遼州戦記 保安隊日乗
それにもかかわらず、遼州の秩序の再構築と言う同じ目的を目指しているカーンが彼に助言したのは売国奴と近藤達が呼んでいる嵯峨惟基の『保安隊』の調査だった。
先の大戦では特務憲兵隊長として叛乱分子摘発に活躍した『人斬り新三』も、今は同盟の司法機関の手先に成り下がったと、近藤は嵯峨を軽蔑していた。
そんな嵯峨の部下がどんな男であろうが、近藤には関心の無い話だった。
ようやくそんなあふれ出してくる感情の整理をつけると、言葉を選びながら近藤は話を続けた。
「お言葉ですが先日の報告書に不手際があったとは到底思えませんし、あの金で魂を売る殺戮機械(キリングマシーン)が情報改ざんを行っていないことは裏が取れています。ですので……」
そんな近藤の言葉にカーンは不快感を示した。交響曲が終わり、再びブランデーグラスに口をつけた後近藤を見る瞳には感情が押し殺されているのがわかり、近藤は思わず口を閉ざした。
「君は本当に海軍大学校を卒業したのかね?彼に注目するあまり大事なこと、手に入れた情報そのものの意味を理解しているとは到底思えないのだが……。他者を理解しようと言う行為に意味を感じていないと言うことは自分の無能を証言しているようなものだよ。君の言葉は私にはそう聞こえて仕方がないんだ。確かに今度、保安隊の実働部隊に入った神前誠少尉候補生。彼の出自に不自然なことは書類上無い。だが、そもそもこんなに不自然なことが無い人物をなぜ嵯峨君が選んだのか?そう考えてみたことは無いのかね?」
近藤はそう言われて言葉に詰まった。要するに敵を知るべき太。そのような老人の言葉を聞けば、それは至極当然な話だった。
納得した顔をした近藤を見て、カーンは満足しながら話を続けた。
「敵であれ尊敬すべき人物だよ嵯峨君は。シオニストにもコミュニストにも彼ほどの人材はいない。敵として当たるに対して彼ほど愉快な人物はいないよ。そんな彼が選んだ人材なんだ。私達を失望させるような凡人では無いと考えるのが当然の帰結だ」
そう言うカーンの口元に満足げな笑みが浮かんでいるのに近藤は気付いた。
そして、その笑みがカーンの踏み越えてきた敵味方を問わない死体の数に裏打ちされていると言う事実にすぐに到達した。
「君も少しは前線の地獄と言うものを味わった方がいいのかもしれないな。本部の怠惰な空気は人間の闘争本能をすり減らすものだ。そしてその闘争本能無しには既存の秩序を変えることは難しい」
嵯峨と言う名前を口にするたびにカーンは愉快そうに眼を細めた。近藤は黙ったまま静かにカーンを見つめている。その意思と寛容が混ざり合うような落ち着いた言葉とまなざし。近藤はカーンが何故ゲルパルトを追われた同志の支持をこれほどまで集めているのかを再確認した。
そして自分の意思と経験と洞察力。そのすべてにおいて自分はカーンの足元にも及ばないことを学んだ。
「それでは計画を早める必要があるのでは?表面的にはわからないことでもこちらから動いて見せれば馬脚を現すこともありますから」
そんな近藤の言葉に、カーンは落胆したようにグラスを机に戻した。
「いや、それについて君が口を挟む必要は無い。下がりたまえ」
カーンは強い口調でそう言った。その語気に押される様にして近藤は軍人らしく踵を返して部屋を出て行こうとした。
「だが……」
再び口を開いたカーンの言葉を聞くべく近藤は振り返る。
「私達の組織と胡州海軍第六艦隊は無関係であると言うことを証明できるのであれば、君達は独自に動いてくれてもかまわないがね」
その一言に近藤は嬉しそうに頷くと敬礼をして貴賓室を後にした。
音楽が終わり、近藤も去って部屋は沈黙に包まれた。
カーンは再びブランデーグラスを眺めると満足げに頷いた。
「君は君にしてはよくやったよ、近藤君。あくまで君としてだがね」
カーンはそう言うとブランデーグラスのそこに残った液体を凝視した。楽章が変わって始まった楽曲の盛り上がりにあわせる様にして、カーンはブランデーを飲み干した。
今日から僕は 3
歓迎会の第一回がある。そう言われて誠はカウラの赤いスポーツカーに乗せられて繁華街の駐車場まで連れて来られた。同乗することになった要は乗っている間、きつく締め上げられたサスペンションの調子に文句ばかりたれていた。
「……ったく何でアタシがカウラの車で来なきゃなんねえんだよ!」
要はそう言うとカウラの低い座席から降りた。誠は後部座席で身を縮めて周りを見渡した。地方都市の繁華街の中の駐車場。特に目立つような建物も無い。
「貴様が吉田少佐をけしかけてレースなどするからいけないんだ」
運転席から降り立ったカウラは挑発するように要を見つめる。黒いタンクトップに半ズボンと言うスタイルの要はにらみ返して唾を飛ばしながらカウラに食って掛かる。
「テメエもあんな口車で乗せられたらほいほい勝負受けるくせに……って新入り!いつまでそこで丸まってるんだ?」
誠は頭をかきながら二人を眺めていた。
「西園寺がシートを動かさなければ彼は降りられない。そんなことも分からないのか?」
赤いキャミソール姿のカウラが噛んで含めるように要に言った。
「すいません……」
誠は照れながら頭を下げる。その姿を見た要はめんどくさそうにシートを動かして誠の出るスペースを作ってやった。大柄な誠は体を大きくねじって車から降り立った。
作り物のような笑顔でその姿を見つめるカウラ。そして、わざと誠から目を反らしてタバコに火をつける要。
「じゃあ、行くか?」
そう言いながら要は二人を連れて歩き出した。
「歓迎会って……なんかうれしいですね!ありがとうございます」
無表情に鍵を閉めるカウラにそう話しかける。ムッとするようなアスファルトにこもった熱が夏季勤務服姿の誠を熱してそのまま汗が全身から流れ出るのを感じた。
「それが隊長の意向だ。私はそれに従うだけだ」
そうは言うものの、カウラの口元には笑顔がある。それを見て誠も笑顔を作ってみた。
「何二人の世界に入ってるんだよ!これからみんなで楽しくやろうって言うのに!それとまあこれから行く店はうちの暇人たちが入り浸ることになるたまり場みたいな場所だ。とりあえず顔つなぎぐらいしといた方が良いぜ?カウラ!ったくのろいなオメエは!」
急ぎ足の要に対し、ゆっくりと歩いているカウラ。誠はその中間で黙って立ち止まった。
「貴様のその短気なところ……いつか仇になるぞ?」
そう言うとカウラは見せ付けるように足を速めて要を追い抜いた。
「う・る・せ・え・!」
要はそうそう言うと手を頭の後ろに組んで歩き始める。駐車場を出るとアーケードが続くひなびた繁華街がそこにあった。誠は目新しい町に目をやりながら一人で先を急ぐカウラとタバコをくわえながら渋々後に続く要の後を進んだ。
「あそこの店だって……。またあの糞餓鬼が待ってやがる……」
あまさき屋と書かれたお好み焼き屋の前に箒を持った女子中学生が一人で要を睨み付けていた。
「おい、外道!いつになったらこの前酔っ払ってぶち壊したカウンターの勘定済ませるつもり……?」
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直