遼州戦記 保安隊日乗
「とりあえず今日はお前が主賓だ。後の連中が来るまで勺でもしていろ」
要はどっかりと腰を下ろすと所在無げについてきて彼女の正面に座った誠に向かってそう言った。仕方がないというように入り口のケースからビールを取り出すとカウラは誠に握らせた。
「おいカウラ。野郎の勺なんてつまらねえし、酒が不味くなるぜ。お前と……女好きな要。お前等もこっちに座れや。お前等の小隊の新入りなんだからさあ、少しは客扱いしてやろうよ」
嵯峨の口元がにんまりと笑っている。要の表情がその言葉を受けて素早く曇った。彼女は立ち上がって嵯峨が叩いている隣の、鉄板の仕込まれたお好み焼き屋らしいテーブルに移動する。誠はカウラにつれられて気恥ずかしく感じながらも上座の席に腰を下ろした。
「叔父貴……今なんて言った?……今なんて言った……」
座ってそのままうつむいていた要。そのまま怒りに震えるようにして要が声を絞り出す。嵯峨は懐からアイシャ達が持っていたのと同じカードを取り出してかざして見せた。
「一応我が娘の性癖と言うか……まあちょっとシャムの奴を絞ったらこいつを差し出してきてね。まあそのなんだ……もう大人だから。特に言うことはないけど……これはねえ……実の娘が縛られるのが好きだったとは……正直親としてはショックだし」
嵯峨は衝撃を受けているそぶりをしていたが、それよりも目の前の姪、要の表情の変化を楽しんでいるように手の中のカードを振っている。
「あたしはそっちのけはねえんだよ!それにしばかれて喜ぶ変態と付き合う趣味はねえ!」
そこまで言って要は誠の顔を見てはっとした表情を浮かべた。
「シバク……シバク……」
誠はおずおずと眼を伏せた。自然と緊縛されて鞭打たれてむせび泣く美女を見下ろして笑いながら鞭を振るう要の姿が妄想される。顔が赤くなっていくのが分かった。
「おい神前!テメエつまらねえこと考えてんじゃねえだろうな!アタシにゃあそんな趣味はないし、第一女同士で……」
「胡州じゃあ上級貴族の家名存続のために女性同士の結婚が最高司法院で認められたという判例もあるんだが……まあ、俺は個人の問題だから結婚したいって言うんなら反対しないぜ」
嵯峨は戸惑っているお春さんの注いだ酒を再び飲み干した。嵯峨の言葉が終わるのを聞くとお春さんは要の方に目を向ける。
「反対しろ!頼むから反対してくれ……」
要が泣きそうな調子で嵯峨に縋り付く。嵯峨は猪口に残った酒をぐいと飲み干してお春が酒を注ぐのを見ていた。カウラは黙ってそんな様子を表情も変えずに見つめている。誠は妄想で一杯になりながらおずおずと要の顔を覗き込んだ。
さすがの嵯峨もお春の視線がきつくなっているのを感じて黙って注がれた酒を飲み干すことにした。
「嵯峨さん。あんまり要さんを苛めると後でどうなっても知りませんよ」
そう言いながらお春は嵯峨の猪口に酒を注ぐ。
「そうですか。これは参考になる意見ですねえ」
嵯峨はそう言うと目の前の突き出しの松前漬けに箸を伸ばした。
「要さん。吉田さんとクラウゼさんにはきつく言っておくから安心して頂戴ね」
お春の言葉にほっとしたように要は顔を上げた。誠は自分を見つめる要の目元に少しばかり光るものが見えて鼓動が高鳴るのを感じた。
「ヤッホー!みんな元気かな?ってなんで要ちゃん泣いてるの?」
そんなところにまったく空気を読まずにシャムが乱入してくる。その後ろではアイシャとサラが小声で何かを話しながら部屋を覗き込んでいた。要はさっと立ち上がると一直線にシャムの元へかけて行き胸倉をつかんで持ち上げた。
