メギドの丘 二章
当夜の隣、真弥が普段は見せない真剣な表情を浮かべ奏に叫ぶように問いかけた。真弥は、いざという時は、真面目に行動する人間なのだ。すなわち、真弥が真面目になるということは、それほどまでに追い詰められた状況ということだ。
そんな真弥とは対称的に冷静に、残酷な答えを叩きつけた。
「無理ね・・・・・・あれだけの範囲を一瞬で凍結するなら空気ごと凍結しなくちゃいけない・・・・・・すなわち氷点下二百十度。わたし達も凍って死んでしまうわ」
「マジかよ・・・・・・なんとかなんねぇのかよ、当夜」
「・・・・・・。結局は無力なのか、俺たちは・・・・・・」
当夜は眼前に迫りくる絶望の波に、圧倒されガクッと膝から崩れ落ちた。崩れ落ちた拍子に、無意識に砂浜の砂を握り、ギシギシと音が鳴る。
そして、そんな当夜を嘲笑うかのように大地が揺れた。
「お、おわっ」
立っていた真弥も、突然の大きな揺れに身体のバランスを崩し、砂浜に倒れ込んだ。
「はははは、終わりだな」
真弥は、自らの最後を悟ったのかのように笑いだした。
「まだ・・・・・・諦めちゃだめです。最後の最後まで戦い抜きましょう・・・・・・あの精霊と津波が上陸した瞬間、わたしが太陽光を収束してある程度蒸発させます。それだけで状況は変わってくると思います。なので、皆さんは今、行ける所まで避難してください。熱の巻き添えになりますから・・・・・・」
朔夜が、微笑みながら皆に告げた。しかし、その表情とは裏腹に朔夜が作る拳は、小刻みに震え、朔夜の気持ちを物語っていた。
「ダメよ、昨夜ちゃん! そんなことしたら朔夜ちゃんの身が持たないわ!」
朔夜の精一杯の提案にすぐさま奏が切り返した。
当夜も、一瞬この朔夜の案が脳内を駆け巡ったが、すぐさま切り離した。何よりも朔夜一人を犠牲に出来るわけがない。そんなことが出来るわけがなかった。
「だって時間がないんですよ! このままじゃ街も皆も・・・・・・ッ!」
朔夜が叫び、涙を目に浮かび始める。
当夜は、その涙を見て更に自分の無力さを痛感した。
(考えろ・・・・・・考えろ・・・・・・!)
当夜は、朔夜の覚悟を無駄にはしたくなかった。十代半ばの自分よりも年下の少女がここまでの覚悟を見せているのだ。ここで諦めるわけにはいかなかった。
(・・・・・・ッ!)
そこで当夜の頭の中に何かが引っ掛かった、と同時に当夜の視界にゆらりと揺れる人影が浮かび上がった。
「・・・・・・はッッッッッ!!!」
当夜は、突然の出来事に失念していた。いや、この場の誰もが失念していたのだ。こんな簡単なことに気付かない自分に当夜は嫌気がさしたが、すぐさま気持ちを切り替えた。
当夜は、不敵な笑みともとれる引きつった笑みを浮かべ、その揺れる人影に囁いた。
「涼・・・・・・結・・・・・・! お前たちの能力であいつをぶっ飛ばせるよな?」
そう、涼と結だ。
この二人は、気象庁の警報があろうと、津波が迫ってこようと自分の世界に入り、砂の芸術を作り上げており、完全に輪から外れていた。
この二人の存在を忘れていたのだ。
「あぁ・・・・・・言われなくてもそのつもりだ。なんてったって、あのクソ野郎は・・・・・・やってはならねぇことを犯してしまったからなぁ・・・・・・」
「・・・・・・許さない」
怒りを通り越し、憤怒の表情ではなく無表情の二人の傍らには、無残にも崩れ落ちた砂の芸術。まるで二人の心の真逆の表情を見せていた。
