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文殊(もんじゅ)
文殊(もんじゅ)
novelistID. 635
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樅山一家とまっくろの烏丸

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 すぐにそれは破られる。でかい声で叫ぶな、と言ってやりたい、と思いながら負けじと声をはって「俺は兄貴じゃねぇよっ」と返した。
 まずい、と九治が思った頃には遅かった。
 八雲の弟だという事実を知った男は、目を丸くしてそれから数秒も経たないうちに辺りを見渡して、耳に手を当てて何かを聞きとろうと真剣な表情を見せた。そしてそれらを終えて「ヤクモは、ここから離れたのか……」と、口にしたかと思うと少しさびしそうな顔をした。
「お前、兄貴の何なんだよ……クラスメイト?」
「くら、くす、くすらめと……。なんだ?」
 訝しげに聞いた九治の言葉を理解できなかったのか、並び替えて別の言語を生み出そうとする男に首を振る。
「あぁー……同級生?」
「……ヤクモと俺は、親友だ」
 横文字が苦手なのか、という解釈で九治が再度問い直すも、男は数秒黙って最初の問いの答えだけを返した。つまりは、クラスメイトだとか言う枠組みではなく、兄の親友として自分を見ろ、というアピールなのかもしれない。
 九治はお得意の自分の中で勝手に解決をして、へぇだとかふぅんだとかいう気の抜けた声で返事をして、立ち去ろうと歩みを速めた。
「待てよ、キュージ!」
「……ッ!」
(兄貴め、余計なこと言ったな。)
 そう心の中で舌打ちしながら、掴まれた手を振りほどく。掴まれた瞬間、九治は自分の大ぶりではないけれども小ぶりでもない手が小動物になったような感覚をおぼえた。まるで、鋭い爪で捕えられたような。そんな、強さを感じたのだ。
 振りほどいた男の手は、あっさりと離れた。
「なんですか」
 思わず敬語になったのは、八雲の親友なら同い年くらいだろう、と思ったのもある。もちろん、手を掴まれた瞬間に莫大な力の差を感じとったから、というのもある。どちらも含めて、思わず敬語になった、ただそれだけだった。
「さっきみたいに、気軽に話せ。ヤクモも俺より年下だけれど、そうした」
「あ、あぁ……。あぁ?」
 盛大に聞き返したその瞬間の顔がよほどおもしろかったのか、男は手を叩いて笑ったかと思うと、「キュージ、いいなぁ!」とよくわからない評価をくれた。悪い、と言われるよりかは良いか、と思って九治は黙っておくことにした。

「山に、親友だって言ってる変なヤツいるけど」
 帰省したての八雲に九治が発した第一声が、それだった。近くに誰もいないのを確認して、そう切り出した。八雲は、数秒考えるような間をとる。とってから、少し眉根を寄せて「……会ったのか」と問いかけた。その表情がいつになく真剣で、九治は少し驚きながら、頷く。
「十和子は……」
「いや、俺一人だけど」
 言い淀んだ八雲の言葉を理解して答えると、安心した顔を見せて「そう、そうなのか」と八雲が頷く。十和子は絢子か英治と共にでないと、山の中にあるはな江の家に行かない。八雲が大きくなってからも、それが揺るがなかったのには、理由がある。はな江が絶対にそれを許さなかったからだ。
「ばあちゃんいつも言ってるだろ、十和子を一人で寄こすなって」
「俺やお前がいっしょでも、ダメだしな」
「ホウキ振り回した人に、追っかけられたくないから」
 そう肩をすくめて、ため息交じりに言う九治に、八雲は少しだけ表情を崩して笑う。わずかに緊張していた場の空気が、和らいだ。
「……ばあちゃんの所、行こう」
 普段通りの表情に戻った八雲の言葉に、九治は黙って頷く。あの妙なヤツのことも気になったし、そろそろ理由を知りたかった。十和子が大人と一緒でないと山に入れない、その理由を詳しく知っても良いと思った。

 麦茶に入った氷が解けて、ガラスのコップにぶつかって音をたてる。強い日射しは木の葉が遮って、涼しげな風が吹く。扇風機がその風をさらに強めるために、ゆるりと回っていた。
「八雲が離れて、九治があたしのところに来るようになった時から、こうなる時がくるんじゃないかと思ってはいたけどね」
 はな江は一人熱い緑茶をすすってから、九治と八雲を一度ずつ見つめた。はな江の目に見られると、悪いことはしていないのに萎縮する、と八雲は思う。九治が正座を崩さないのも同じような状態だからだと、信じている。
 彼女の娘である絢子も、はな江の前だと豪快さが少し減るようなところがある。
「……十和子だけは、やれないよ」
「誰に、ですか」
 間をおかず問いかけた八雲をじろりと見て、はな江は数秒そのままの状態を保つ。そして、息を強めにはいた。
 九治は、隣で八雲がもう一度問いかけようと口を開いた空気を感じ取った。
「十和子の前に誰が、誰に、やられたんです」
 九治にとって、八雲の発した「やられた」は、はな江の発した「やれない」とはまったく意味の違う響きを持っていた。八雲の方は、既に誰かに侵犯を受けたような、そんな響きがあった。対するはな江は、絶対に「やれない」のだと、決意を込めて呟いている。九治には、そう感じられた。
「お前と、九治が会ったアレに、だよ」
「アレなんて、言わないでください」
 はな江は、誰がやられたか、という問いには答えなかった。そのかわり、嫌悪するように「アレ」と、誰にの部分を明らかに口にするのを避けた。
 それにまた間をおかずぴしゃりと言い放った八雲に、はな江は返答せず黙って緑茶をすする。アレとはきっと、あの八雲の親友だと言っていた男のことだろう。八雲がはな江に対して顔をしかめて発言を咎めたのを見て、九治は理解した。
(親友なのは、嘘じゃなかったんだな)
「八雲、何を言われたか知らないけれども、取り込まれたら終わりだよ」
 終わり、とはな江がそう口にした一言に、九治は背筋が寒くなった。彼女が八雲をきつめに睨むような視線を送っている。それは珍しいことだった。八雲が人から怒りの感情を向けられている。そんな光景を、九治は今まで数えられるほどしか見たことがなかった。
「十和子がやれないのなら、烏丸は誰を貰えば良いんです」
「誰もやらない、そう言ったつもりだったけれどね」
 それとも、お前がいくのかい。
 慣れない正座で痺れた足の左親指が跳ねあがる感覚が、九治はいつもよりずっと強くすると思った。そのせいでじんわりと筋肉が麻痺するのは、なぜかほとんど感じられず。ただ、息をするという行為を忘れないように続けるのに懸命だった。
 十和子を貰うために、山にいたとは、思えなかった。
「カラス、マル……」
 八雲が口にしたのとは少しも同じ響きを持たないそれを、九治は口にした。してから、あの得体の知れないものを何の違和感もなく呼ぶ八雲が、怖くなった。どうしてそう呼べるのか、わからない。わからないからこそ、余計に八雲が怖くなる。九治の脳内を占めるのは、それだけだった。
 扇風機のタイマーが切れたのか、ハチが近くを飛んだような音が静かな部屋に響く。九治の意識はそこで外に向かい、窓の外にある庭に植えてある桜の木を見て、喉を震わせた。喉が震える。空気を吸うような音がかすかにしたのを聞き逃さなかったのか、八雲が九治の横顔を見ている。そして視線の先を追って、「烏丸!」と大きな声で呼んだ。
「ヤクモ、キュージ!」