The Over The Paradise Peak...
童顔に似合わない髭の男性である。襟と袖に色の付いたシャツに、ベストと蝶ネクタイと眼鏡。高そうだがヨレヨレになってしまったスーツと、未だ輝きを失わないドレスシューズとオメガの時計。
「外務省の人?」
思わず正樹が尋ねると、大袈裟に驚き――。
「なんで知ってる?」
……と、肯定してくる。
どうやら日本の外務省に存在すると言われる、裏ドレスコードの噂は本当らしい。
「なんとなく……?」
あまりさまにならない出会いであったが、政府の役人がいるのは心強い。
本来ペルーに赴任する予定だったというその男は、正樹達を前に自己陶酔気味に語りだす。
「でも今はとにかく、この地の邦人全員を無事に本国に連れ帰るのが僕の仕事さ……」
正樹達は気付かなかったが、ここには他にも6人の日本人がいたのだ。
ともかく、伊丹賢治と名乗る三等書記官――と言われてもどのくらい偉いのかはわからないが、意外と若いし多分エリートさんなんだろう――に連れられロビーの片隅に行き、日本人だけで集まって名前と職業といった簡単な自己紹介を行う。
矢沢貴志、三菱商事、サンパウロ支局のお偉いさん、多分五0代。
椅子に座ったまま、苛立たしげに挨拶し、頭を抱えていた。
西川治樹、高崎ケミカル――紡績関係の営業らしい――三0代後半から四0代前半。
座っていた席から立ち上がり、新しい日本人の登場に笑顔を見せて名刺をわたし、握手を求めてきた。
篠原洋一、TWAという小さな(と本人が言う)貿易関連企業の社長らしい。46才。
座ったままで、多少疲れて見えるが、口元には微かな笑みを浮かべて挨拶していた。
増田修、南海貿易の南米営業課の係長。三〇代後半?
恐らく不安と緊張のためであろう、貧乏ゆすりが止まらない。
高橋道彦、B&Kという総合食品メーカーの南米総括部長。五〇代?
相当苛ついているらしい。小声でひっきりなしに文句を言っている。
金田恭子、B&Kの部長秘書。三〇代前半だろう。
いかにも切れ者といった感じの女性である。疲れているだろうに、そんな様子は殆ど見えない。
最後は学生の坂下久美と正樹だった。
全員仕事で北米に向かうか、南米に向かうかしている途中で巻き込まれた事になる。
自己紹介がおわり、各自が仕入れたちょっとした情報なんかを披露しあったが、どれも信じられないような話ばかりだった。噂では北米に向かった航空機の中には燃料不足から、強引にアメリカ国内に向かわざる得ない機体もあって、そうした機には撃墜されたものもあるらしい。
民間機を撃墜?
まさか、いくらなんでも……?
と、正樹には信じられなかったが、それは事実だった。
警告を無視した機体は全て、米国領空に達する以前に撃墜されていた。
「まあなんにしても伊丹さん、私はなんとか家族に連絡がとりたいんだがね?」
自己紹介と、伊丹の仕入れて来たちょっとした噂話しが終わった途端に、この矢沢氏の発言である。
我も我もと伊丹に声をかける男達だが、そんな事は無理に決まっているのだ。
おそらく通信網は地上も海中もズタズタにされているだろうし、通信衛星だって何割生き残っているのかわかったものではない。
開戦劈頭、大半が攻撃を受け失われてしまっているはずで、生き残っていても、全て軍事用に転用されて、とてもではないが民間の通信をまかなえるほどの力はないはずであった。
現に正樹たちの飛行機が着陸する頃には、機体の現在位置表示がズレまくっていたほどなのである。上空を飛行する旅客機のGPS表示が狂うほどであるから、米軍が情報戦の一環として衛星からの信号を狂わせたのか、もしくは衛星からの信号が極端に少なくなってしまっているか、どちらかである。
結局は無駄話しにしかならないはずの、伊丹達の会話には到底加わる気にもなれず、正樹がなんともなしに久美の隣に座っていると、雑多な、疲れ切った人々の群れに不意に小さなざわめきが走る。
もちろん正樹もすぐに気付いた。
完全武装の兵士達と様々な戦闘車両――全て米国製の旧式で主に海兵隊等で使われていたもの――が空港周辺に展開をはじめ、戦闘用のヘリが舞い、爆装した航空機までが、編隊を組んで東の方角へ向けて飛び去っていったのである。
正樹達のいる搭乗口側のロビーの外も、今は開け放たれている簡単なゲートを挟んだ、出入り口側のロビーの外も。気が付いてみたら大量のトラックや兵員輸送車でいっぱいになっていたのだ。
どこから湧いたのか、というくらい突然の事であった。
更にいつの間にか兵士達の姿は無い。半ば難民状態の正樹達に、毛布や食料等の配給をしてくれていた、非武装の兵士達が一人もいないのだ。
つまり、伊丹の観測が正しければ、ロビーには凡そ二〇〇〇人ほどの民間人しかいないのである。
もっとも、出入り口には相変わらず完全武装の兵士が警備についていて、外に出られそうにないのは同じだったのだが――。
「まさか――」
伊丹が慌てた様子で駆け出し、警備の兵士に何か話しかけている。
正樹にも何が始まるのかわかってきた。
出入り口側の外にある広い駐車場では、無数の歩兵達がトラックから飛び出しては駆け出し、トランスポーターで運ばれて来た数両の戦車の降車が行われていた。
何より圧巻だったのは、搭乗口側の外に広がる広大な駐機場側に、やはりトランスポーターに載せて運ばれて来た、二〇両近い自走榴弾砲やら自走対空砲やら自走対空ミサイルやらが集結し、降車作業に入っていた事だろう。
三つの陸軍力の象徴、そのひとつであり圧倒的な威力を誇る、間接火力兵器の群。
ゲームの世界で得ただけの、正樹の矮小な知識でも、恐らく全体では大隊以上の規模――もしかしたら連隊規模――の部隊がやって来ているのがわかる。
「もしかして――」
立ち上がり、思わず口にしてしまったその言葉に久美が訝しげに首を傾げてきた。
「……なに?」
「あ、いや、なんかさ、もしかして戦争でも始まってるんじゃないか?」
正樹は自分の台詞に思わず不安になりながらも、集結と展開を行っているらしい、滑走路上のコロンビア国軍の兵士達を眺める。
明らかな戦闘部隊であり、難民の保護やら空港警備ごときで、簡単に動かせる兵力規模ではない。
「戦争ならもう始まってるじゃない?」
全然わかっていないらしい久美に「それもそうか」と脱力しながら、再び隣に座り込んで説明を始める正樹。
この地域は、南米も中米も親枢軸と親連合の差はあっても、基本的に中立の立場をとっていた。
しかし、それはあくまで枢軸と連合の間にたった場合の事だ。コロンビアを含めこの地域の国々が安定している訳ではないのである。実際にはかなり不安定な状態にあるのは間違いがない。
特に南米では、ブラジル単独での経済力及び軍事力の伸張に、目覚ましいものがあった。
高性能ではあっても高価な枢軸諸国の製品群より、安価なブラジルの製品群は、イスラム勢力との関係からブロック化に取り残されたアフリカの国々で大量に必要とされ、結果としてブラジルの経済力は一気に底上げされていたのである。
作品名:The Over The Paradise Peak... 作家名:海松房千尋