遼州戦記 保安隊日乗
「おい、チンピラ。そいつの頭が吹っ飛んだら人質はいなくなるんだぜ?そのこと考えたことあるのか?」
要のその一言は明らかに男の動揺を誘っていた。それを見透かすように要は銃口をちらつかせながら後を続けた。
「つまりだ。お前みたいな能無しにでもわかるように説明してやるとだな、その役立たずの頭が吹き飛んだ次の瞬間には、テメエの額にタバコでも吸うのにちょうどいい穴が開いているという仕組みになっているというわけだ。つまり、テメエはどう転んでも何も出来ずにここでくたばる運命なんだよ!」
男の腕の力が再び緩んだ。誠は要の合図を待ったがまだ要は何も合図をよこさない。
「うるせえ!そんなの張ったりだ!テメエにこいつを見捨てるような……」
叫びながら男は拳銃のハンマーが上がっていることを確認したり、視線を要から離して階段の方を見つめたりと落ち着かなくなった。完全に男は要の術中にはまっていた。
「やっぱり馬鹿だな。保安隊に喧嘩売ろうって言うならもう少し勉強しとけ。叔父貴の馬鹿が、どんだけ味方を囮に使ってテメエの命を永らえたかぐらい、少し戦術と言うものを学んだ人間なら知ってるはずだぜ?まあ、オメエみたいなチンピラの知るところじゃあねえだろうがな」
男だけでなく誠も、要の楽しそうに二人の運命をもてあそんでいる言葉に心臓の鼓動が早くなって行くのを感じた。
「うるせえ!撃つぞ!ホントに撃つぞ!」
「だから、さっきから言ってるだろ?撃てるもんなら撃ってみろって」
その言葉に男はようやく決心がついたようで、ガチリと誠のこめかみに銃口をあわせた。
『伏せろ!』
要の合図と同時に、誠は男の手を振りほどいて地面に体を叩きつけた。
轟音が響き、肉のちぎれる音が、誠の上で響いた。
誠が振り向くと、壁の破片と一緒に男の上半身が吹き飛ばされて踊り場の方に飛んでいるさなかだった。
階段下の三下はそれを誠達と勘違いして、サブマシンガンでの掃射を浴びせかけ、男の上半身はひき肉になった。
誠はそのかつて人間だったものから目を反らして後ろの壁を見た。
そこには人の頭ほどある弾丸の貫通した跡が残り、コンクリートの破片が散乱している。
『どうだ?うまくいったろ?』
吉田の緊張感の無い言葉が、誠のイヤホンに響いた。その声で誠は状況を把握した。
要が時間を稼げと言ったのは、吉田が壁をぶち破るほどの威力のアンチマテリアルライフルで男を狙撃する位置まで移動する為の時間稼ぎだったのだろうと。
「知ってたんだろ、叔父貴は?さも無きゃテメエがこんなに早くそこにいるわけねえもんな」
要は安心したように胸のポケットからタバコを取り出して一本くわえた。
『まあいいじゃないの?どうせ遅かれ早かれ食い付く馬鹿が出てくることは分かってたことだ。それよりどうする?下のアホを片付けるのはカウラにでもまかせるか?』
タバコにジッポで火をつけると要は誠の目を見てはっきりと言った。
「抜かせ!アタシがけりをつけてやるよ」
そう言うと要は銃をもう一度、確実に握りなおした。
『この人は楽しんでる……』
相変わらず残忍な笑いを浮かべている要を見て誠はそう確信した。
誠は要に視線をやりながらも、下での話し声に耳をすませていた。先ほどからもめている若いチンピラの声に混じって下から駆けつけたらしい低い男の声が聞こえる。
「どうするんですか?西園寺さん。三人はいますよ」
誠は銃を拾い上げながら、通路越しに要に話しかけた。
要は一瞬下を向いた後、誠に向き直った。
「お前、囮になれ」
そう言うと嬉しそうな顔をする要。まるで何事も無いようにその言葉は誠の耳に響いた。
