町内会附浄化役
人の男性の体格を持っているんだから、確かに恐いだろう。
「もういいだろ、こんなことやめて、とっとと家に帰んな。」
無理やり深呼吸して、少し落ち着きを取り戻した祥がそう言った。
「もう、うるさいなあ、こいつ。なんかしらけちゃった。行こう」
心底いまいましそうに一人の女の子がそう言うと、他の子たちもなんとなく同調して、公
園から出ていこうとした。それをわざわざ祥が呼び止める。
「あ、あんた、大丈夫か。」
祥はいじめられていた女の子に言った。女の子はうつむいたまま祥の顔も見ないでコク
ンとうなずいた。他の女の子たちはその女の子をほおって、さっさと行ってしまった。これ
以上、変な高校生につきあうのがよっぽどイヤらしい。
なんで祥はわざわざ呼び止めたのだろう、と斎月は思う。こういう時は放っておいて欲し
いものなんじゃないのかな、と思ったのだ。しかも友だち(?)にも見捨てられて、とてもみ
じめな気分になるに違いない。
「ああいうのはな、しばらく経つと収まるもんなんだよ。人のうわさも四十五日っていって
な」
「七十五日だよ」
「祥、間違え方がベタ」
斎月と浦江の神が冷めた声でつっこむ。
「斎月、お前も何か言え」
冷静に前足を組んで祥を見つめていた御幣島の神が言った。
「なんで?」
「ケガレを祓うためだ」
「ケガレを祓う?」
確かにあの少女の周りの雰囲気はなんだか良くない感じがする。しかし、それは先ほど
までその場所でイジメが行われていたから、土地に残った弥無が穢れているのではない
のか。
「彼女はいじめられてた方じゃん。陰湿なイジメが弥無を曇らせていたんでしょ」
「そうだ。でもいじめていた方が弥無を曇らせていたのではない。いじめられていた方の鬱
屈した心が弥無に悪影響を与えているんだ」
「!!」
この子は別に悪くないのに。なのにこの子の悪意が土地の弥無に悪影響を与える?
「理不尽な攻撃は、人の心を恐ろしく歪ませるものなのだよ」
斎月はしばらく身動きが取れなかった。
「えーとだな、まあ、気にすんな! お前は悪くないぞ、全然悪くない。うん」
祥は一生懸命女の子をなぐさめていた。しかし、全然弥無は晴れない。それどころかま
すます曇ってきているようだ。
「おい、祥、なんとかしろっ! むしろ悪化してるぞ!」
浦江の神が怒鳴りつけた。
「なんとかしろったって…」
祥が弱々しく言い返す。祥も焦りを感じてはいるのだが、なにしろ口べたなのでこれが
精いっぱいなのだ。
「来るぞ来るぞ。」
組んだ前足を解いて、御幣島の神が唐突に言い出した。
「どしたん?」
斎月が聞く。
「来る」
「騒いでる」
「悪意が凝る」
「弥無のケガレが凝る」
「来るぞ来るぞ」
二柱が騒ぎ立てる。
「来るって何が?」
「悪意がかたまって、具現化するんだ!」
「そうなると、どうなるの?」
「来る!」
黒い黒い塊が、女の子の後ろで形作られはじめた。耳の奥がきーんと鳴って、斎月は
ふらついた。背筋を大量の汗が流れ落ちる。祥は、さっと斎月と女の子の間に入った。斎
月は身動きが取れなかった。斎月にべったりだった浦江の神が祥のもとに飛んで戻り、
御幣島の神が斎月のもとに走りよる。
「斎月っ! よく見とけ!」
祥はそう言い捨てて、女の子に走りよる。
「ケガレは土のもの 息のものには交われぬ!」
祥が声を放つと、祥の手から何かが飛び出して、女の子と黒い塊の間を裂いた。祥は
女の子の肩を掴むと、斎月の方へ突き飛ばした。
