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文殊(もんじゅ)
文殊(もんじゅ)
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樅山一家とまっくろの烏丸

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 ある日、カラスと本気でやり合う同い年くらいの男を、九治は山で見た。
「なんじゃ、ありゃ」
 まずアホらしすぎて、できることなら近寄りたくないと九治は思っていた。だが、そこを通らなければ大きく回り道をして行くべき場所へ行くしかない。九治の祖母のはな江は、九治の母であり彼女の娘である絢子の「一緒に住んだ方が楽なのに」なんていう言葉をまったく聞かず、山の中に住んでいる。はな江の住むそこは、彼女が愛する夫と共に暮らした場所だからだろう。そう、九治は思っている。

 はな江の家に届け物をする役目が、次男である九治にまわってきたのは、最近のことだ。兄の八雲が、地元以外の大学へと進学したのが始まりである。それが聞けば周囲の大人がそれなりに盛り上がる国公立だから、厄介なのだった。わざわざ大学名を出すのは少し、と九治は思って「あぁ、受かりました」ぐらいまでしか話していなかったはずである。
 しかし、なぜか樅山家から道路を挟んで向こう側のちびっ子までもが、兄の合格した大学を知っている。
「くーちゃんのお兄ちゃん、すごい大学に行ったんだね!」
 そういい笑顔で言われては、九治もたまったものではない。何度言い聞かせても「きゅうじ」を認識せず「くーちゃん」と呼ぶのなんて、もうどうだってよかった。
「あー。そ、そうなぁ」
 そもそも大学がどういう場所なのか。大学で八雲が何を勉強しているのか。大学がどこにあるのか。三、四歳の子どもたちがわかっているのか、と聞かれればまず十中八九わかっていないだろう。九治は曖昧な返事をしながら、頷くというか項垂れるように、首を動かした。九治とて詳しいことを知っているわけではなかったが、なんとなく気疲れもするのだ。
 最近あった町会の夏祭りなんかもう、最悪だった。やたらめったら近所の人々につかまったのである。そしてそのたびに、八雲についての話を聞かされたし、八雲についての質問もされる羽目になる。
 神輿をかつぎ終わり、ビールを飲んで上機嫌のおじさんたちは「やっちゃんは頭が良いから」と何度も繰り返していた。顔を赤くして話す彼らの輪に引っ張り込まれて酒臭い息に対して九治は適度に頷いた。酒に酔った人間の典型例としてあげられるタイプばかりだ。まさしく、何度も同じ話をする。しかし、そんなことを指摘すればきっと「良いから聞いとけ!」と言われるがオチなのだ。黙っているだけもなにか、と思った九治が詳しく聞けば、ルービックキューブが一分以内にできる、だとか。花札のこいこいでやっちゃんに勝てるヤツがいなかった、だとかいうことばかりである。そもそも、ルービックキューブは目隠しでやるクラスメイトがいたし、一分を切ったというのも正確に時間を計っているか、近所の人々では定かでない。こいこいに至っては、頭が良いというより、あれは引きの強さだとかそういうものだと九治は思う。
 まぁ、そういうところも含めてできる男という八雲を、まわりが気にするのは、当然と言えば当然だと九治も思ってはいる。
「あら、キューちゃん!」
 絢子に頼まれて焼き鳥を買いに行けば、手伝いそっちのけでおばさんたちが群がっては好き放題に話しだす。
「キューちゃん、やっちゃん帰省しないの?」
「まぁ、やっちゃんがしたくなくても、絢子さんはさせたいわよねぇ!」
 お互いで話が解決するなら勝手にやってくれ、と言いたい気持ちになりながら九治は適度に頷き、「焼き鳥、頼まれてるんで……」と言葉を濁した。するとすぐさまあちらこちらへと、おばさんたちは散った。戻ってきた彼女らの手にはプラスチックのパックにみっちりと詰められたフランクフルトやお好み焼き。買う焼き鳥が少なく見えるくらいの量を持たされる。
 気だるい暑さが続く夕方の家路を、九治は立ち昇るソースやケチャップの香りにまみれながら歩いた。
「俺を肥やしてどうする気だ……」
 体型からは想像できないくらいの大食漢だった八雲のいない時に、この大量の食料をどうしろというのか、と思い九治は強めに息をついた。
 それと引き換えに吸い込んだ空気には、やはりソースとケチャップの香りが染みついていた。

「縮んだなぁ、ヤクモ」
 兄の名前を呼んで九治を見つめる、カラスと本気で喧嘩していた男を一瞥して、九治は知らんふりをして歩き始める。八雲、という名前は兄がそこで産まれたから、という至極簡単な理由でつけられたものだった。しかしそれでは理由を説明する時に困る、と相談してスサノオが詠んだ最古の和歌から取ったのよ、などと博識っぽいような理由をこじつけて説明したらしい。それを素直に信じ、小学校でそう八雲が口にする。教師になりたての若い女教師は、それにいたく感動して学級通信に載せたものだから、これまた傑作である。
 彼女が悪いのではない。だけども、新任の女教師が正直に信じて持てる限りの言葉で、家庭でこじつけられた子どもたちの名前の由来をこと細かに記すその様子。それを何より母たちが笑っていたのだから、九治が少しどうこうしようと許されるのではないかと、思っただけである。
 九治はそれを、母から聞いた。事実は単なる産地(というのも変な響きだが、確かに絢子はこう言った)、ということも含めて。八雲は、八雲産の息子なのである。
 ちなみに、男二人に妹一人の三人兄弟だというのに、八だとか九だとかいう数字がついているのには、それなりに意味があるらしかった。「八は末広がり、とスサノオから取ったの」と言って絢子は笑う。末広がりはまだしも、スサノオについてはもうこれ以上どうこう言う必要性はない。しかしあえてもう一度強く印象付けるために九治は思う。そう、こじつけなのだ。
 その後に、「九は一けたのなかで一番大きいでしょ。それを治めるのよ、凄いじゃない」と言われても、困るのだ。「そうか」とは、九治も納得ができないわけではないが、微妙な心境はわかるだろうか。そもそも、「九を治める」とは何か。さらに突き詰めれば「九」とは何か、と聞きたくなる。妹の十和子にはハッキリと「八、九ってきたら十でしょ」と言ったくせに、なぜだか息子の前では見栄っ張りな母だ。ちなみに父である英治には聞いたことがない。語らせると、きっと母以上に見栄を張ろうとする父だから。
 そんなことをぼんやりと思いだしている間にも、ヤクモ、と呼ぶ声はとまらない。少し掠れた声だというのに、やたらと大きいそれに耳を塞ぎたくなった。けれども、九治がそんなことをしたところで、どうなるとも思えない。仕方なくがっちりと視線を合わせて、眉根を寄せながら「誰だよ」と一言だけ口にした。
 木の葉の間から射す日は強い。最高気温は三十にプラス三。珍しいまでの暑さにだらける暇もなく、九治は家から叩きだされて今この山道を歩いている。近所の人からもらった桃を切ってタッパ詰めしたもの。お中元で来た水ようかんが三つ。入った袋から甘いにおいがするか、と聞かれても別にしなかった。ただ、九治の鼻先を掠めるのは青臭い草の香りが混じった風だけだ。汗をかいたせいで額にくっついている前髪にその風が強く吹くたびあたって、一瞬の沈黙を九治は感じた。
「ヤクモお前、また忘れたのか!」