赤い瞳で(以下略) ep1-2
朝が来て。
俺は、院長室にいる。
小波院長は、その落ち着いた顔の整った眉と眉の間に深くしわを寄せ、俺を見ながら小さくため息をついた。
「ああ……、更衣君。君はまた、通り魔に出くわしたんだってね……」
――いえ、通り魔の被害者を見つけただけです。通り魔自体は見ていません。
「ああ……そうだったかな。まあ、どちらでも良い。どちらでも、変わりはない」
ふう、と一息ついてから、院長は、それで、と顔を上げた。
「アラタコトミ君の容態だが……、奇跡的に一命を取り留めたよ」
――そうですか。
「でも、驚いたよ。深夜にみちる君から電話があってね――……。彼女、何て言ったと思う?」
――……さあ。
「『雨夜君が、アラタ君を刺しました』、だってさ」
あはは、と。
今までの緊張感は嘘だったかのように、院長は屈託なく笑った。俺は一瞬虚を突かれた気分になったが、すぐに気を取り直した。
――そうですか。
「いやー、にしても……みちる君も、慌てたんだね……。まさか二人とも、こっそり外に出てたなんて思わなかっただろうし」
――ええっと。そのことについては、その……すみませんでした。
俺が頭を下げると、院長は良いよ良いよ、と笑う。
……なんだ。笑ってたら結構普通のおじさんじゃないか。
妙にほっとして、俺は院長の言葉を待つ。
「君に来てもらったのは、単なる確認でね。二、三、みちる君からも質問があったようなことを聞くだけだから、少し我慢して欲しい」
――はい。
「じゃあ、まず。君とアラタ君が外に出たのは、何のためだったんだい」
――アラタ君の妹、雪花ちゃんと会うためです。
「何故、あんな夜遅くに?」
――なんでも、アラタ君のご両親の命日が今日だったらしく、それを偲ぶためだったようです。
「どうして君は、それについて行ったのかな」
――町で通り魔が流行っていると聞いていたので、二人が話す間だけでも見張りをしようと思って、ついて行きました。
「見張り、ねえ。もしかして、通り魔を退治しようとでも思ったんじゃないのかい?」
――…………。
「まあ、良いけどね。それでは最後。アラタ君の妹さん……」
――雪花です。
「セツカちゃん、は。来なかったんだね」
――ええ。まだ子どもですから……、眠ってしまったのかもしれません。
「そうか。うん、大体みちる君から聞いていた通りだね。ご苦労様。ああ、ついでに確認しておくけど……アラタ君は、君が目を話したほんの数秒の間に、刺されていたんだよね?」
――はい。
「うん、有難う。それじゃあ質問はここまで。君も疲れただろう、病室に戻って、ゆっくり休むと良い」
――はい……失礼しました。
ドアを閉めようとした、その時に。
「そうそう、君の退院、今週末の予定だから」
と。
院長の朗らかな声が、俺に言った。
俺のベッドの隣に、アラタ君は今いない。彼は今、ICUにいる。
胸の傷は結構深かったようだが、幸い心臓をそれていたという。でも、他の内臓が出血していて、かなり危ない状態だったそうだ。
それは、そうだろう。
胸に刺さっていたのは、小さいとはいえ立派な刃物。凶器。ナイフ……。
――はあ……。
俺は、朝日の差し込むベッドに座ってため息をつく。
疲れた。
なんだかすごく――……ものすごく疲れた。
今更ながら、自分の行動が馬鹿らしく感じられる。俺は結局、雪花を止めることもアラタ君を守ることも出来なかった。……一体何をしについて行ったんだか。
「雨夜君」
名前を呼ばれて振り返ると、そこにはみちるさんが立っていた。
「退院の話、院長先生から聞いた?」
――ええ。
「おめでとう。その……アラタ君のことは、残念だったけれど」
――まあ、命が助かっただけでも良かったと思いますよ。
「そう……そうね。あと、雨夜君、昨日は酷い事言ってご免なさい。……本当に……」
――? はあ……。
どうして謝るのかよく分からなかったが、俺はとりあえず肯く。みちるさんは微笑んで、
「退院は明後日よ。準備しておいてね」
そう言って、いつものように明るく笑って。
あっという間に、病室を出て行ってしまった。
――……なんだったんだ。
微かに残った、花の香り。
――……ああ、……そうか。
俺は一人で納得して。
そしてそれから――……眠ることにした。
作品名:赤い瞳で(以下略) ep1-2 作家名:tei