The Over The Paradise Peak...
DEFCON 1 01 CASE “MASAKI”
西暦二〇三六年九月一日
……数日前、リオデジャネイロからニューヨークへ向かっていた機体が、突然進路を変えて南に向かった時、機内は既に騒然とした様子を見せていた。
ユーラシア連合諸国と日米英枢軸諸国との間で、全面戦争が始まってしまったのである。
米国は航空機及び船舶の接近を一時全面的に禁止し、正樹の乗ったボーイング社製四〇〇人乗りの亜音速旅客機は、米国同様にテロを恐れた、ブラジル及びカリブ海の全ての国からの入国を拒否され、迷走した挙げ句、ブラジル・コロンビアの国境近くの地方空港に緊急着陸した。
コロンビアの田舎の小さな――滑走路が一本しか無いと言う意味で――空港には、他にも一〇機を超える大小の航空機が着陸していた。
しかし、どうやらどの機体を見ても、乗員乗客を含め機外へは出してもらえていないらしかった。
電波管制と衛星の破壊、そして凄まじい規模で行われていた電子戦と電波妨害により、三四七名の乗員乗客は、全ての情報を遮断され、殆ど飲まず食わずのまま機内で三日間を過ごした。
“傾聴願います。機長のフリッツから皆様に嬉しいご報告があります、先程コロンビア政府より……”
空港内への立ち入り許可が出たらしい。
食料品や毛布などの支給も受けられ、交代で短時間ではあったが、シャワーも使えると聞いて乗客達から歓声が上がった。
恐らく、きっと数日の内には目的地に着けるだろう。
その時の機内は、まだそんな甘い期待に包まれていたのだった。
その夜、正樹達は完全武装のコロンビア国軍兵士によって誘導され、機体毎にロープで仕切られた発着ロビーの一角に集められた。
田舎の空港らしく敷地だけは広大であったが、建物そのものは体育館の倍ほどの高さがある一階建で、滑走路に合わせて、おおよそ南北に二~三〇〇メートル、東西に三~四〇メートルほどであり、ロビーの真ん中を簡単なゲートで仕切った様になっている。
一応国際線の空港らしかったが、どの設備もあまり使われた形跡はない。
機内のネットワーク環境から確認できた路線は週二便。首都のポゴタとブラジルのマナウスだけであった。
乗客達は軍が提供してくれたという、保存用の固いビスケットと缶詰めを食べ、薄いが暖かいお茶を気の済むまで楽しみ、故郷を夢見てずらりと並んだ椅子の間で、薄い毛布にくるまって眠った。
――日本では、学生生活最後の夏休みが終わろとしていた。
正樹と久美が初めて言葉を交わしたのは、翌朝の食事の配給時だった。
明るくなってみると、飛行機の窓から見て思っていた通り、空港の敷地外は完全に熱帯のジャングル(気候的にはサバンナ、サバナになるかもしれない)しか見えない。
首都ボゴタから南へ数百キロは離れているだろうか?
この辺りはコロンビアでも代表的な過疎地域のはずであり、これだけ設備の整った空港は、数えるほどしかないはずである。
もしかしたら予想より遥かに首都に近いのかも、だとしたら、案外運が良いかも知れない。
などと楽観的な気分に浸っていた正樹だったが、その朝、せっかく並んでいたのに、何故か配給の際にパスポートを掲示するように指示されたのだ。
面倒臭さ半分、意味のわからない(わかりたくもない)軍人達の横柄な指示に対する苛立ち半分で、みんな嫌々ながらも忙しく自分達の荷物をひっくり返していた。
そんな中で一人だけ、パスポートを手にしているにも関わらず、列に並ぼうとせず立ち尽くす若い東洋人女性がいた。
機内にいた時から、もしかしたら日本人かもしれないとは思っていたが、正樹は彼女のパスポートにある“菊の御紋”を見るまで、確信が持てずにいたのだ。
「あの、並ばないんですか?」
柔らかい、どこか線の細い印象を与える優しい微笑みと、暗めの、栗色というのだろうか? シャワーを浴びたばかりで僅かに湿り気の残る髪を後ろにまとめて、薄手の白いサマーセーターと淡い桜色シャツ。それからジーンズにナイキのスニーカー。使い込まれたヒップバッグに飲料水のペットボトル。印象的な薄い茶色の縁取りのある黒い大きな瞳、そして化粧気が無いにもかかわらず、ほんのりと紅い唇。
一瞬かなり驚いた顔をしていた彼女も、本当は心細かったのだろう。正樹のパスポートを一瞥すると笑顔を返して来た。
それから並ばすに配給を眺めていた理由も。
「なんでパスポートを確認するんでしょう?」
もちろん正樹にわかる訳がない。
一応乗客が二重に配給を受けたりしないようにするためとは言っていたが、昨夜と同様、乗客リストと受け取った際に手の甲に油性の太ペン(トンボ製だった)で線を引く事で十分だったはずである。
「言われて見れば、確かに嫌な感じだね」
「えぇ、なんだか……ね?」
互いにぎこちない笑みを浮かべて見詰め合う。
「ま、仕方ないさ、並ぼう。あ、そうだ、僕の名前は柴崎正樹、正しい樹の正樹。よろしく」
「私は坂下久美、久しく美しいでクミ。よろしく」
久美の右手はひんやりしていて、とても柔らかだった。
日本人で学生、それだけでこれほど親密な感じになれるとは、思ってもみなかった正樹であった。久美は埼玉、正樹は千葉県在住だったが、殆ど地球の真裏にまで来ている事を思えば隣街に住んでいたのと変わらないという事もある。
久美は卒論でブラジルの日系人移民について書く予定で、その取材兼ちょっと早めの卒業旅行。
正樹は卒業後に叔父がサンパウロで経営している商社に入る予定で、その研修兼、やっぱり少し早めの卒業旅行といったところだった。
お互いポルトガル語とスペイン語が少し話せる(枢軸諸国の出身者には、英語は当たり前のスキルである)のも会話を弾ませる結果となって、ブラジルで流行の音楽から時事の話題、日本の大学やサークル、趣味や共通して時々出かけている事がわかった、上野の美術館や博物館。秋葉原の店の事等々、二人の話題は多岐に渡っていた。配給の食事――薄いコーンスープが付いていた――を一時間近くも並んで待っていたはずなのに、全く気にならなかった。
しかし、昨夜と変わっていたのはそれだけではなかったのである。
それまで到着した飛行機毎に別々にされていた人々が、全て同じ場所で食事を受け取る事になったのだ。
かなりの混乱だったが、軍人達は一切気にする様子がない。
完全に対応が変わっていた。
何より昨日の夜まで数えきれないほどいた、装甲の無い医療現場等でも良く見かけるタイプの、開放型外骨格式増力装置を装着した兵士――間違いなく支援兵科の兵員――がかなり減っている上、空港の外にはプロテクターを身に付けた完全武装の兵士達が何十人といる。
もっとも枢軸国の軍隊とは違い、増力機構付の動甲冑を着た兵士は数えるほどしかない。
「本当に嫌な感じだ……」
なんともきな臭い雰囲気で、まるで乗客達達が、暴動なりテロなりを起こすのを待ち構えているかの様だった。
「――君たち?」
日本語だった。
「良かった! 君達日本人だろう?」
声をかけて来たのは三〇代前半だろうか?
作品名:The Over The Paradise Peak... 作家名:海松房千尋