メギドの丘 一章
結の言葉と同時に、当夜の体を浮遊感が包んだ。次に意識が遠のいていく感じが脳を襲った。睡魔が限界に達した時の状態に似ていた。自分の身体が原子レベルに分解されていると考えると、当夜はとても不思議な感じがした。
そして、すぐに意識が覚醒してきた。閉じていた目を開く。
――ッ!
目の前に広がっていたのは朽ちた荒野が地平線の彼方まで広がっているだけだった。所々、地面が割れ、奈落まで続いているようだった。
「・・・・・・ここは?」
目の前に広がっていたのは想像を遥かに超えた景色。当夜も、最悪の結果を予想しながらもここまでとは思っていなかった。
当夜は、身体の力を失い、膝からガクッと崩れ落ちた。
「ここの座標は、当夜の住所」
結が隣で淡々と言った。しかし、その声色はいつもより震えていた。さすがの結も当夜の気持ちを考えると平常ではいられないみたいだった。
「嘘だろ・・・・・・なぁ嘘だと言ってくれよ、結・・・・・・!」
当夜の問いに、結は瞳に涙をうっすら浮かべながら俯くだけだった。
「嫌だ・・・・・・。父さん、母さん・・・・・・うっ・・・うっううう・・・・・・うわああああああああああああああああああああああああああああ」
当夜は泣いた。まるで生まれたての赤ん坊のように泣いた。
佐江と結は黙って、当夜が泣き止むのを待った。
3
国家機密機関 超常現象対策室 東日本支部 地下特殊訓練場には二人の人影があった一人は人よりも幾分か生気が欠落している少年。もう一人が目を閉じ、額に汗がじんわりと滲んでいる少女。
当夜と奏だ。
訓練場と言いつつも彼らは今いるその場から、かれこれ二十分は動いていない。
もともと彼らの戦闘というのは人間離れしている。その為、一般的な訓練と並行して特殊な訓練をしなくてはならない。その訓練を現在行っている最中なのだ。
仮想世界での悪魔・精霊との模擬戦闘だ。
その方法というのが、たった一つの電極を頭部に装着するだけで完成される。
電極に付随する素子が常に、延髄から中脳の間にある脳幹毛様体、大脳皮膚、前頭葉に損傷させない程度の微弱な電気信号を流す。脳幹毛様体に人工的な情報を送り、大脳皮膚で現実の情報を破棄、仮想世界の情報を収集する。大脳皮膚で整理された情報を前頭葉で想像する。もちろんこの過程の中で訓練用に痛覚など人体に影響又は精神に影響を及ぼす可能性があるものは全て遮断している。
この電極にはリンク機能と言われる、ある種のネットワークに似た機能も付いており、他者との仮想空間の共有をすることができる。当夜と奏はこのリンク機能を利用し訓練を行っているのだ。
そして、もちろんこの電極の存在も国家機密である。
今現在、当夜と奏が訓練しているステージは『ローマ』。
このローマの市街地は今、至る所が氷で蝕まれ、あらゆる建物が半壊している状態だ。まるで、地球が狂い自然が暴走したみたいだった。
しかし、訓練用に仮想して作られているため現実のローマには全く影響は及ぼさない。そして、人は当夜と奏以外、誰一人としていない。
人は、だ。
当夜と奏と相対するは、真紅の礼装に身を固め、赤い馬にまたがった兵士。特出すべきは右手に持つ黄金の槍。
『ベリト』と呼ばれる地獄の公爵だ。
この公爵は鉄から黄金を作り上げることが出来る。所謂、錬金の能力を有しているのだ。
真紅の公爵が、両足で馬の腹を一回叩いた。
その瞬間、馬が天を仰ぎ、神に祈るが如く、黎明な鳴き声をあげた。
そして、当夜と奏の方へ突進を始めた。
