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遼州戦記 保安隊日乗

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 震えている手で誠はそのままバッグに荷物を詰め終わると静かにロッカーのセキュリティー部分に指紋を登録し扉を開いた。
 ほとんど真っ白な頭は考えることも出来ず、ただ手にした荷物をロッカーに放り込んで扉を閉めた。
 明石は心配そうに誠を見つめている。
「銃抜いたくらいでなにびびっとるんじゃ。もし懲罰にかけられるようならワシもとうに営倉入りや。あの西園寺のアホが……、まあ詰まらん話は抜きじゃ」 
 そう言うと明石は誠の背中を叩いた。
 誠の頭のもやもやが少しはれて、引きつった笑いを明石に向けることが出来た。
「神前来いや。主計大尉殿のケバブはウチの名物の一つじゃけ。まあワシは奴のマトンカレーの方が好きじゃがのう」
 そう言うと明石は何事も無かったかのように、もと来た通路を口笛を吹きながら歩き始めた。誠も仕方なくその後を追った。
「まあな、これから自重しとけば誰にも何も言わせん。ワレは心配せんでケバブを喰っとれ。なあ?」 
 明石はそう言うと豪放な笑い声を上げて大またで歩き始める。
 誠もようやく気分がよくなっていくのを感じていた。相変わらず廊下が暗いのが気になったが、次第に香ばしい匂いがしてくるのを感じて足どりも軽くなった。

 今日から僕は 2

 胡州第六艦隊分岐艦隊旗艦『那珂』
 その貴賓室の窓の外には宇宙船の残骸と思われるデブリが浮かんでいた。大戦で胡州攻略を目指す遼北・中国・フランスの同盟軍と胡州軍との激闘が戦われた宙域。
 ここは戦後胡州に返還された後も手が加えられずそのままの状態で胡州海軍の演習場として使用されている。
 深い椅子に腰掛けながら老人は静かに手にしたブランデーグラスを眺めながら、流れる交響曲に身を任せていた。その強い意思を象徴するかのような青い瞳は、彼が幾つもの目の前に広がる光景を幾度と無く見つめてきたことを示していた。そして、その満足げな表情は目の前の破壊の後の光景の中で生きることを決意した意思表示のようにも見えた。
 曲は佳境に入り、ティンパニーの低音がブランデーグラスの中の液体をかすかに震わせている、そう老人は思っていた。
「閣下。近藤です」 
 管楽器の雄叫びが始まろうとしたその瞬間、音楽をさえぎるようにスピーカーから低い声が響いた。老人は眉をしかめながら吐き捨てるようにつぶやいた。
「入りたまえ」
 彼は外の胡州軍の駆逐艦の残骸に眠るヴァルハラにたどり着いたであろ兵士達との語らいを中座させられて、不機嫌になっていた。だが老人はそのことで相手を責めるほど狭量な男ではなかった。
 貴賓室の自動ドアが開くと、胡州海軍中佐の制服を着た近藤と名乗った神経質そうな中年の男が部屋の中に闖入してきた。彼は不愉快そうな老人の様子を気にするわけでもなく言葉を切り出すタイミングを計っていた。ここで無遠慮に実務的な話をしてくるような人間ならば、老人はとっくの昔に近藤に関わることをやめていただろう。
 だが、静かに老人の気持ちの整理がつくのを待つ程度の礼儀を近藤は知っていた。
「近藤君。この曲が何か分かるかね?」 
 高らかな管楽器の雄叫びに合わせるようにバイオリンとビオラがその存在を明らかにするような調子で旋律を奏で始める。老人はこの部分に至る過程に闖入者があったことは残念に思ってはいたが、手にしたグラスを傾けることでそんな気持ちをどうにか落ち着けるすべを心得ていた。そして老人は曲に合わせるように目を閉じる。
「クラッシックですね……私はワーグナーしか聞かないもので……」
 老人は再び目を開き近藤と言う胡州海軍の士官を見つめた。正直であることが美徳であるということは、老人の七十年近い人生で学び取った一つの価値観だった。理論を語るもの、特に軍の参謀を務めるものは、正直であるべきだと老人は経験から理解していた。希望的観測で上官の機嫌を取り繕う理論家が、どれほどの敗北を老人に味合わせたかを数えて語り始めればグラス一杯のブランデーでは尽きないだろう。
 そう思うと老人は静かに口を開いた。 
「リヒャルト・シュトラウスだ。ツァラトストラだよ、憶えておきたまえ。教養は人の大小を左右する重要なファクターだ。君も少しは勉強が必要のようだね」 
 閣下と呼ばれた老人は静かにブランデーグラスに口をつけた。老人の機嫌が直ったことに少し安堵した近藤は、流れる交響曲に耳を傾けた。かつての老人のルーツにも当たるドイツで生まれた一人の哲学者。その思想を音楽にするという試みを行った音楽家に敬意を表するように近藤はしばらく沈黙した。
 そして老人がブランデーグラスを紫檀の組細工をあしらった貴賓室の執務机に置いたのを確認して話を切り出した。
「例の報告書は読んでいただけましたでしょうか?」 
 近藤はそう一言一言確かめるように言った。
 老人の目に生気の炎のようなものを近藤は感じた。遼州系外惑星の大国ゲルパルトの秘密警察の大佐を務めた男、ルドルフ・カーン。アメリカや遼北が血道を上げて探している先の大戦の第一級戦争犯罪者。その屈強な意思はゲルパルトを追われたカーンの同志達を敗戦後二十年にわたり指導している人物ならではの力を持っていた。
「ああ読ませてもらったよ」 
 それだけ言うとカーンは近藤を試すような沈黙を作り出した。
 数多くの危険分子の拷問に立ち会ったことのあるカーンに取って、聞きたいことを尋ねるより、沈黙することの方が人に真実を語らせる鍵になることをわかっていた。
 カーンに黙って見つめられて、近藤は額に汗がにじむのを感じていた。
「ところで、君は敵に対する敬意と言うものを持っているのかね?あの報告書、もしそういうものが君に少しでもあったのならあのようなものを私の目に触れさせる様なことはしなかったと思うが、どうだろうか?」 
 その言葉を聞くと思わず近藤は額の汗を拭っていた。手にした情報の価値を過小評価されたという事実が彼の語気を激しいものとした。
「ですがカーン閣下!現状として我々が表立って我等と同志達が動ける範囲といえば……」
 近藤は机に両手を突いて叫んだ。だが、カーンは表情を一つ変えることもなく、ただ感情的になった近藤をはぐらかすように再びブランデーグラスを手にした。 
「言い訳は生産的とは言えないな。あちらに吉田少佐という切れ者がいる、そのことははじめから分かっていることではないかね?相手のカードは分かっている。ならばこちらも手持ちの札を数えなおして次に切るカードを選択する。カードゲームの基本だよ……そして戦争もまた然りだ」
 そういうとカーンは再びブランデーグラスに口をつけた。近藤はカーンのはぐらかすような調子にいつもと同じ苛立ちを感じていた。
 近藤は自分が今の胡州軍の主流からは外れた立場にあることは十分承知していた。
 西園寺内閣は軍縮を視野に入れた同盟機構との協調路線を選択していた。近藤と同志は西園寺内閣による軍の権威失墜すらも安易に受け入れかねない状況に異を唱えるべく集まった救国の志を自負していた。そして現在の国家の危機的な状況を打破する為に活動していると言う自負も持っていた。
 そして、決起の時は近づいていると言う自覚もあった。
作品名:遼州戦記 保安隊日乗 作家名:橋本 直