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遼州戦記 保安隊日乗

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 夕方の赤い光が白いTシャツ姿の少女を照らしている。誠は少女と視線が合った。
 少女はそれまで要に向けていた敵意で彩られた視線を切り替えて、歓迎モードで誠の顔を見つめる。そしてカウラを見つめて、さらに店内を見つめ。ようやく納得が言ったように箒を立てかけて誠を見つめた。
「この人が大師匠が言っていた新しく入る隊員さんですか、カウラの姐さん?」 
 少女は先ほどまでの要に対するのとはうって変わった丁寧な調子でカウラに話しかける。
「そうだ、彼が神前誠少尉候補生。小夏も東和軍から保安隊に入るのが夢なんだろ?後でいろいろと話を聞くといい」 
 その説明を聞くと、店の前にたどり着いた誠を憧れに満ちた瞳で眺めた後、小夏は敬礼をした。
「了解しました。神前少尉!あたしが家村小夏というけちな女郎(めろう)でございやす。お見知りおきを!ささっ!もう大師匠とかも来てますから入ってください!」
 掃除のことをすっかり忘れて、無駄にテンションを上げた小夏に引き連れられて、三人はあまさき屋の暖簾をくぐった。
 外のムッとする熱波に当てられていた誠には、店内のエアコンの冷気がたまらないご馳走に感じられた。
「来ましたねえ……」 
 アイシャの落ち着いた言葉に迎えられた三人。どこにでも有るようなお好み焼き屋の一階。アイシャ、パーラ、サラの三人娘がたこ焼きをつついていた。小夏に連れられて入ってきた三人、特に要を見つけるとアイシャとサラはにやけた様な顔をして、パーラは眼を伏せた。
「おい、テメエら。なんかつまんねえこと考えてんのか?」
 要はタバコを携帯灰皿に押し込みながら尋ねる。白いワンピースを着たアイシャがまずはじめに誠の視界に入った。彼女はすぐ目の前のTシャツ姿のサラを見つめてニヤニヤしながら要の方を向き直った。 
「要ちゃん、これなんだけど……」 
 アイシャが一枚の汎用端末用ディスクを掲げた。誠は何が起きたかわからなかったが、要の様子がおかしいことだけはわかった。見ていると要の目が一瞬点になった。そして次の瞬間、要はそれを奪おうと手を伸ばすがアイシャはすばやくそれをかわした。
「いやあ!渡辺大尉からいいものもらっちゃいましたよ……楓少佐が……実は……」
 誠とカウラは取り残されたように立ち尽くしている。要は何度と無くアイシャの手に握られたディスクを奪い取ろうとするが、アイシャは紙一重でそれをかわし続ける。 
「アイシャ……表に出ろ!いいから……表に出ろ!」 
 取り上げるのをあきらめたようにテーブルに両手をつくと低い声で要がそう言った。
「そんな口の利き方して良いのかしら?要ちゃん?これをシャムちゃんに渡して、そこから吉田少佐の手に渡ってそれで……」 
 アイシャは話を進める。サラはその隣で笑っている。作務衣のような薄い紫の上着を羽織ったパーラは呆れてたこ焼きを口に入れたが、熱かったようで慌ててビールを飲み始めた。
 カウラと小夏は話が読めないと言うように呆然と三人のやり取りを眺めていた。
「分かった!何が狙いだ?金か?それとも……」 
 明らかに焦っている要の様子を誠は不思議そうに見ていた。それを見て小夏は手を打って納得した。そして目の前の状況をただ眺めている誠の耳元で囁いた。
「旦那。あのど外道、実は大師匠の娘さんの楓さんに愛の告白をされてるんですよ。いわゆる百合って奴ですか?まあ、ど外道は確かに鬼畜だけどそんな趣味は無いってんで、ああいったやり取りになってるわけですよ」 