そのスピードがこの世の馬とは思えないスピードだ。一本の赤い線ローマの路上に浮かび上がり、一本の黄金の線が道を切り裂いた。
当夜の目の前に黄金の槍が迫る。
どんなに迫ろうとも当夜は逃げようとしない。むしろ、その迫りくる咆哮すらも見ていない。
「当夜くん!」
当夜は突如、名前を呼ばれてふっと静かに前方へ目を向けた。
すると、当夜は自分の瞳まで数ミリにまで迫っている黄金の槍を捉えた。
当夜の瞳を、黄金の槍が貫く瞬間、当夜の脳内で電子音が鳴り響き、一瞬で視界が暗転した。
「やっと三十分たったのか・・・・・・」
三十分。脳への安全面をこの電極を利用した訓練の制限時間だ。
暗転した世界が色を取り戻すと、当夜の視界に映ったのは見慣れた訓練場だった。
「当夜くん・・・・どうして戦わないの? あれが仮想空間じゃなくて現実だったら死んでたんだよ」
当夜の隣に座っていた奏が、当夜に向け言葉をかける。
「わりぃ・・・・」
当夜は、未だに故郷・生まれ育った家・家族を失った悲しみから抜け出せずにいた。あの日を境に、最初の三日間は自分の殻に閉じこもり外界と接するのを嫌った。ただ運ばれてきた飯を食って寝て、誰かが訪れれば沈黙を貫き通した。三日が過ぎるとだんだんと、復讐の気持ちが芽生え、部屋を荒らし、訪れた人たちに八つ当たりをするようになった。この精神状態が落ち着いた当夜が今の当夜だ。
――生ける屍
まさにこの表現が的確なのであろう。
当夜は、家族を失い、故郷を失い・・・・・・当夜の全てを失った。最初は現実を受け入れられずにいただけだが、日が経つにつれ現実を受け入れ始め、最後には生きる意味を見失ってしまったのだ。
今の当夜の頭の中では、どんな欲よりも『死』という一文字が蠢いている。
当夜は決して生きようという気持ちにはなれなかったのだ。
「わたしには、何も言う資格なんてないけど、いつまでもそうやっていても何も始まらないし、変わらないんだよ?」
奏が、そんな状態の当夜を、長年の友人を心配するかのような口調で話しかけた。
「わかってるよ。そんなことは」
そんな奏に対し、当夜は全く感情の籠っていない言葉で返した。
「当夜くん・・・・」
その時、部屋全体に警報がやかましいくらいに鳴り響き、天井から部屋全体を照らしている証明が赤色に切り替わった。
「次元間に異常発生。次元間に異常発生」
機械的なアナウンスが部屋に響き渡る。
「また来たわね・・・・当夜くん、辛いだろうけど・・・・行くわよ」
「あぁ・・・・」
当夜は、奏の手にひかれ七十二階「超常現象対策室」に向かった。
「結! 場所の特定は出来てるの!?」
対策室に着くなり奏が叫んだ。
「出来てる」
「んじゃ今すぐ行くわよ!」
「ちょっと待ちなさい」
佐江は、急ぐ奏を引きとめ飲みかけのブラックコーヒーを一口分、口に含み早口で話し始めた。
「今回の目標は、グリフォンの如き翼を持った、狼の姿をしていることを確認しているわ。ソロモン七十二柱『グラシャ=ラボラス』に酷似しているわね。今は山中に現れているため、未だ怪我人、その他翁被害はなし。それと、紋章がないことから精霊ではないわね。後、分かっている通り今日は、あなた達三人しかいないわ。決して油断せず、気をつけて行ってきなさい。以上よ」
「分かったわ。結、お願い」
「捕まって」
結に言われた通りに、三人で手をつないだ瞬間に、またあの浮遊感が当夜を襲い、気付いた時には、何処かの山にいた。
辿り着いたところは、周りの木々が薙ぎ倒されて、木々がまるでゴミ屑のように重なり合っていた。