雨の記憶
「近くにも公立校はあるのに……」
自転車で小一時間かかるのだ。母が心配するのも無理はない。
「同じ中学出身の奴が多いと、嫌じゃん……」
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一年前の梅雨より以前の記憶が貴人には無い。
雨の横断歩道を横断中に、スリップした自動車に撥ねられたのだ。雨の交差点、直進する筈だった自動車がハンドル操作ミスでスリップし、平行する横断歩道へと滑ってきた。午後の交差点。折りしも下校時間と重なっていた為、怪我人の数は十人を超えた。死者が出なかったのが不思議なくらいの惨事だったらしい。
「貴人!!」
病院で目を開けた時、一番に飛び込んだ母の泣き顔。
「……お、母さ、ん……?」
ケガこそ軽傷だったが、自分に抱き付いて泣き崩れる母以外、何も思い出す事は出来なかった。精神的なものだろうと診断され、間を置いて登校した時は、さながら異国へ転校してきた気分だった。向こうはこっちを知っているのだが、こっちは誰の事も分からないのだ。
そんな事を吹っ切る為に、高校はワザと遠いところを志望した。
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「そういえば、なんか、やたらと馴れ馴れしい奴と友達になった」
“馴れ馴れしい奴”と言いながらも嬉しそうな貴人の顔を見て、母が微笑む。
「隣の市の奴で、高橋祐人っての」
“知ってる?”とばかりに貴人が母の顔を見るが、母は“いいえ”と首を振る。
「変な奴でさ。質問してくるクセに、なんだか知ってるみたいなんだ。知ってる事を確認する為に訊いてくる、みたいな」
意味が分からず、母は首を傾げる。
「だからね……」
おかずに手を伸ばしながら、貴人が説明を始めた。
高校生活も数週間が過ぎた。
「……なんだよ……あいつ!」
そして、今日も貴人と「また、明日!」と別れた祐斗が呟いた。
「諦めないかんな!!」
ガッツポーズで角を曲がる祐斗の姿が、その場から、消えた。
「ねぇ、母さん……」
夕食の支度をしている母に、貴人が声を掛ける。
「なぁに?」
「男子のクセに“妖精”やら“天使”やら信じる奴って、どう思う?」
「あら!」
“信じてるの?”と振り返った母がクスクスと笑った。
「俺じゃないよ。ほら、いつも一緒に行ってる祐斗がさ、やたらとそういう話しをするんだよね。それって、“信じてるから”でしょ?」