遼州戦記 保安隊日乗
小夏が嬉しそうにお好み焼きの入ったお椀を要の前に置いた。
「やめろ!アタシは軟体動物が苦手なんだ!」
そう言うと要はそのお椀を誠の前に置きなおす。
「そうだよ。要ちゃんたらこの前せっかくたこさんの着ぐるみ作ってあげたのに全然着てくれないんだから……」
シャムは豚玉を鉄板に乗せながらそう言った。
「シャム……お前、やっぱ病院行って来い!蛸じゃなくてもアタシは着ぐるみなんて着ないんだ!」
その二人の光景を見るためか、それとも春子に近づく為か、嵯峨は不意に立ち上がると小夏の隣に置かれたお好み焼きの具の入ったお椀を乗せた盆を要の前に置いた。
「要坊。先輩にそんな口の利きかたないだろ?さあ誠。ウチの隊じゃあ遠慮は厳禁だ。豚玉、烏賊玉、ミックス、野菜玉、好きなの選べや」
嵯峨がテーブルに置いた盆の上のお好み焼きの具を誠に見せて勧める。誠は特に嫌いなものは無いので、手前にあった豚玉を取る。たっぷりの具に満足するとそのままこね回した。カウラは烏賊玉、要は誠の豚玉をモノ欲しそうに一瞥した後、野菜玉を手にした。
「神前少尉。ここのお好み焼きは関西風だが、特にタレが秀逸なんだ。春子さんの手作りだからな」
ようやく話題をつかめたというように、カウラは豚玉を鉄板に拡げるのに熱中している誠に話しかける。
「そうなんですか。それは楽しみですね」
誠はカウラが自慢げに鉄板の隣に置いてあるタレの中につけてある刷毛を取り上げて見せた。誠はそれを見ながら具材を満遍なく鉄板の上に拡げ終わると春子が注いでくれたビールを飲み干す。
「そういやカウラ。テメエなんでいつも烏龍茶なんだ?付き合い悪いよなあ……この女は」
要が絡み酒でそう言ってくるのを無視してカウラは烏賊玉をひっくり返した。そのタイミングを見計らったようにコテを持ったシャムがひょいと現れ、ぽんぽんとその表面を叩いた。カウラは鋭い目つきでシャムを睨み付ける。
「こうやって叩くと美味しくなるんだよ!知らなかった?」
あっけらかんとした調子でシャムは今度は要の野菜玉を叩き始めた。
「テメエ!お好み焼きを叩いたら歯ざわりが悪くなるじゃねえか!お前のはこうしてやる!」
怒り出した要が立ち上がるとシャムと吉田の座っているテーブルまで出かけて、自分のこてで力任せにシャムの巨大な豚玉を叩いた。シャムの豚玉がちぎれて吉田の烏賊玉にくっついた。その瞬間吉田はコテを器用に使って自分の烏賊玉と一緒にした。
「あー!俊平!それアタシのだよ!」
自分の席に急いで駆けつけたシャムが何事も無かったように烏賊玉を焼いている吉田に詰め寄った。
「要を怒らせたお前が悪い。自業自得だ」
そう言うと吉田はこてで焼き加減を確かめると自分の烏賊玉と豚玉の集合体に軽く刷毛でタレを塗った後、鰹節を振りかけて完全に占有した。悲しそうな眼でシャムがその様子を眺めている。そんなシャムを見かねたのかリアナが出来上がった自分の豚玉をひとかけらさらに乗せてやってきた。
「かわいそうにねえ。これあげるから泣かないでね?」
袖に手を回した落ち着いた手つきでシャムの巨大な豚玉にタレを塗りながらリアナがやさしく声をかける。シャムはそんなリアナのやさしさに嗚咽しそうになるのをやめて満面の笑みを浮かべると、海苔も鰹節もかけずにもらった豚玉を一口で平らげた。
シャムは嬉しそうにリアナからもらった一口を食べるとそのままビールを飲み始めた。
「ったく卑怯者め。いざとなったらお姉さんを頼りやがって……そうだ、新入り!注いでやったからこれ飲めよ」
要がいつの間にか掠め取っていた誠のグラスにビールを注いだものを差し出した。
「すみません。気がつかなくて……」
頭を下げながら焼けた豚玉にタレを塗り青海苔と鰹節を散らす。
要はそんな誠を見つめながら満面の笑みで誠を見つめていた。
「良いってことよ!今日はお前が主賓なんだから……ほらぐっとやれ!ぐっと!」
誠の酔った舌ではその液体の異変は気づくことも出来ず、ビールらしきものは誠の胃袋の中に納まった。
そこへ遅れてきたシンが書類ケースを抱えたまま座敷に入ってきた。シンは手前のテーブルでアイシャに愚痴を言いながら泣きはじめているパーラに絡まれないように、部屋の端を歩きながら嵯峨や誠のいる上座までやってきた。
「相変わらず修羅場ですねえ。そうだ隊長!印鑑持ってますか?いくつか決済が必要な書類があるもので……」
そう言うとシンは書類ケースの開けて書類の束を取り出した。
「今じゃなきゃだめなの?」
春子の笑いを取っていた嵯峨がめんどくさそうにシンを見つめる。
「昔の人も言ってますよ。今日できることは明日にのばすなと。持ってるんなら三枚ほど書類に印鑑押してもらいたいんで……シャム!邪魔だからちょっとどいてくれ」
先ほどの豚玉のお礼にとリアナにビールを次に来ていたシャムに声をかける。
「シン君は本当にまじめね。でもせっかくのこう言う機会に仕事の話は無しにしましょうよ」
そう言いながらリアナは仕事の話を始めた二人に呆れたような視線を送るが、まじめなシンはそれを無視してそれぞれの書類を纏めて印を押す場所を指差した。
「はいこれでおいしくなるよ!」
シャムはそう言いながら今度はリアナのお好み焼きを叩き始めた。
「シャムどいとけよ。主計大尉殿を怒らせると次のボーナスどうなるかわらんぞ?」
吉田が茶々を入れたのを合図にシャムはそのまま名残惜しそうにリアナを見つめると、彼女からもらったたこ焼きを持って自分の席に戻った。
「それと隊長ちょっと良いですか……」
書類を渡しながらシンはそういうと一言二言耳打ちをした。
誠はそんな様子を見ながら、次第に周りの世界が回りはじめるのを感じていた。ゆがんだ誠の視界の中でも時折シンから目を反らして嵯峨が複雑な表情を浮かべながら自分を見ているのが分かった。そして二口目を喉に注いで要から受け取ったビールのようなものを飲み干すと、はじかれたように誠は立ち上がった。
回る世界。焼けるような喉。誠の意識はまったく朦朧として、自分でも何をしているのか、なぜここにいるのかわからなくなる。
そして心の中で何かがはじけた。
「一番!神前誠!脱ぎます!」
手を上げて宣言する誠を座敷にいる全員が注目した。
「脱げー!早く脱げー!」
下座で様子を伺っていたアイシャが叫んだ。
要も待っていましたとばかりに口笛を吹いてあおってみせる。
「西園寺!貴様、さっきのビールに何か細工したな?」
カウラは誠を座らせようと立ち上がりながら要をにらんだ。
「そんなこともあったっけなあー。それより新入りが脱ぐって言ってるんだ。上司として関心あるんじゃないの?」
ラム酒を口に含みながら満足げに要はカウラを振りほどこうとする誠を眺めていた。
「何を馬鹿なことを。やめろ!シン大尉。あなたからも言ってください!」
カウラは懇願するように淡々と書類を確認しているシンに向って言った。
「馬鹿だなあ、こういう時は……」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直