼でなぞっているのが分かる。
 誠は意を決したようにもう一度セットし、再び昔のフォームで今度は力を少し加減して投げ込んでみた。
 バシリと明石の構えたミットに寸分たがわぬコントロールで白球が吸い込まれた。
 しかし、明石は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「手を抜きおって!本気で来いや!」 
 そう言って明石は力をこめて誠に返球する。グラブに感じる力のある返球に誠は少しだけ意地になった。
 今度は腰から肩へ、そして手先にと力点を意識しながら回転をかける昔の様子で腕を振るった。ど真ん中に吸い込まれるボールだが、サングラス越しにもわかるくらいに明石は不機嫌そうに球を投げ返してくる。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直