 耳を澄ましていたカウラが小夏の話を聞いて声を立てて笑い始めた。
「なるほど……」 
 誠が納得したように頷いて眼を開けるとそこには要の顔があった。誠は思わずのけぞっていた。そのまま近づいてくる要の顔に反り返っていく誠の上体。そして、要の豊かな胸が誠の胸板に触れようとした瞬間、要は口を開いた。
「おい神前。今度の夏コミでアイシャが原作を書く漫画はお前が絵を描け。上官命令だ拒否は認めん。分かったな?」 
 凄まじく真剣な表情の要のうしろでにこやかに手を振っているアイシャの姿があった。
「分かりましたから……そんなに顔近づけないでくださいよ。ちょっと怖いですし……」
 そして誠は隣のカウラの顔を見た。感情の起伏の少ないカウラだが、明らかに誠と要を怖そうな顔つきでにらみつけている。
 それを見つけると今度は要はカウラに向き直った。
「火の無いところに煙は立たないという言葉があるなあ」 
 わざと遠くを見つめているカウラの口からそんな言葉がこぼれた。それがツボに入ったようで、アイシャがけたたましい声で笑い出す。 
「お前までアタシをドSな百合娘だと思ってるのか?ったく……」 
 そう言ってカウラを威嚇すると、要は再び鬼の形相でアイシャへ向き直った。
「おいアイシャ!いつか額でタバコ吸えるようにしてやるから覚えてろよ!」
 誠が思わず引くほどの剣幕だが、アイシャは全く動じるところが無い。平然とたこ焼きを口に放り込むと悠然と要の顔を見つめた。 
「いつまでそんな口が利けるのかしらー」 
 アイシャはまたディスクをひらひらと翻らせる。
「神前少尉。馬鹿は放っておいて行くぞ」
 さすがに呆れてきたのか、カウラは立ち尽くしている誠の手を引くと店の奥の二階へと続く階段を上り始めた。
「カウラちゃん・要ちゃん・誠ちゃんの三角関係……悪くないわね……いっそのこと……」 
「うん!いっそさんぴ……」 
 アイシャとサラは二人で盛り上がる。当然ネタにされている要は階段から実を乗り出してさらに語気を荒げて叫んだ。
「テメエ等勝手なこと抜かしてんじゃねえ!後で覚えてろよ!」 
 アイシャとサラが小声で話し合うのを怒鳴りつけると要は二人の後を追って二階へ続く階段へ走った。
「私は関係ないから!」 
 一人パーラが去っていこうとする要に声をかけた。その右手が要にアピールするように上げられている。
「一緒にいるだけで同罪なんだよ!」 
 要の叫び声にパーラは力なく上げた手を下ろした。
「おう、来たのか」 
 二階の座敷では、すでに上座の鉄板を占拠している嵯峨が、猪口を片手に三人を迎えた。半袖のワイシャツ姿の彼の隣には30代半ばと思われる妖艶な紺色の江戸小紋の留袖を着た女性が徳利を持って座っていた。地方都市のお好み焼き屋の女将というより、東都の目抜き通りのクラブのママとでも言うようなあでやかな雰囲気に誠は正直戸惑っていた。
「お春さん。この野郎がさっき言ってたうちの新戦力ってわけ。まあいろいろと未知数だから期待してるんだけど……」
 嵯峨は満足げに女将さんらしい女性が注いだ酒を飲み干す。黒い髪を頭の後ろで纏め上げた和服の女性は誠の方をにっこりと笑いながら見つめている。 
「嵯峨さんみたいな上司を持つなんて……大変ねえ」 
 穏やかなやさしい声に誠は少しばかり心臓が高鳴るのを感じていた。そんな誠を見ていた要が不機嫌そうにカウラを引っ張って座敷に入り込む。
「そりゃあないんじゃないの?お春さん」
 お春さんと呼ばれた女性が笑いかけるので誠は赤くなって眼を伏せた。そんな誠を見たカウラは、要に引っ張られた手を離して誠の手を引くと嵯峨の座っている鉄板の隣に引っ張っていった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直