先生様と私。
「そらそら、そんなに握りしめたら、着物が皺になってしまいますよ。そんな日蔭で縮こまって座ってないで、こちらにいらっしゃい」
言われて、私は初めて、自分が着物の上で両の拳をぎゅっとにぎりしめて、座
敷から縁側にぐっと身を乗り出している事に気付いたのです。
「あ、ぅ……わ、わたしはあとで頂きますから、えと、その……っ」
まるで、ほんの少しでも妻らしく振る舞おうと、背伸びした私の様子を見抜いたかのような申し出に、私はというと、はっきりとうろたえてしまいました。
いいえ、先生様は本当に見抜いたのでしょう。ずっと一緒に居るせいか、私のことになると、妙に聡い先生様なのです。
「さぁ、気遣いはいいから、大人しくお座り。そして、一緒におあがりながら考えましょう?」
その言葉に畳から腰を浮かし、それでもやや躊躇っている私に、先生様は容赦なくそう言って、縁側から私の方に、右手を差し出しました。
「……嫌ですか?」
本当に、先生様は狡いです。そうされてしまったら、私が先生様の頼み事を、無下にできないことを、昔からよくご存じなのです。
私は唇を尖らせて、俯いて先生様の腕を取りました。
「余り可愛くむくれましたら、膝の上に乗せますよ? お隣の奥様からまた、微笑ましい目で見られてしまいますねぇ?」
眼鏡の奥でやんわりと細まったその目に、唇を噛んで俯くという、そのささやかな抵抗も、容易く打ち砕かれてしまいました。
「しかし、『良い』とは……また難しい物を見つけて来ましたねぇ……」
「すみません……せんせいさま」
腕を組み、隣家との間の生け垣をぼんやりと見上げる先生様の横で、私は鯛焼きをかじりながら首をすくませませて言いました。
私の質問が先生様を困らせてしまったと思って、申し訳なく思ったのです。
そりゃ……素直に鯛焼きを頂いている今の状況が居たたまれなかったのも、お隣の老夫婦に、こんな風に並んで鯛焼きを食べてる姿を、なるべく見られたくなかったというのも勿論ありますけれど。
「いやいや、貶してなんていませんよ。寧ろ、褒めているのですよ」
今のは僕の失言でしたね、と、先生様は片手で口元を押さえておどけて見せました。
それで私は少しばかり安心し、今度はしゃんと、背筋を伸ばして座り直し、鯛焼きの残りを飲み込みました。
「随分と……哲学的な質問だとおもってね」