町内会附浄化役
4 いそがしい毎日
夏祭りまで一か月もない。
突然町の浄化役に任命されてしまった斎月は、もちろん町の浄化に努めなくてはなら
ないわけだが、それ以上に今急務なのは、夏祭りの神楽舞をマスターすることだった。
毎週末は夏祭りの練習でつぶれることとなった。サイアクだ。
浄化役となって初めての土曜日。町の公民館に行くと、すでにほとんどの地域の浄化
役が集まっていた。結構年輩の人から大学生くらいの人まで、いろんな人がいる。しか
しその中に斎月の教育係(?)のはずの祥の姿はない。
もちろん他地区の浄化役に知り合いなんかいるはずもない斎月は、入り口に立ち尽く
していた。
「どうした? 斎月。ぼけーっとしちゃって」
御幣島の神が間延びした声で尋ねてきた。
「いやー、だめだ。もう帰りたい」
「……?? 意味が分からん」
御幣島の神には、内気な斎月の微妙な気持ちは分からないらしい。
しばらく首をかしげていた御幣島の神は、辛抱が切れたらしく、斎月の肩の上で飛び
跳ねて、部屋の中の人間に存在をアピールしはじめた。
「はーい、注目?。ほらほら、御幣島の新浄化役だよー。井上斎月だ! よろしく!」
部屋中の人の視線が斎月に集まる。斎月は思わず後ずさった。みんながこっちを見
ている。ますます動きのとれなくなった斎月に、一人の男の人が近付いてきた。
「そっかあ、君が新しい御幣島の浄化役?」
「そ、そうです」
「はじめまして。僕は溝口(みぞぐち)智穏(さとやす)。美津島地区の浄化役だよ。ちなみ
に大学生。よろしくね」
「あ、井上斎月です。よろしく」
きれいな笑顔が完璧すぎて、斎月はどぎまぎした。
「おっ。斎月、惚れたか??」
「な、なに言ってんだ!」
御幣島の神が楽しそうにケタケタと笑う。神に対して殺意。智穏はそんな斎月を穏や
かな笑顔で見ていた。なんかすごく恥ずかしい。
「それにしても祥は?」
智穏はなにかを探すようなそぶりをする。
「え、知らないです」
「一緒じゃなかったの? いい加減な奴だなあ、斎月ちゃんの世話役なんでしょ?」
この人優しい……。
「あ、来たよ、こら、祥!」
智穏の目線を追い掛けると、公民館の廊下をだるそうに歩いてくる祥が見えた。顔を
上げて、智穏がちょっとふざけた感じでふくれっ面をしているのを見つけると、視線を斜
め下に逸らせながら小走りで近付いてきた。
「こんばんは、智穏さん。」
小さい声で、相変わらず視線を逸らしたまま祥は言った。
「だめでしょ、斎月ちゃんを一人で来させるなんて! 斎月ちゃん初めてなんだから、心
細いじゃん」
「……はあ。すいません」
祥はうなだれたまま答えた。えらく素直だ。いつみの前でさえ祥はもうちょっと生意気な
口を利く。
「あはは、やっぱり怒られた」
浦江の神が祥の肩の上で大笑いしている。
「だから俺は言ったじゃん。斎月と一緒に行こうぜーってさ!」
「うるさいなっ」
祥が浦江の神を怒鳴りつける。
「こんばんはー。浦江の神様」
智穏が笑顔で言った。
「よう! 智穏! 相変わらずのうさんくささだな」
祥が顔をしかめる。
「やめろよ」
「あいかわらずですね、浦江の神」
いままでじっと動かず、目すら開いていなかった美津島の神が突然しゃべった。
「うおっ、急にしゃべるなよ。ビビるだろう」
「あなたがうるさいので目が覚めてしまいました。ひさしぶり、祥。それは……御幣島の
人?」
それって言われた……。
「井上斎月です」
美津島の神は黒い翼を揺らして小首をかしげた。
「この時期に浄化役が変わるなんて、本当に困りますね。今から神楽舞なんて覚えられ
るんですか?」
まるで斎月を責めるような口調だ。私が悪いのか?
