遼州戦記 保安隊日乗
「あのー、僕の素性って?」
誠はたまらず聞き易そうな明石にそう尋ねた。
「ノーコメント」
明石は短槍にこびり付いた着いた血を拭いながら、わざと誠から眼を逸らすようにしてそう答えた。
「アタシもノーコメント。ああ、シャムに聞いても無駄だぜ。こいつは何も分からんから」
そう言うと要はタバコを口にくわえて誠から目を反らした。
「酷いんだ!要ちゃん!アタシだって知ってることはあるよ!」
「じゃあ言って見ろ」
そう言うと、要はわざと大げさに煙を天井に吹きかける。シャムは必死に記憶をたどりながら抜き身の短刀を振り回した。誠はそれを避けながらシャムに淡い期待をかけた。
「誠ちゃんはね。絵が上手いんだよ!」
誠の硬直していた体の筋肉がシャムのまるで期待しなかった回答に緩んだ。
「それで?」
今にも笑い転げそうな表情に変わった要がシャムの真剣な顔をまじまじと見つめる。
「左利きで、ピッチャーやってた」
シャムは頭をひねりながら言葉を続けた。
「だから?」
「とにかく凄いんだよ!」
ばたばたと手を振り回すシャム。誠は彼女に期待した自分を恥じた。
「あっそう」
全く取り合わない要にシャムが真っ赤な顔で答えを考えているのを聞きながら、要は何事も無かったかのようにタバコを燻らせる。
「まあ、そのうち嫌でも分かるだろって、叔父貴はどうしてるんだ?でく人形」
シャムの顔を見ながら要はこの場にいない吉田を怒鳴りつける。
『嵯峨の旦那ならリアナのお姉さんとブリッジの連中を連れて、こいつ等のクライアントのところにご挨拶に行ってるよ。まあダンビラ抱えて出かけてったから、もしかしたら今ぐらいの時間にはそいつの首でも挙げてるんじゃねえのか?』
吉田はそう無責任に答える。
「兼光……引っ張り出したんですか?」
誠は師範代としての嵯峨のことを思い出した。幼いころ、試し斬りで何度と無く愛刀兼光を振るって蝋燭や藁人形を斬ってみせる彼の姿は誠の憧れだった。
『まあ、あの連中も馬鹿じゃねえだろ。ダンビラ抱えてる隊長に喧嘩を売るような酔狂な奴は俺くらいだ』
吉田はそう誇らしげに言った。
かつての嵯峨の剣先の鋭さを子供ながらに覚えている誠は、少しばかり納得した。
誠は再び自分の手の中の拳銃を見た。そして周りのチンピラの死体を見て白くなる意識にあわせてそれを落とした。
「神前少尉。そう簡単に銃は落とすな」
カウラが優しい調子で落ちた拳銃を拾い上げて誠に渡す。
「申し訳ありません」
ようやく体が動くようになった誠は立ち上がった。
「とりあえず下に降りるか」
カウラの言葉に要もシャムも明石も納得したように狭い雑居ビルの階段を降り始めた。
誠もその後に続いて階段を下りる。
先ほどまで恐怖と混乱で動かなかった体が、思いもかけないほど自由に動くのを感じて誠はほっとした。
「なんだ、泣いたカラスがもう笑ってやがる」
タバコを落としてもみ消した要がそう言って笑った。
「これがはじめての命のやり取りだ。正気でいられるのは私のようにそのために作られた人間くらいだ」
カウラはそう言うと踊り場に倒れている死体をよけながら一階に向かう階段を降りる。そんなカウラの態度が気に入らないと言うように要は目を反らした。
「お疲れさんだな」
雑居ビルから外の熱気の中に出た五人を巨大なアンチマテリアルライフル、ゲパードM3を背負った吉田が迎えた。誠はようやく自分が生きていることを実感して大きく深呼吸をした。
今日から僕は 5
「あっちは片がついたみたいだねえ」
東都。経済で遼州の大国となったこの国の首都らしく次々と着飾った人々が行きかう中心街。その大通りに面した人目で一等地とわかる場所にある贅を尽くした建物。そこの一階にはイタリア系ブランドの宝石店が居を構えていた。
嵯峨はダンビラを肩に乗せたまま、じっとその前で立ち続けていた。周りの買い物客はその姿に怯えたように遠巻きにその姿を眺めている。
通報した人物がいるようだが、警官は嵯峨が身にまとっている東和軍の陸軍の制服の袖につけられた笹に竜胆の部隊章を見て、その場で近づかないように野次馬の規制を始めた。
「リアナ。俺が抜刀したら空気読んで入ってきてよ。まあ、抜くかどうかは気分次第だな」
『了解しました』
嵯峨はリアナのその言葉を合図に口にしていたタバコを投げ捨てると、軍服姿には場違いな高級感のある店の中に入っていった。
店員達は瞬時に彼の姿に警戒感をあらわにする。外から覗き込んでいる警官が彼を制止しなかった所を見ていたのか、とりあえず係わり合いにならないようにと自然体を装いながら嵯峨から遠ざかった。
店の中にいた客は嵯峨の手にある日本刀に驚いたような顔をしているが、すぐに店員が彼女達に耳打ちをして嵯峨から離れた場所に移動した。
嵯峨は慣れた調子でショーケースの間をすり抜けながら、ただなんとなく店を見回してでもいるような感じで店の中を歩き回った。一人の若い女性店員が意を決したように店内を落ち着いた調子で眺めている嵯峨に声をかけた。
「お客様。保安隊の方ですよね?他のお客様が……」
「ここで暴れるつもりはねえよ。ここのオーナー出しな。名目上のじゃねえよ。モノホンの方だ……て、あんたに言っても分からんか……そこのアンちゃん!」
懐に手を入れたままで、じっと嵯峨の方を見つめていた一人の店員に声をかけた。店員は瞬時にその手を抜くと、何事も無かったかのように嵯峨の方を笑顔で見つめた。その頬に緊張の色があることを、嵯峨は決して見落とさなかった。
「アンちゃんよう!俺みたいに怪しい人物が来たら案内する方のオーナー、今日来てんだろ?そいつのとこまでつれてってくんねえか?」
嵯峨は満面の笑みを浮かべながらそう言った。
アンちゃんと呼ばれた店員は初老の店長らしき人物に目配せをする。静かに頷いたロマンスグレーの髪を見ると店員は嵯峨の前へと歩み寄ってきた。
「お客様、店内であまり大声を出されても……。こちらになりますので」
「ああ、知っててやってんだ。気にせんでくれ」
嫌味たっぷりにそう言うと、業務用通路へ向かうアンちゃんの後ろについて嵯峨は歩いていった。彼に従って従業員で入り口からビルの奥へと進む。そしてそのまま人気の無いエレベータルームにたどり着いた。
「お勤めご苦労」
二人きりになると嵯峨はアンちゃんと呼ばれていた男にそう言った。男は周りを見回した後、急にへりくだった調子で語り始めた。
「お上。カルヴィーノは今朝、私室に入ったまま動く様子はありません。見込みどおりあの男が中国の外務省のエージェントと接触しているのは私も……」
嵯峨は手を上げて若い男の言葉を制した。
「そいつはダミーだよ。何しろ今回の一件はこっちから仕掛けてるんだ。パレルモの旦那衆も馬鹿じゃねえよ。神前ちゃんの売り手はいくらでもあることくらい、ちょっと頭の回る人間ならすぐわかることさ。値段がつりあがるまで待って、そこで引き渡すってのが商道ってもんだろ?吉田の馬鹿が漁っただけでも、アメちゃんはその倍の値段を出してたぜ」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直