「テメエディスクをどこで……」
怒髪天を突く形相の要をよそに、シャムは別に慌てる様子でもなく笑みを浮かべながら後ろでニヤニヤしているアイシャを指差した。
「アイシャ!テメエ、さっきの台詞は全部嘘かよ!それとシャム、前にも同じようなことやった時に次はねえって言ったよな……」
さすがにサイボーグの力で白いフリルのついたワンピースの襟元を締め付けられるのは苦しいようで、シャムは浮き上がっている足をばたばたさせて抵抗し始めた。
「だめじゃない!要ちゃん!シャムちゃん虐めちゃ!」
シャムのばたばたさせる足が目に付いたと言うように、階段の下から淡い藤色の和服姿に白い髪をなびかせるリアナが現れた。彼女の登場は要には予想外のことだったようで、思わず手を緩めたところをシャムは上手くすり抜けた。そしてそのままリアナの膝元にまとわり着いて嘘泣きを始める。
「よしよし、いい子だから泣いちゃだめよ……そうだ!私が一曲……」
そう言って部屋に踏み出そうと言うリアナの袖を引くものがいた。
「はい歌わなくて良いからねーって、いつもこんな役回りばかりで疲れるわ。カウラ。もう少し隊長として自覚もって行動してもらわないと……それと隊長。つまらないディスク配ってまわって面白がる趣味は感心しませんよ」
続いて入ってきた淡い水色のワイシャツに紺のタイトスカート姿の明華が嵯峨をにらみつける。嵯峨は悪びれる様子もなく、にぎやかな彼の部下達の豊かな表情に満足そうに笑顔を浮かべるお春が注ぐ酒に淡々と杯を重ねていた。明華はそれを見るとあきらめた調子で後ろについてきた明石と一緒に嵯峨の隣の鉄板をさもそれが当然であるかのように占拠した。
明石は天井に届きそうな頭をゆっくりと下げながら部屋に入り込んだ。全員がその原色系の紫のスーツに黒いワイシャツ、そして赤いネクタイと言う趣味の悪い姿に呆れながら、嵯峨のテーブルに着いた明華の隣に座る姿を見つめていた。
「さっきから気になってたんですけど……」
誠は初めて自分が話を出来るタイミングを見つけて口を開いた。
「何でシャム中尉はネコ耳をつけてるんですか?」
シャムが不思議そうに誠を見ている。そう言われて自分の頭のネコミミを触ってにっこりと笑うシャム。しかし、誰一人その事に突っ込む事は無い。
「それが仕様だ」
誠は突然、窓の方から声が聞こえたのでびっくりしてそちらを見ると、開いた窓から吉田が入り込もうとしていた。特に誠以外は彼に突っ込みを入れる事も無く、あたかもそれが普通のことだと言うように目を反らしている。吉田はまるで当然と言うようにそのまま靴を部屋の中に置いて入り込んだ。
「おまえなあ、ちゃんと入り口があるんだからたまにはそちらを使えよ」
窓枠をきしませている吉田に嵯峨があきれたようにそう言った。吉田は誠が初めて会った時のドレッドヘアーでは無く、短い髪の毛を整髪料で立たせた髪型に、だぼだぼの黄色と黒のタンクトップにジーンズと言う姿でそのまま部屋に入り込む。
「やはり新入りに慣れてもらうためにもここはいつも通りのやり方をですねえ」
嵯峨の言葉に返すのはとぼけた調子の言葉だった。
「あのなあワレのいつも通りはおかしいってことじゃ」
明華の隣に座って手ぬぐいで顔を拭いていた明石が、呆れたように吉田に目を向けた。吉田は靴をシャムに手渡すと下座の鉄板の前に座った。シャムは靴を手にどたばたとにぎやかに駆け下りていく。
「お前だってガチホモとして変態であるところをだな……」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直