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君に追いつきたい

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僕と、彼女と、ときどき野球


 インターホンが鳴ったのに気付き、朝日良一はリビングにある受話器を手にとった。時計を見ると、ちょうど七時だった。一瞬、彼は母親が帰ってきたのかとも思ったが、それならインターホンは押さないだろう。こんな時間に誰だろうと、良一は思った。
「はい」おそるおそる、良一は口を開いた。
「こんばんは。隣に引っ越してきた水野といいます」
「今朝の……」声からして、相手は水野家の母親だと分かった。自然と頭に浮かんでいた水野ナオのことを、慌てて消す。
「あ、良一君? お父さんかお母さんはいるかな」
「すみません。まだ仕事から帰ってきていないんです。母はもうすぐ帰ってくると思うんですが」
 おそらく引っ越しの挨拶に来たのだろう。良一は、女性が自分の名前を覚えていたことに驚いた。名前は、たった一度しか口にしていないはずだ。
 そのとき、受話器越しに、外が少しざわついたのが分かった。女性が誰かに挨拶する声も聞こえる。もしかしたら母親が帰ってきたのではないかと思い、良一は受話器を戻して玄関に向かった。
 ドアを開けると、案の定ちょうど母親が帰ってきたところだった。
「おかえり。この人は、今日隣に引っ越してこられた水野さん」
「お久しぶりです。改めて、これからよろしくお願いします」
 母親が頭を下げる。引っ越しをする準備の段階で、彼女らが何度か会っていたのだということを良一は思い出した。
 その後、二人の会話は途切れることなく続いた。どうして母親同士の会話というのは長くなってしまうのか、良一には全く理解できない。しかも、彼女らがまともに会話をするのは、これが初めてのはずなのだ。
 さすがにしびれを切らした良一が部屋に戻ろうとしたとき、隣の部屋――水野家のドアが開いた。
「お母さん、私のボールがどのダンボールに入ってるか知らない? どこにも見当たらないの」
 聞こえてきた声の方に、良一は顔を向ける。中から出てきたのは、水野ナオだった。
 彼女は自分の母親が良一の母親と話しているのに気づいたからか、慌てて頭を下げた。ドアの位置は通路よりも一段高くなっているので、彼女は頭を下げても、この場にいる誰よりも高かった。
「だから、しっかり確認しておきなさいって言ったでしょう。すみません、みっともなくて」ナオの母親は苦笑いを浮かべながら言った。
「いえいえ、何か球技でもやってらしたのですか」
 ナオが発したボールという言葉に反応したのだろう。良一も少し気になった。身長が高いので、バスケットボールやバレーボールだろうか。
「はい!」答えたのはナオの方だった。「野球をやっています!」
「野球? あの野球?」良一は思わず尋ねた。
「うん。前に住んでいたところでも、少年野球のチームに入ってたよ。まあ、私は少年じゃなくて少女だけどね」
 クスクスと笑う彼女は、とてもイキイキして見えた。正直、彼女の姿から野球という単語は思い浮かばないのだが、よっぽど好きなのだろう。
「じゃあ、こっちでも野球をやるの?」良一の母親が尋ねた。
「はい。確か、近くに新川ファルコンズってチームがありましたよね。次の日曜日に、そこへ見学しに行こうと思っています」
「この子、引っ越す前からそのことばかり考えているんです。もっと落ち着いてほしいんですけど……」
「子供は元気すぎるくらいでちょうどいいんですよ。うちの子は、逆におとなしすぎるくらいです」
「いえいえ。礼儀正しくて、とてもナオと同い年とは思えないほどしっかりされてますよ」
 また始まったと、良一は小さくため息をついた。母親同士の会話は次々と話題が変わって、途切れることがない。
 良一はチラリとナオの方を見る。すると、彼と同じように苦笑いしている彼女と目が合った。瞬間、彼の心臓がドクンと脈打つのが分かった。どうすればいいのか、目が合ったまま良一は立ちすくむ。すると、ナオが笑顔を浮かべてゆっくりと近づいてきた。
「朝日君も、一緒に見学しに行こうよ」
「え、僕は……」
 良一は言葉を詰まらせた。ファルコンズには、柳康平と一緒に何回か"遊びに"行ったことがある。監督とも顔見知りだ。そのため、見学しに行くこと自体は苦でない。むしろ、久しぶりに行って、康平の話でもしたいくらいだ。
 しかし、問題はナオがいることだった。見学とはいえ、彼女は入団を前提にしているはずだ。そんな彼女と一緒に見学して、自分は入団するつもりがないとは言いにくい。ましてや、女子が入団しようというのだ。そこで入団しないのは、何だかカッコ悪いと思われる気がして嫌だった。
「野球って楽しいよ」
 迷っている良一をさらに惑わせる笑顔で、ナオは言った。野球が楽しいのは知っている。だが、プレーして楽しむのは無理なのだ。
「いや、僕は運動音痴で……」
「関係ないよ。毎日一緒に練習して、上手になろうよ」
 良一が何を言っても、ナオは彼を一緒に連れて行こうとしてくる。どうやら、引き下がるつもりはないようだ。
 彼はチラリと母親の方を見た。何か理由をつけて、ここから救い出してほしかった。これ以上、ナオの前でみっともない姿をさらすのは耐えられなかったのだ。
 しかし、母親は飛びっきりの笑顔で、悪魔のようなことを言った。
「良いじゃない。一緒に行って来なさいよ。私は、良一が野球するのに賛成よ?」
「ほら、おばさんもそう言ってるじゃん」
 最後の望みも消え失せ、ナオの押しがさらに強くなった。良一は心の中でため息をつきながら、しぶしぶ頷いた。
作品名:君に追いつきたい 作家名:スチール