メギドの丘 一章
「この状況は・・・・目標がやったのね」
奏が辺りを見渡しながら、ひとり言のように呟いた。
しかし、当夜にはそのことひとり言すらも頭に入ってこなかった。この山の木々の有様を、自分の生まれ育った街と重ねていた。同時に、街とこの木々を重ねることにより、失った家族、友達のことも連鎖的に思い出していた。
薄暗い闇に包まれた山、その中の薙ぎ倒された木々たちが不気味に重なり合い、まるで当夜を死の淵に誘っているように当夜は感じた。
「目標は」
結が、マイペースを保ち呟いた。
当夜は、結が喋っているところを見ると、時々、結はアンドロイドかなんかじゃないのかという考えに襲われる。それほどまでに、結の口調には、おおよそ感情と呼ばれるものが欠けていた。
「・・・・物音一つしないわね。気をつけて、急に飛び出してくるかもしれないわ」
そう、この山の中これほど荒らされていても、物音は一つもしていないのだ。聞こえてくる音と言えば、この三人の呼吸音のみ、というくらいに不気味な静寂に包まれているのだ。
「これだと単独行動は危険ね。けど、目標を見つけるのが先決・・・・厳しいわね」
「見つけるのが先決」
「でも危険だわ。どんな攻撃パターンなのかもまだ分かっていないし」
その時、上空から風圧が全員を襲った。
「なんだ・・・・この風は」
当夜は断続的に襲ってくる風圧の合間を縫い、上空を見つめた。
そこにいたのは、悠然と大空で羽ばたいている、グリフォンの如き翼を持った狼の姿をしたものだ。
当夜は、佐江の言葉を思い出した。
(今回の目標は、グリフォンの如き翼を持った、狼の姿をしていることを確認しているわ。ソロモン七十二柱『グラシャ=ラボラス』に酷似しているわね)
――目標だ。
「あれが目標の・・・・グラシャ=ラボラスなのね。当夜くん、確認できてるわよね?」
「確かに佐江さんの言ってた通りの姿かたちをしてる」
グラシャ=ラボラスは、上空を飛んでいるために、どんなに視力がよくても常人にはなんとなくしか姿かたちを確認することが出来ない。
しかし、当夜にははっきり確認することが出来る。
これが当夜の第六感の能力の一部だ。
人間は、普段、自らが出せる力を脳で自動的に抑えている。そしてその脳ですら数パーセントの割合でしか使用することが出来ない。所謂、普通の人はリミッターが付いているのだ。
当夜の第六感の能力はこのリミッターを解除することが出来る。例えば、脳の使用能力を向上させ、思考速度を常人の数倍まで加速させれば、その分世界がスローモーションに変わる。死の淵に立たされた時のスローモーションの世界がいつでも見れるという訳だ。
今、当夜がグラシャ=ラボラスを捉えられるのは、視力を常人離れさせているからだ。
「ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォン」
上空から狼さながらの透明感があり芯の通った遠吠えが響き渡り、グラシャ=ラボラスが大きく翼を羽ばたかせた。
「来るわよ!」
奏そう叫んだ瞬間、今までよりも格段圧力がある風圧が当夜たちを襲った。
当夜は、グラシャ=ラボラスが羽ばたいた勢いを利用し、降下体制に入ったのを捉えた。
捉えた瞬間グラシャ=ラボラスと目が合う。
当夜は戦慄した。
また、巨人の時と同じように『死』という感覚が全身を駆け巡った。
でもこの時の当夜と、あの時の当夜は決定的なところが違った。第六感の能力を有しているか、有していないかの問題ではない。もっと根本的な部分が違うのだ。
『生きたい』か『生きたくない』という心理的部分が違うのだ。今の当夜には、『生きたい』という感情が皆無で、『生きたくない』という感情が表に出ている。
当夜は、この時全身を駆け巡った『死』と言う感情に身を任せ、『死』という現実を受け入れようと一瞬で覚悟したのだ。やっと、みんなの元に行ける、と思ったのだ。
グラシャ=ラボラスが隼の如き速さで降下を始め、ぐんぐんと当夜たちとの距離を縮める。
当夜の計算では、ここにグラシャ=ダボラスが辿り着くまでおおよそ後、十秒程度。角度的にも標的は当夜だ。加速した思考能力がそう告げていた。
「早すぎて凍結が間に合わない! 逃げるわよ!」
奏が叫び、結と奏は薙ぎ倒された木々の隙間を縫い、その場を離れようとする。しかし、当夜は奏の言葉に聞く耳を持たずに、その場に佇み続けた。
グラシャ=ダボラスとの接触まで、残り六秒。
「当夜くん、逃げて!」
奏が、逃げようとしていない当夜に気付き叫んだ!
接触まで、残り四・五秒。
「いいんだ、これで」
当夜が虚ろ気な表情で、ぼそりと呟いた。
接触まで、残り二・五秒。
「さようら、生まれ変わってもよろしく」
当夜が、この世に別れを告げた。
接触まで、残り一・五秒。
コンマ数秒の世界で時間を感じていた当夜の、左腕に衝撃が走った。慣性の法則に則り、当夜の身体が右方向に飛ばされた。突き飛ばされながら、第六感を利用した動体視力を駆使し、当夜は衝撃を受けた方向を見やる。
接触まで、残り一秒。
――奏だ。
奏が悲痛な表情を浮かべながら、当夜のことを見ていた。
「奏・・・・?」
接触まで、残り〇・二秒。
奏と目が合った。
接触。
爆発物に引火したかのような轟音が辺り一帯を包み、土煙を上げた。
土煙が当夜の視界を奪い、身動きを取れなくさせる。土煙がある程度消えるまでの間、当夜はずっと混乱していた。
なぜ生きてる・・・・? なぜ奏が・・・・? この思考が永遠と頭の中を駆け巡っていた。
土煙の中に左腕を押さえた女の子のシルエットが、ぼんやりと浮かび上がってきた。
奏だ、当夜は心の底から安堵した。
土煙が晴れ、奏の姿が鮮明に浮かび上がってきた。
――ッッッッッッッッ!!!!!!!
当夜は、奏の姿を見て驚愕した。
左腕の二の腕辺りから先が忽然と姿を消していたのだ。
しかも、ただ腕がなくなっているのではない。
切れ口の中から、配線、カプラ、チューブなどが垂れ下がっていて、パチ、パチ、と断続的に火花を上げていた。もちろん血は出ていない。血の代わりに油が地面に、完全に閉めていない蛇口から垂れる水のように、ポタポタと滴り落ちていた。
造られた腕、だったのだ。
「当夜くん・・・・」
奏が、憤怒の表情を浮かべ当夜の方へと歩み寄った。
当夜の目の前に立ち、奏では残された右腕を大きく振り上げ、当夜の顔面めがけて振りぬいた。
――パァァァァァン!
乾いた音が山の中に響き渡った。
「死にたいなら、一人で死になさい」
奏は、この一言だけ、当夜に残し、戦場へと戻って行った。
当夜は、戦場へ戻っていく奏を、ただただ呆然と見つめることしかできなかった。
造られた腕が意味すること。奏が歩んできた道のりは壮絶なものだったのだろう。当夜にも負けずとも劣らない道のりを歩んできたのだろう。いや、当夜はまだ五体満足でいられるだけ幸せなのかもしれない。いかに第六感の能力を有していようが、敵も人間ではなく異世界の者なのだ。