樹竜の旅
入城した時と同じく30分程待たされたところで、ようやく案内役の兵士から声がかか
り、俺は離宮へと案内された。離宮と言っても寝室と食堂を兼ねたリビングがあるだけの
小規模な建物だったが、それでも一人で使うには広すぎる大きさはあった。ここも贅が尽
くされており、どの家具にも金銀の装飾が施されていた。
建物の中を一通り見て回りリビングに置かれたソファに横になった時だった。不意に入
り口の扉からコンッ…という遠慮がちなノックが聞こえてきた。どうやら兵士ではなさそ
うだな。
「誰かな…?開いているから入ってきてもいいよ。」
俺がそう声を掛けると、ギィィ…と扉が開き、ノックをした女の子が姿を現した。
「竜神…様…?」
そこにいたのは、先程広間で出会った狐の少女だった。先程の粗末な服装とはうってかわ
って丈の短いパレオドレスを身に纏い、肩の結び目で抑えていた。布は薄く、胸とフサ毛
の膨らんだ身体のラインがハッキリと見える。俺の気を引かせるためか、国王に半ば強制
的に着せられたのだろう。扉の背後に迷彩姿の兵士が二人様子をうかがっていたが、俺と
目が合うとすっと通路の向こうへと姿を消し、彼女一人が俺の前へと残された。
(バタンッ!!)
「キャッ!」
扉が閉じられた音に少女はびくっと耳を逆立てた。反射的に二、三歩歩きかけたが、震え
ていた彼女の足がもつれてしまっていた。俺は歩み寄り、転んでしまう前に彼女をフサ毛
へと飛び込ませる。
(バフッ!!)
抱き留めた彼女の丈は俺の腰の上辺りまでしかなかった。かなり小柄な子だ。少女は俺の
顔を見ると一瞬目と耳を大きく見開いたが、身体を小刻みに震わせたまま頬を俺の胸に押
しつけてきた。どうやら未だにイケニエにされると思いこんでいるみたいだ。
「!!…あ、あの…!?」
「名前…教えてくれるかな…?」
「え…?あ、キズナ…キズナって言います。その…。」
キズナと答えた少女はそこで一度言葉を切った。一呼吸再び話し始めたが、さっきより声
が震えているのが俺には分かった。
「もう覚悟は出来てます…。でももしお願いできるなら、せめて痛くしないで…。」
彼女の表情を見ると怯えた様子は見えなかったが、もう達観したような諦めと悲しみが混
ざった表情をしていた。そんな彼女に俺は背中の羽を広げると、そのまま彼女を優しく包
み込んだ。驚くキズナに俺はニコッと微笑んだ。
「心配しなくて良いよ。イケニエなんて要らないよ。こうでもしなければあの国王、君に
何をしでかすかわからなかったからね。」
「要らない…?それじゃ食べないのですか?」
「当たり前さっ、本当にイケニエになんかしないから安心して…。」
彼女の問いかけに俺は頷いた。これで彼女も一安心だろう。そう思ったその時だった。
「そんな…それじゃ私…天国に…行けなくなっちゃう!」
「ええっ!?」
俺は耳をピクッと動かすと、キズナの顔を見つめ直した。見ると彼女の目から涙が溢れ、
頬を伝ってこぼれ落ちていた。
「お願いです!私を食べて下さい!!私神様に見守られて天国に行きたい…。あんな怖い
兵隊さんよりもアナタに襲われたい。」
胸に抱きついて懇願する彼女を見て俺は困惑してしまった。一体どういうことだ、これは?
「ちょ、ちょっと本当に食べないから落ち着いて…、天国に行くこともないんだってば。」
「何でもします。食べる前にアナタの望むことをしてあげますから。」
「いらないっ、特に望むことなんかないってば。」
「それなら…私だってオスとメスの間でする快楽のことだって知っています。あたしで良
かったら食べる前に竜様が望む限り捧げられても…。」
「いっ…。い、いらないよ…。わわっ、本当によせって!!」
さすがに、これは答えるのに少しためらった。こんな美獣の子に極薄の服でその言葉は反
則に近い。パレオをはだけさせようとした手を俺は抑えた。絶対に「天国に行く」という
願いは聞き遂げられないと悟ったのだろう。キズナはしゃがみ込むととうとう声を出して
泣き出した。
「そんな…それじゃあ私は何のために…。」
俺は答えることが出来なかった。陽気なクリオが居てくれてたら冗談で笑わせることもこ
とだって出来ただろうが俺ではそうはいかない。
どうにかしないと…、俺のお腹にすがり泣くキズナを見下ろしたその時、ふと、キズナ
の肩に種が付いていることに気が付いた。この種は…確か…。
「そうだ…!キズナ…ちょっといいかな?」
付着していた種を拾いあげ、銀色の器に入れてみる。その上から土と藁をかぶせると、俺
は自分の爪の先端同士をでパチンッ!と弾いた。
「あっ!!!!」
キズナが小さく叫んだ。種が入った鉢の中は、爪を弾いた瞬間に、淡緑色の芽がぽこっ…
っと生えてきたのだ。芽は見る見るうちに成長し、やがて白く細長い花びらが咲き開いた。
この地方に自生するホワイトディジーの花のようだ。
「凄い…。本当に竜神様なのね…。」
目を丸くしたキズナが呟いた。成長したディジーの花に魅入り、泣くことをすっかり忘れ
てしまっていた。
「驚いたかな?僕らが竜神様や竜様…って言われている理由の一つがこれなんだ。故郷じゃ樹竜って呼ばれているけれどね。どう、これで少しは落ち着いたかな」
俺はそう言うと、デージーの花をキズナへと差し出した。
「あ…ありがとうございます…。さっきの兵隊さん達が怖かったから…、取り乱してゴメ
ンナサイ…竜神様。」
「本当はアイラスって名前だけれど…、君がそう呼びたいなら竜神様でいいや。それにし
ても…、さっきの様子だと兵隊か国王から何か怖いこと言われたみたいだな…?」
俺の問いかけにキズナは顔を曇らせると、力無く頷いた。
「さっき。国王と話していたときにあの場を滅茶苦茶にしたのは覚えていますよね。その
罪を許すつもりはないみたい。だからもし竜神様に食べられずに済んでも、裁判に掛けず
に死罪にするって国王も兵隊さんも言ってました。そしてそのまま死んだら天国にいかず
に地獄に連れて行かれるって。」
あいつら…、今度会ったら尻尾に油を塗りたくって火でもつけてやる。
「凄い怖かった。きっとその前に辛い目に遭わされて…。私、一人ぼっちでもうあんな怖
い人達が居る中に囲まれて死にたくない…。」
「独りぼっちで…。家族は?」
「庭師のおじいちゃんが居たけれど、この形見を残して死んでしまったわ…。城の雑用で
暮らしていたけれど、今日になっていきなり竜の像を取り上げようと兵隊がやって来て…
その後は、竜神様が知っている通りね。」
「そうか…。」
彼女の言葉に俺は腕を組んだ。いずれにせよ、このまま彼女をあの国王達の所に戻すわけ
にはいかない。そのためにはどうするか…。
「よし、キズナ、イケニエはナシだけれど、君に僕の世話係をお願いするよ。僕の側に居
ればあの連中もまず大丈夫だろう」
「ええ、いいのっですかっ?」
「勿論さ…。何か文句を言ってきたらあの国王に『神様の命に逆らうのかっ!?』って脅
かしちゃうから。折角だから、この国で使える権威を最大限に使わせて貰うよ。」