「結、大気中の原子の分解、再構築が出来るくらいなら、原子核のβ+壊変くらいできるよな? できねぇなんていうなよ。できねぇならほぼ負け試合になっちまうからな」
「出来る。任せて」
「くくく、ならあのクソ野郎は終わったも同然だ。結、俺が大気中の電子を陽子過多に操作する。お前は、その電子の原子核にβ+壊変を起こせ。いいか大量にだ。時間がねぇ、早くするぞ」
「分かった」
二人が今、創り出そうとしているのは陽電子だ。陽電子は陽子過多により不安定な原子核のβ+壊変により生成される。その生みだされた大量の陽電子を超高速で放出。超高速で放出された陽電子は、ライデンフロスト現象と呼ばれるものを引き起こしながら、大気中を消滅することなく目標に到達。物質内に侵入すると、物質内の原子の核外電子と対消滅し、数本のγ線となる。その時に発生するエネルギーは計り知れないのだ。このエネルギーで持って相手を破壊するのだ。
そう、所謂、陽電子砲。
荷電粒子砲をも凌ぐ、最強の砲撃。
「もう十分だ」
涼が静かに結に告げた。
「分かった」
「行くぞ」
死の宣告は今、下された。
涼が若干の汗を額に浮かばせながら、右手を前に突き出した瞬間。
思わず目を閉じるほどの光が迸った。そして、直後、津波が到達したんじゃないかと思わせるほどの轟音が響き渡った。
涼の肩手からは、直径二十センチほどの淡い光を放つ一本の線があった。
その一本の線は、音速を超え目標へ一直線に向かっていく。
さすがの、大海原の竜も音速を超える速さには付いていけるわけがない。
「消えろ、クズ野郎」
一本の線が津波ごと、竜の額を貫いた。
直後、轟音。
大量の水分が蒸発する音、竜が発する断末魔、この二つが轟音と呼ぶに相応しい音を響かせている。
しかし、いかに大量の水分を蒸発させようと、波の余波は収まらない。
未だに大きな津波が迫りくるが、二人には取り乱した様子はない。
「ここは、わたしに任せて。制定でも被害を半分以下に低減することは可能」
結はそう言いながら自ら津波に近づいていく。
「津波を可能な限り、原子分解。大気中に水分として、海に海水として再変換」
津波が到達すると同時に、迫りくる津波が一瞬で消えた。
そして、何事もなかったのかのように結は、当夜たちの方へとすたすたと歩いてくる。
「終わったのか・・・・・・?」
当夜は、無意識に止めていた呼吸を吐き出し無理矢理声を出した。
「終わった。出来るだけの津波は分解した。被害状況は分からない」
結は、相変わらず無表情で淡々と答えた。
さすがだな、と当夜は思った。
「よかった・・・・・・ありがとな、涼、結」
当夜は、二人の顔を交互に見て言った。
「あぁ気にすんな。あのクソ野郎・・・・・・まだ殺し足りねぇ」
すると、当夜の右ポケットに収まっていた携帯電話が小刻みに震えだした。
電話の主は、佐江だった。
「もしもし、佐江さん・・・・・・何やってたんですか」
「当夜くん、大変昨日の男に逃げられたわ!」
「・・・・・・こっちはそんな場合じゃ・・・・・・あれ?」
当夜は、場違いな雰囲気の佐江に向かって全力で叫ぼうとした瞬間、頭の中に違和感を感じた。
そして、その違和感は急速に激痛に変換。頭の中が破壊されていくような痛みに当夜はその場にうずくまった。
「ぐ・・・・・・あっ・・・・・・」
当夜の身を案ずる声が遠くから聞こえてくるような気がしたが、当夜は薄れゆく意識に身を委ね、闇の中へと沈んでいった。
部屋の大きさに反比例した無機質な部屋。この部屋に、また異様な光を放つ十三人の男女が円卓を囲んでいた。