「そんなあ……」
誠は要に渡されたチンピラの銃を手に握って泣きそうな顔で要を見つめる。
「あんなチンピラにとっ捕まるようじゃあ、先が知れてらあ。これがアタシ等の日常だ。嫌ならさっさとおっ死んだ方が楽だぜ?」
要は階下を覗き見てそう言い放った。下のチンピラ達はとりあえず弾を込め直したようですぐにサブマシンガンの掃射が降り注いでくる。
「どうしてもですか?」
誠の浮かない表情を見て要は正面から誠を見つめた。
「根性見せろよ!男の子だろ?」
要はそう言うと左手で誠にハンドサインを送る。突入指示だった。
「うわーっ」
そう叫んで誠はそのまま踊り場に飛び出すと、拳銃を乱射しながら階段を駆け下りた。
「馬鹿野郎!それじゃあ自殺だ!」
要は慌ててそう叫ぶと、すぐさま後に続いて立ち上がり、棒立ちの三人の男の額を撃ち抜いた。
「うわあ、ううぇぃ……」
三人の死体の間に力なく崩れ落ちる誠。
「冗談もわからねえとは……所詮、正規教育の兵隊さんだってことか?ったく。それにしても……下手な射撃だなあ」
誠の撃った弾丸が全て天井に当たっているのを確認すると、要は静かにポケットから携帯用の灰皿を取り出しタバコをもみ消す。
肩で息をしていた誠の耳に思いもかけない足音が響いて誠は銃を向けた。誠の拳銃はすでに全弾撃ち尽くしてスライドが開いていた。震える銃口の先にはアサルトライフルを構えているカウラの姿があった。
「神前少尉……無事なようだな、西園寺!」
銃口を下げて中腰で進んでくるカウラが叫んだ。
その後ろからは抜刀したシャム、短槍を構えた明石が階段を上ってきた。
「誠ちゃん、大丈夫?要ちゃんに虐められたりしなかった?」
短剣を鞘に収めたシャムがしゃがみこんで銃を構えたまま固まっている誠の肩を叩く。
「何言ってんだよシャム!アタシは戦場の流儀って奴を懇切・丁寧に教えてやったんだよ!なあ!神前!」
要の言葉を聞きながら明石とシャムが手を伸ばすが誠は足がすくんで立ち上がれない。
誠には周りの言葉が他人事のように感じられていた。緊張の糸が切れてただ視界の中で動き回るシャムと明石を呆然と見つめていた。
「まあ無事やったのが一番なんとちゃうか?それで良しでええやん。立ち上がれへんなら手を貸そうかいのう」
明石が短槍をシャムに渡して手を伸ばす。その声で誠はようやく意識を自分の手に取り戻した。顔の周りの筋肉が硬直して口元が不自然に曲がっていることが気になった。
誠の手にはまだ拳銃が握られている。
その手を明石の一回り大きな手がつかんで指の力を抜かせて拳銃を引き剥がした。
「大丈夫か?コイツ」
誠の背後で要の声が聞こえる。次第にはっきりとしていく意識の中、誠はようやく明石の伸ばした手を握って立ち上がろうと震える足に力を込めた。
「それにしても、ずいぶんと早ええんじゃねえか?この役立たずの素性がばれるには少しくらい時間がかかると思ったが」
要は二本目のタバコに手をかけながらそう言って見せた。誠は何のことだか分からず、ただ呆然と渡されたジッポで要のタバコに火を点す。
『ああ、神前の素性か?嵯峨の旦那に頼まれて俺が一通りリークして回ったからそのせいかな?』
イヤホンから吉田のやる気のなさそうな声が響いた。
「叔父貴の奴……ったく何考えてるんだ?」
要は吐き捨てるようにそう言うとタバコの煙をわざと誠に向けて吐き出した。それを吸い込んで咳き込む誠。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直