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春雨 05

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 もちろん漕ぐのは男の役目だ。意外と力が必要で、しかしなかなかする機会のないことで、俺は気が付けば夢中になって漕いでいた。湖のほぼ中央まで漕ぎ出すと、少し満足して、一息つくことにした。
 美智は最初こそ俺が独りで夢中になっているのでつまらなそうにしていたが、そのうち独りで景色を眺めたり、水に手をついて波紋を作って遊んだり、水の中をのぞき込んだりして、彼女なりに楽しんでいたようだ。
 俺が櫂を置いて、正面を見る。美智は俺の視線に気が付いて、こちらを見る。
「…」
 なぜか目が合うと、ふっとそらす。
 正面から向き合う形になるから少し気まずいのだろうか? それにしたって目をそらさせるのはあまり面白いことではない。
 それに、最近はずっとこうだ。何かあったんだろうか?
「…えっと。私がひきずってきちゃいましたけど、先輩はボート乗ってもよかったですか」
 遠慮がちな言いぐさはどこか他人行儀で落ち着かない。まるで知らない場所に来た子どもみたいだ。
 そこまで考えてふと思う。
 やはり俺の中のこの子は『子ども』のイメージらしい。また『お父さん』扱いされたらたまらないので、ここは黙っておこう。 
「別にいいよ。俺もそのうち乗ろうと思ってた所だったし。でも何で高梨とは乗りたくなかったんだ?」
 美智はあいつがボートに誘った時にあからさまに困った様子を見せた。俺の腕を掴む程嫌だったのなら何か理由があるのだろう。案の定、彼女は少し眉を寄せてこういった。
「だって、高梨ってすぐに片桐先輩の事言うんですよ。京子先輩とか高橋くんとかいるのに遠慮なく聞いてくるんです」
「まあ、あいつはなー」
 この前も彼女がいないことでさんざんつっこまれたことを思い出す。あれさえなければ言い奴なんだが…。それに片桐のあの悪趣味なジョークを真に受けて美智を狙う所も単純過ぎやしないか。
「それに今は彼氏いるのかとか、俺にも誰か紹介してくれとか…」
 まだ片桐のことがあってそういう話しはしたくないのだろう。俺もそうだからよく解る。
「多分もう大丈夫だと思うけどな」
 さっきの誤解はある意味有効だろう。実際はそういう関係じゃないが、それがきっかけで美智に余計な事を聞くなと釘は刺せる。
「あんまりしつこかったらはっきり言ってやれよ。言えば解る奴だから」
「はーい」
 美智は少しけだるそうに答える。
 そこで会話は途切れてまたお互い無言になる。 
 しかし高梨が余計なことを言うから落ち着かない。幸い美智はそのやりとりに気付いていないらしい。
 別に俺が意識することじゃないんだよな。
 俺は美智のことはそういう目でみたことはないし。
 何よりお互いそれどころじゃないしな。俺は彩花のことが、美智には片桐のことがある。 そういえば、
「美智」
 呼びかけると、水の中を覗いていた美智がふっと顔をあげた。
「何ですか?」
「この前、何があったんだ?」
 この前、昼ご飯をめぐみに奢って、そこで美智と香に会った。その後部室に行き打ち合わせをしていたのだが。俺が少し野暮用で外に出た時に美智も外に出てきた。
 その後顔を合わせたら、美智は突然泣いたのだ。
 さすがにあの時は焦った。美智がなんでもない様に装うから結局理由が聞き出せなかったのだ。
 俺の言い方は曖昧だったが、彼女にもいつのことかわかったらしい。
 一瞬目を見張り、すぐに落ちつきなく視線を漂わせる。
「…あれは、何でもないです。ただちょっと目にゴミが入っただけで! 本当に何でもないんです! 忘れて下さい!」
 何となくこう言われるだろうとは思っていた。
「でもあの時は様子があきらかにおかしかっただろ。そんな下手な言い訳通用すると思ったわけ?」
 目にゴミが入ったなんて、今時小学生でも使わない。
「おかしくないですよ。普通です! 先輩の見間違いです」
 何故かかたくなに否定する。そんなに泣いた事を認めたくないのだろうか。
「泣いてないってならそういう事にしとくけど…」
「泣いてないんです!」
「…はいはい。何かあったんだろ? 片桐か?」
「何もないです」
「本当に?」
「本当に」
 最近目をそらしてばかりのくせに、こういう時だけしっかりと目を見据えてくるのはずるい。
 実はあの時、美智の目から涙がこぼれた時。
 あの日は妙に気になって仕方なかったのだ。今朝も実は気になっていて、朝会った時に顔をまじまじと見てしまったくらいだ。何もない顔をしているのを見て安心したのはここだけの話だ。
 こんなにかたくなに認めようとしない理由は分からないが、きっと何かがあったのだろう。俺は片桐と会って何か言われたのかと思っているのだが…。
「先輩、本当にあの時は何でもなかったんです。せっかくこうして遊びに来たんですから、この話はもうやめません?」
 こう言われてしまうと、俺は何も言えなくなってしまう。
 何故か彼女から突き放されたような気がして、俺は面白くなかった。だが、ここで意地を張るのは男として情けない。
 まあ、美智はとりあえず元気そうだし、まあいいか。今度落ち込んでる時に聞いてやろう。
「しょーがねえなあ、今回は許してやるよ」
 冗談めかして言うと、彼女はほっとしたような顔をして笑った。無理をして笑っている風ではなさそうだ。
 その笑顔を見て、俺も笑う。
「先輩、あのー、私も漕いでみたいんですけど、いいですか?」
 さっきから言いたかったのだろうか、美智が俺の方にあった櫂を指さす。
「ああ、いいよ。結構力いるよ」
 櫂を彼女に渡すと必死にこぎ始める。最初は全く進まなかった。
「ほら、もっと力入れろって、櫂を水に対して垂直に向けるんだよ」
「そんなこと言ったって…あ、そっか」
 しかしすぐにこつを掴んだのか、彼女も必死になって漕ぎ始めた。
 俺が漕ぐのとはすすみ具合が全く違うが、それでもボートは徐々に進み始めた。
 今度はこちらが手持ちぶさたになる。
 周りを見ると、他のボートも近くにいるのが見える。俺たちは湖のほぼ中央をゆっくり回っていたが、向かいの岸につけて上がっている奴らや、ボート乗り場の近くでうろうろしている奴もいる。
 正面では美智が必死にボートを漕いでいる。何かに必死になっている姿はこれはこれで微笑ましい。一漕ぎする度に顔を真っ赤にしている。この調子だとすぐに交代だろうか。
「あんまり進んでないぞ」
「仕方ないじゃないですか。先輩とじゃ力が違いすぎます」
 口が動くと手がおろそかになる。両方同時には動かせないようだ。
「じゃあ、あっちの岸まで漕いでみろよ。5分以内ね、よーい…」
「え?! 待って下さい」
 俺が時計を見てカウントダウンを開始すると、必死に櫂を掴む。しかし焦っている割にはさっきまでとそんなに変わらない。多分5分じゃ無理だろう。
 正面の美智を眺めながらふと岸の方を見ると、何故か彼らのうちの一人と目があった。
(ん?)
 だがすぐに彼は目をそらしてしまう。少し距離があったので目があったのも気のせいだったかもしれない。
 でもこちらを見ていたような気がする。
「はいー5分経過ー」
 俺が言うと、美智はうなだれたように手をおいた。
「そんな、たった5分じゃ無理ですよー」
作品名:春雨 05 作家名:酸いちご