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鮭缶、あるいはその日ヒロシマで

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 僕が家に着いたのはそれから二日後、つまり八月八日のことだった。それ以上早くは帰れなかったのだ。なにせ市内はすっかり――うまい言い方が思いつかない。すっかり、そう、滅茶苦茶になっていたので。
 母さんが出がけに水筒を持たせてくれていたが、それはとっくの昔に空になっていたので、僕はひどく喉が渇いていた。だから家の前で破裂した水道管から水が勢いよく噴き出しているのを見た時は、本当にほっとした。力が抜けた。僕はずるずると水の出ている裂け目のところまで足を引きずり、倒れこむように膝をついてぐいぐいと水を飲んだ。生ぬるかったが、涙が出るほどうまかった。顔を洗うと、ようやっと人間にもどったような気がした。
「孝雄兄さん……?」
 おそるおそる、というような声におどろいて僕が振り返ると、そこには従妹の雪子ちゃんがいた。雪ちゃん――雪ちゃんと僕は彼女を呼んでいた――は歪んだバケツを下げて、僕のことを幽霊でも見るみたいな顔をして見つめていた。
「雪ちゃん、無事だったのか!」
「孝雄兄さん!」
 雪ちゃんはバケツを放り出して、僕に飛びついてきた。高女に上がってお姉さんらしくしてみたかったの、と言って編み始めたお下げは毛先が焦げてぼろぼろだったし、制服はあちこち裂けたり焼けたりしてひどかったが、とにかく雪ちゃんは生きていた。僕は雪ちゃんの肩を抱きしめようとしたけれども、制服のその部分が焼けてひどい火傷になっているのに気づいて、やめた。街中で見かけたまるで化け物みたいになった人たちほどじゃないが、雪ちゃんも怪我をしたらしい。
「私、私誰ももどってこないから、みんな死んじゃったのかと思って……隣のおじさんが、おばさんは逃げ遅れて家の下だって言ってたし……」
「母さんが?」
 こくん、と雪ちゃんはうつむいたままうなずいた。僕はそうか、とだけ言った――母さんが家の下敷きなんて信じられなかったが、信じるしかないんだろう。哀しいとかいうような感情は、どこかに置き忘れてしまったようだった。とにかく、ただ雪ちゃんが生きていて良かった、と思った。
 雪ちゃんが落ち着くと、僕らは歪んだバケツで水を汲んで、裏手の山の斜面に掘った防空壕にもどった。これは僕と父さんが半年くらいかけて掘ったもので、中は結構深い。
 雪ちゃんは出がけにここに土嚢を置いてきて、と母さんに言われて、身体半分中に入ったところであれに遭ったんだそうだ。良かったのか悪かったのか、爆風で奥まで吹っ飛ばされて崩れてきた土砂に半分埋まって、気がついたら昨日の朝早くだった、と雪ちゃんは言った。
「そうか、大変だったね」
 言うと、雪ちゃんは孝雄兄さんこそ、と言ったきり、黙った。