樹竜の旅
向かい側の国王から叫び声が上がった。飛んできたグラスをよけ損ねて、顔の左半分にワ
インを完全に浴びてしまっていた。
「うわぁ、二色刷の縞模様だ…いい気味。」
「シッ…国王に聞こえるって。」
すぐさま護衛達がタオルを渡し、顔を何回もこすっていたが、顔半分についた赤い染みは
落ちることはなかった。ちゃんとした石鹸で直ぐに洗わないと、毛が抜けきるまでこのま
まだろう。
正直胸がスッとしたけれど、このままでは彼女の運命を放っておく訳にはいなかかった。
衛兵達がまだ呆然としているのを見ると、俺はバサリと翼を広げると彼女と衛兵との間に
素早く割りこんだ。
「一体何があったんですか?」
「ハッ!この小娘は両親の借金のカタに城で働かせていた奴隷でしたが、強制労働免除の
引き替えに、持っていた高額な銀の像を差し出す約束をしていました。しかし、いざ差し
出すというときに、急に嫌がって持ち逃げして…。」
「嘘っ。勝手に私を奴隷にして無理矢理取り上げようとしたんでしょう、おじいちゃんの
形見なのに…。」
「貴様は黙ってろ!!この小娘!」
怒鳴り声に少女はビクッと耳を縮こませた。衛兵達は更に言葉を続ける。
「今回のご無礼をお許し下さい。この小娘については我々が責任をもって裁きます。」
「裁く…ってこの子をですか?」
「勿論です。国王を侮辱した罪を徹底的に償って貰いますよこいつには。」
絶対に容赦しないぞ…と言わんばかりの口ぶりだった。もう彼女を許すつもりは決してな
いだろう。よし、それならば…。
「国王!今のイケニエの話しですがこの子をイケニエにします!!ですから衛兵達には手
を出させないで下さい!」
「な、なんですって!?」
流石の国王も驚いたのだろう。半分が真っ赤になった顔を思い切りゆがめ、もの凄い表情
になっていた。見ている俺は平静を装っているが、心の中ではあまりの光景に笑いを堪え
るのに必死だった。
「イケニエです。先程言っていたイケニエですが、この子を希望しますっ。」
俺はきっぱりと言いはなった。俺の背後ではキツネの少女が俺と国王、そして手を出せず
に悔しがっている衛兵達を不安そうに見比べている。
「では、我々のお願いを聞いて頂けるのですね?」
「まだ確実に決めたわけではありません。ただ、今日は遅いですし直ぐに答えは出せませ
ん、少しのあいだ考えさせて下さい。」
「いいでしょう。おいっ、とりあえずそいつにまともな服を与えて、あとで竜様の所へと
連れてゆけ。」
「かしこましました。さぁ、貴様はこっちに来るんだ!国王陛下の顔を面白…いやこんな
にしやがって!」
「!!!!」
国王に敬礼すると、衛兵達は震えているキツネの少女を俺から引き離した。尻尾をわしづ
かみにして連れて行こうとするのを見て、俺は慌てて衛兵達を呼び止める。
「待て。連れてくるまでこの子には傷一つ付けるな。一つでも切り傷や痣がある状態で連
れてきたらもう話はそこで終わりにするぞ。」
「か、かしこまりました…。しかしそれならあんな小娘でなく他に選りすぐりの雌を…?」
「この子です。それ以外の子を押しつけたらもうこの国には私は来ません。」
「は、はいっ…。」
とりつく島もない俺の口調に衛兵達は折れた。そんな様子を渋い顔で見ていた国王は、残
ったワインをぐいと飲み干すと、背を向けて立ち上がった。
「…国王、最後に一つお聞きしたいことが…。」
「なんだね…?」
「アナタの本当の目的…いや願いはなんなのでしょう?」
「今の平穏をそのまま維持することだな。今の件は由々しき事態だが素晴らしい国だ、ここは。更に竜様がいれば国は一層富んでいくかと。」
「つまり…一生、この国のトップでいたいのですね?」
「もちろんだ。誰が何と言おうと、繁栄の国家レイルシティは私のものだ。」
ワインまみれになりながらも、誇らしげに言う国王の姿を、俺は何も言わずに見つめてい
た。