黒い塊は広がって、土に溶け込む。斎月は嫌な予感がして、腕の中の女の子を抱きし
めた。
土が波打った。波はだんだんと集約して、大きな黒い土の塊を形作る。のっぺりとした
壁のようなその塊は、祥に向かって雪崩を打ったように崩れ落ちてきた。
「乞い願うは常ならざる力、清らなる力、弥無枯れし場に満ち満ちる」
浦江の神は光の玉になって祥の手から勢いよく飛び出した。まっすぐに土の塊に向かっ
て奔る。あともう少しで祥を飲み込みそうになっていた土の塊は、浦江の神がぶつかる
と、ぶすぶすと鈍い音をたてて崩れ落ちた。崩れ落ちた土は、どろどろとした色で、腐臭を
放っている。
祥はちらりとこちらを見て言った。
「やはり最後は土地の浄化役にしめてもらわにゃな」
祥は少し疲れて見えた。
「え? なに? ワタシ?」
「そらそうだろう。ここ御幣島だし」
ぶっきらぼうに祥が言い放つ。
「ええ!? そんなこと言われたって、どうしたらいいのかわからないよ」
祥はあからさまに嫌な顔をした。説明するのが面倒くさいらしい。
「とりあえず、悪意の具現化は俺が食い止めたけど、土地の浄化は、やっぱ土地の浄化
役がするもんだ」
大丈夫。心に浮かぶ言葉がそのまま祈りとなる。
「大事なのは気持ちだ。この土地を浄化するという気持ち。」
気持ち? 気持ちって言ったって…。
「さあ!!」
祥と神様たちの期待に充ちた眼差しが注がれる。出来ませんとは言えない。といっても
なにも浮かばない。いたたまれない気持ちで斎月は立ち尽くしていた。しかし、自分が何
かしなければこの場は納まりそうにない。
「浄化しろ、きれいになれ」
斎月がぽつりと落とした言葉は、小さなかわいい雫になってぽつりと落ちた。落ちたとこ
ろだけ一瞬土が乾いた色になったが、それは本当に一瞬のことで、また黒いヌラヌラした
塊に飲み込まれる。
「やっぱダメか」
祥はちっと舌打ちして、一歩前に出た。
「この地に生きるは 弥無うつくしき魂(たま)
気(いき)清く 水清く 土清く 弥無皆(みな)浄く
御幣(みてぐら)おさめしこの島に 穢れ留(とど)まるは適(あた)わず
弥無枯(か)れしこの地に 弥無満ち充ちん」
祥の言葉は見えない衝撃波となって大地を打ち付けた。どろどろとした黒い土は固まっ
て、砕けて、飛び散る。しばらくの間土ぼこりが舞っていたが、それが落ち着くと何事もな
かったかのような静寂がやって来た。
「もう大丈夫だよ」
祥は優しく微笑んで、女の子に言った。女の子は突然の超常現象におびえて震えてい
た。それがもともとは自分の悪意なのだとは知らずに。
そんな女の子を見て、祥はちょっと困ったようだ。
「あんなあほなやつらに負けんなよ」
ぽつりとそう言う。
「お前、強えもん。弥無に飲み込まれそうになった時も悲鳴一つあげなかったもんな」
「祥は初めて弥無に襲い掛かられた時、大声で悲鳴上げたもんな」
浦江の神が茶々を入れると、祥は不機嫌そうに浦江の神を睨んだ。
いつのまにか腕の中の少女の震えが止まっているのに斎月は気づいた。先ほどまでの
とげとげしい弥無も消え去っていた。
「ありがとう」
女の子が小さな声で言った。それを聞いて祥はぱあっと顔を綻ばせた。
「そ、そんな礼を言われるようなことしてねえよ、俺は。仕事だよ、仕事」
素っ気ない言葉をいう割に、全身からうれしそうなオーラが溢れ出ている。
「祥って……」
あほだね、とはさすがに本人の眼前では言えず、斎月は言葉を探す。
「イノセントだろ」
浦江の神が言う。
なるほど、それで弥無が清いのか……?