遼州戦記 保安隊日乗
そう言うとシンは立ち上がって誠のそばまで行った。そして誠が何かを言おうとするまもなく鳩尾に一撃をかました。ズボンに手をかけようとしていた誠はそのまま意識を失っていく。目の前が暗くなるのが自分でも分かった。
そんな中、カウラとアイシャの叫び声が彼の消え行く意識の中に響いていた。
今日から僕は 4
それから誠の『歓迎会』と称する5日連続の饗宴が仕事が終わるたびに開かれた。
2日目はマリアの警備隊のウォッカ攻め、理性が崩壊するのに30分とかからなかった。
次の日は明華の技術部のイッキ強要、気がついたときには下士官寮の自分の部屋に裸で寝かされていた。
次の管理部はシンがイスラム教徒と言うこともあって、酒ではなく十数種類の味のカレーを並べられると言う攻撃を受けた。少なくともこの日が休養になる筈だったが、調子に乗って胃腸が壊れかけているところに馬鹿食いして腹を下した。
そして最後が酷かった。誠は運用艦『高雄』の艦長のリアナのリサイタルで繰り返される電波系演歌に付き合わされて、徹夜した自分を偉業を成し遂げたように褒めてあげたいと思った。そしていつの間にか夜中には消えていたブリッジクルー達を恨みながらハンガー前まで来た。
「出たな!怪人!」
特撮ヒーローの格好をしたシャムがいきなりそう言うと襲い掛かってきた。ただ反撃も出来ず、突然の出来事に誠は当惑していた。周りの整備班員もいつものことだと言うように見向きもしない。ただ軽いフットワークでファイティングポーズをとる小さなシャムに呆れていた誠。
「止めだ!必殺!切りもみシュート!」
少し間合いを取ったシャムが勢いをつけて走ってきての飛び蹴りが誠の顔面に入った。誠はぶっ飛ばされてハンガーにしたたか頭をぶつけた。騒ぎを聞きつけて整備員と機体のチェックをしていたカウラが駆けつけて来るのが見えたが、誠はただぼんやりと勝利を気取るシャムの後姿を見るばかりだった。
「大丈夫か!神前少尉!」
カウラの悲しげな叫びが心地よく聞こえるのを感じながら誠は意識を失っていった。
「ごめんなさい……」
シャムがすまなそうに詰め所の応接用ソファーに横になっている誠に向かって頭を下げた。隣に立っている要は軽蔑するような視線を目覚めたばかりの誠に向けてくる。そのまま穴にでも隠れてしまいたい。誠はそう思いながら手で顔を覆った。
「ったくだらしのない奴だぜ。どうせシャムの飛び蹴りなんてまっすぐしか狙ってないんだから簡単にかわせるはずだろ?それを直撃食らってのびましたーなんて。それでよくウチに来たもんだな」
心配そうな顔を誠に向けていたカウラが要をにらんだ。
「西園寺!言いすぎだぞ!」
「へいへい、隊長さんは部下思いでいらっしゃること」
そう言うと要は不満げに自分の机のところにまで戻ると椅子に乱暴に腰掛け、机の上に足を乗っけた。椅子のきしむ音が響く。誠は自分がいる場所がわかって安心すると、そのまま上体を起こした。
そして誠は詰め所の中を改めて眺めてみた。
時代遅れの事務机、書棚には『始末書・西園寺要』と書かれたファイルが並んでいるのが目に入る。シャム以外の第一小隊の面々は明石が難しそうな顔をしてクロスワードパズルを解いている。その隣の吉田は要と同じく足を机の上に乗せて、風船ガムを膨らませながら貧乏ゆすりをしていた。
まったくこれが遼州系最強の機動実働部隊の詰め所の風景とはとても思えなかった。
せめて自分くらいは……そういう思いが誠を奮い立たせて、痛む首筋をさすりながらソファーから起き上がらせた。
「大丈夫か?」
心配そうにカウラがよろける誠を支える。
「なんだ、心配することないじゃん。それにしても暑いなあー……こういう時、新入りなら何かしようって思うんじゃないのかなあ……」
暑さで不機嫌な要が大声を上げる。
「西園寺!貴様!」
立ち上がろうとする誠を制するとカウラは要の席の隣に立ち机を叩いた。
「良いんですよベルガー大尉。食堂に行ってアイス取って来ます」
そう言うとカウラの心配そうな顔をこれ以上曇らせまいと誠は立ち上がった。
「そりゃ無理だ。どこかのチビが昨日全部食っちゃったからなー」
そんな要の言葉に明石と吉田も顔を上げてシャムの方を見つめた。
「えー!あたしが悪いのー?」
シャムが不満そうにそう叫んだ。
「そうだ、お前が悪い。もう一回、明華の姐さんのところ行って謝って来い」
足を机から下ろして吉田がそう言った。隣で明石が腕組みをしながら頷いている。
シャムはそのまま潤んだ瞳で誠を見つめる。どう見ても子供にしか見えない彼女にそんな目で見られることは誠には耐えられなかった。
「分かりました!工場の生協まで行けばいいんですね!シャム中尉、バイク借りますよ」
「それなら俺はカキ氷……出きれば着色料バリバリの奴で」
すかさず吉田が叫んだ。
「じゃあワシはモナカ。小豆じゃなくてチョコだぞ」
そう言うと明石はクロスワードパズルを再開する。
「アタシはチョコの奴ー!」
鳴いたカラスと言う風に、すっかり元気になったシャムが元気良く答える。カウラはオロオロとそんな様子を見ているだけだった。
「カキ氷とモナカとチョコアイスですね。西園寺さんは何にしますか?」
誠は半分むきになってきつい調子でそうたずねた。しばらくの沈黙の後、眼を伏せるようにして要はつぶやいた。
「イチゴ味の奴」
カウラはぶっきらぼうな要の言葉に肩をすくめた後、財布から一万東和円を取り出して誠に渡した。
「じゃあ私はメロン味のにしてくれ。これで間に合うはずだ」
誠はなぜか釈然としない空気を抱えたまま詰め所を後にした。
詰め所を後にした誠はそのまま廊下を歩いていた。途中の喫煙所と書かれた場所のソファーで嵯峨がのんびりとタバコを燻らせている。
「タフだねえ。シャムのキック食らったって言うのにお使いか何かかい?」
いつもの間の抜けた調子で嵯峨がそう尋ねる。
「まあ一応新入りですから」
急に話しかけられて少し苛立っているように誠は答えた。
「そうカリカリしなさんな。あれであいつ等なりに気を使ってるとこもあるんだぜ。どうせお前のことだから、断りきれずにこれからも買出しに行くことになるだろうからその予備練習って所だ。それとこれ」
そういうと嵯峨は小さなイヤホンのようなものを取り出した。
「何ですか?これは」
「補聴器」
口にタバコをくわえたまま嵯峨はそう言い切った。
「怒りますよ」
強い口調の誠に嵯峨は情けないような顔をすると吸い終ったタバコを灰皿に押し付けた。
「正確に言えば、まあ一種のコミュニケーションツールだ。感応式で思ったことが自動的に送信されるようになっている。実際、金持ちの国では前線部隊とかじゃあ結構使ってるとこもあるんだそうな。まあ東和軍はコストの関係から導入を見送ったらしいけど」
誠はそう言う嵯峨の言葉を聞きながら渡された小さな機械を掌の上で転がしてみた。確かに補聴器に見えなくも無い。そう思いながら嵯峨の心遣いに少し安心をした。
「ああ、そうですか。ありがとうございます」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直