「大丈夫だよ、あんなの誰にでも出来るさ、僕にも出来るくらいだもの」
智穏はとても穏やかな笑顔でそう言った。やっぱりいい人だ。
「そうそう、それでもうちょっと左手を挙げるときれいかなあ。あっ。そうそう、すごいいい
感じ! 斎月ちゃんうまいねー。」
智穏は教えるのがうまかった。斎月をうまくおだてる。斎月はこの智穏の支えがなかっ
たら、一日目で挫折していただろう。
神楽舞はそんなに複雑な舞ではない。単純な繰り返しだ。しかし細かい規則があっ
て、それを勝手に変えることは許されなかった。それは、神聖な神事の一つだから。基
本を飲み込めばなんとかなるとは思うが、失敗が許されないと思うとプレッシャーだ。
練習中の祥はおとなしかった。その上まじめだ。黙々と練習をし、黙々と雑用もこな
し、参加者に飲み物を配ったりという気配りまで発揮し、普段の祥からは想像もつかな
いような仕事っぷりだ。
「祥、鏡持ってきてよ」
智穏がそういうと、祥はさっと動く。
「井上さん、筋がいいよ」
他地区の浄化役も、みんな斎月を褒める。彼らは祭りに参加するものに対しては寛容
だ。
「今からじゃあ大変だろうけど、井上さんなら大丈夫そうだね。」
にっこりと笑って浄化役最年長の磯上さんが言う。斎月はあいまいな笑みを浮かべ
た。
「溝口くんと奥野くん、年も近いし、井上さんのことよろしくね」
「はーい」
智穏が元気に返事する。やっぱりやさしい。祥はうっとうしいのだろう、押し黙ったまま
だ。
「祥、祥は斎月ちゃんの教育係なんでしょう? 斎月ちゃんに色々教えてあげるのは、
当たり前だと思うんだけど。今日だって、斎月ちゃんほったらかして一人で来てさあ、ど
うかと思うよ、それは」
智穏がそう言うと、祥はもごもごと答えた。
「これからは、ちゃんとします。舞も浄化役の仕事もちゃんと教えますよ」
祥の答えを聞いて、智穏は満足げにうなずいた。
そして、翌日から突然祥はやる気を出した。
「見回り、行くぞ?」
日曜の朝7時、井上家の門前、隣近所に響きわたる大声で祥は叫んだ。
「祥くん、久しぶりー」
玄関に飛んでいったのはなぜか充輝。声のトーンが高くなっている。
「祥くんって、浦江の浄化役だったんだね?。知らなかったー。かっこいー」
充輝の声が二階まで響いてくる。ていうかなんで起きてんだ、充輝。
「おーいい。なんか祥来てるぞー」
耳元で神様が叫ぶ。
「いいのよ。寝てることにしとけば」
「起きろよー。斎月-」
神様の不満げな声が聞こえるが、断固として目はつぶったままだ。顔を見たら負け
だ。という気がする。
「おねえちゃーん」
一階から充輝の猫撫で声が聞こえる。
「祥くん来てるよー。……もう、ちょっと起こしてくるからねっ。祥くん、上がってよ。リビン
グで待ってて! おかあさーん、祥くんに何か飲み物!!」
なんて気が効くんだ、充輝。これがモテる女というものなのか。ていうか気が効きすぎ
だろ! 祥相手にそこまでするか!?
階段を上る軽快な音がする。絶対に起きない。私は絶対に起きない!!
ノックもなしに扉が開いて、充輝が入ってきた。
「おねえちゃんー。なーんか祥来てるよ」
普通よりやや低めのテンションで充輝が言う。……さっきまでのテンションは何?
「起きなよー」
大きな声を出す。斎月は足元に蹴り飛ばしていた布団を手で探ってかぶりなおした。
「ていうかさあ」
斎月は目を瞑ったままで聞く。