ドードー鳥のウィンク―ハローグッバイ―
「この傘、使ってよ。折角お洒落しているんだし、ね。」
いつもの、太陽のような暖かい笑顔で森下君は笑った。
気づいてくれていた。
嬉しさ、そして恥ずかしさで、顔が熱くなった。
そしてふとあることに気ついた。
「えっ、で、でも君はどうするの?」
「僕は……まあ大丈夫だよ。ほら、女の子に風邪引かせるわけにはいかないし、ちょっとくらい濡れても平気さ」
まったく、先週風邪で休んだばかりなのに……ばか。
病弱のくせしてカッコつけちゃって。
でもうれしかった。
こういう風に女の子として扱ってもらったこと、あんまりなかったから。
「それじゃあ、さ、こうしない?」
雨の中、私たちはひとつの傘の下に身を寄せ合って歩いた。
私たちの間にある、たった数センチの距離には、胸が苦しくて、どうしようもない感情が流れていた。このほんの数センチ越しにいる森下君は何を考えているのだろうかと考えた。知りたいけれど、知りたくなかった。この時間が、とてもいとおしく感じると同時に、胸を裂かれるようなこの心の高ぶりから早く逃げ出したかった。
…だから、森下君が帰ろうと言った時、私はほっとしたと同時にとても悲しくなった。
もう少し、森下君の近くにいたい。そんな事を考えて。
「使っていいよ。茜谷さん家、駅からちょっと距離あるでしょ?」
そう言って、森下君はさっと改札口の人ごみの中に入っていった。
森下君の肩が少し濡れていたのに、その時初めて気がついた。
胸の鼓動が止まらない。
森下君の顔が頭から離れない。
最初は同じクラスなのに話しかけたこともなかった。
和田先生がけしかけてくれなければ一生話さなかったかもしれない。
胸が締め付けられているように苦しい。
コップにたまりすぎた水のように、心から感情が溜息となってあふれ出る。
こんな気持ちになったの。生まれて初めてだ。
私はどうすればいいのだろう?
誰かに相談したかった。でも、誰に相談すればいいのだろう。
その答えが出る前に、私は家についていた。
家に帰ると、お父さんが電話で熱心に話をしていた。
私が返ってきたことに気が付いたお父さんは、
「少し考えさせてください」
といって受話器を置いた。
「なんの話をしてたの?」
「彩子、大切な話がある」
作品名:ドードー鳥のウィンク―ハローグッバイ― 作家名:伊織千景